おとなしくして……」
ふところから刷り物の紙を取り出し、仲よくひとりへ一枚ずつ配ってあげます。
見ると、なるほど、子供が欲しがりそうな美しい刷り物です。
紫色の地に、金色のインクで地蔵様のお姿が刷られています。そしてその脇には、こんな文句が書いてあるのです。
『親のない子。
家のない子。
貧しい子。
地蔵行者は、そんな子を探して歩きます。
見つけて幸せにしてやりたいと歩きます。
教えてください。
哀れな子を。
竹生島(ちくぶじま)可愛御堂(えのみどう)の堂守
菊村宮内』
「家へ持って帰って、お父さんや姉さん、兄さんにも見せておくれ。そして、かわいそうな子供がいたら教えておくれ。おじさんはまた明日、同じ場所を同じ時刻に通るから……。え? 明後日かね? 明後日はまた先の町さ。わしはそうして諸国を巡る旅人だもの」
ゴ――ン、ゴ――ン、ゴ――ン。
鉦を叩きながら、行者は先の町へと流れていきました。
地蔵経を唱えて門に立ち、お布施として頂いた銭や食べ物は、知り得た不幸な子供たちに分けてやります。本当に親も家もない子供は、自分の宿へ連れて帰り、奉公先まで探してやるのです。
戦国の世に見捨てられている幼い者たちのために、竹生島の神官・菊村宮内は、ついに琵琶湖の外へまで出て、地蔵行者として愛を広めようとしていたのでした。
ちょうど、甲府の城下へ入ってから二日か三日目の昼のことです。
宮内は、馬場のはずれにある飯屋の縄すだれを分けて中に入りました。
すると、そこの薄暗い土間の隅に、生意気な格好をした少年がひとり、樽で作った床几(しょうぎ)に腰掛け、頬杖をつきながら箸を持っていました。
「おい、おやじ」
と、その生意気な少年が、自分より年上の亭主に言います。
「なんだい、この魚は? いくら山国の甲府だって、もうちょっと気の利いたものはないのかい」
「それは『やまめ』と申しまして、皆様に喜んでいただいている魚でございますがね」
「みんな田舎者だから喜ぶんだよ。おれなんか、京都で散々贅沢をしてきたせいか、こんな古いものは食えねえや。ベーッ、ベーッ、あー、まずい。なんかほかの食べるものを出しなよ」
「では、こんにゃくとお芋はどうでございましょう」
「芋なんて下等なものは嫌いだと言ってるだろ」
「へえ、蓮根、焼き豆腐、ほかには干したタコを煮たものくらいでございますが」
「ちっとも食欲をそそらないな」
「さようでございますか」
「……干したタコを出せ。我慢して食べてやるから」
そう言って、少年は箸で皿をつつきました。
恐ろしく威張った生意気な態度で、まるで大名の息子のような口のきき方です。都会の少年というのは悪い癖があるものだな、と菊村宮内が何気なくひょいと目を向けると、そこには都会育ちではなく、裾野育ちの顔がありました。竹生島でさんざんお粥をうまそうに食べていた、あの蛾次郎(がじろう)ではありませんか。
「あれッ……?」
蛾次郎は目を丸くして、菊村宮内の顔を見ました。
そして、しゃぶっていた箸でポンと打つような真似をしながら、
「めずらしいなア、ええっ、どうしたえ、大将!」
宮内は呆れ返って、返事のしようもない顔つきで立ち尽くすのでした。長い間、薬や食事の世話をしてあげた命の恩人――その恩を忘れるのはまだしも、いきなり大人を捕まえて、頭ごなしに「大将!」とは。
「おや、おまえは……」
宮内はさらに目を丸くして、蛾次郎の前にある一本の徳利と、彼の真っ赤に染まった顔をじっと見比べた。
「酒を飲んでいるな」
厳格な父親のような口調で言った。
「へへへへ」と蛾次郎は、さすがに気まずそうに頭をガリガリと掻いて、
「今日が初めてで、どんな味のものか試してみたんです」
「うまいか?」
「さっぱりおいしくねえや。なんで大人はこんなものを飲むんだろうな」
「酒は『狂水』といって、頭のいい人間さえもダメにしてしまうものだ。ましてや、おまえのような低能な者が親しめば、もうまともな人間にはなれなくなる。わしの見ている前で捨ててしまいなさい」
「ヘイ……」
「それに、おまえはさっき、ひどく贅沢なことを言っていたな。もったいないという心を忘れてはいけない。この戦国、今の修羅の世の中には、飢えて食べ物を求めても、ひと握りの粟(あわ)さえ手に入らない人がいるのだ」
「はい、わかりました。えらい人に会っちゃった!」
「ところで蛾次郎、おまえ、最近は何をしているのだ?」
「親方の卜斎(ぼくさい)について、甲府城のお長屋に住んでいます」
「おお、卜斎殿もこの土地に来ているのか」
「小太郎山で、すてきな手柄を立てたんで。はい、それから大久保家の知遇を得ました。元木がよければ末木まで、おかげさまで蛾次郎も、近ごろはぼつぼつお小遣いをいただきます」
「けっこう、けっこう」
宮内は自分のことのように嬉しくなった。
「なるべく身をつつしんで無駄遣いをせず、お金を大事に持たなければいけない」
「お金を貯めてどうするんだろう」
「哀れな人たちに恵んでやるのじゃ。それほど気持ちのいいことはないぞ」
「な、なーんだ、つまらねえ」
そう言って、干したタコをつまんで口の中へ放り込み、ご飯を茶碗に盛ろうとしたその時、入り口の縄すだれがバラッと動いた。
ぬっと入ってきたのは、いかつい体格で、工匠袴(こうしょうばかま)をはいた鼻かけの卜斎だった。
ギョロッと店内を見回して、
「亭主、うちの小僧は来ていなかったかい?」
と聞く。
亭主は後ろを振り返った。
見ると、蛾次郎は茶碗としゃもじを持ったまま、台の下へ潜り込み、しきりに変な目つきをして、首を振っている。
「へえ、おりませんが」
「困ったやつだ……」
と、卜斎は舌打ちをして、
「おれは見ないのでよく知らないが、城内の仲間などのうわさによると、近ごろ蛾次郎のやつめ、この馬場の近所で『水独楽(みずごま)』というのを回し、芸人の真似をして、銭をもらっては買い食いをして歩き回っているそうだが」
「ははあ……」
亭主は初めて知ったような顔をして、台の下にしゃがんでいる蛾次郎をちらっと見た。
(頼む、頼む、頼むよ、後生だ!)
蛾次郎は台の下で、ご飯粒だらけの手を合わせて拝んでいる。
その時、タイミングよく宮内が横から立ち上がり、
「卜斎殿」
と声をかけた。
「おお!」と驚いて――
「菊村殿じゃないか。あまり姿が変わっているので、少しも気がつかなかった。どうしてこの甲府へ?」
「出かけましょう、ご一緒に」
「おお、今夜はわしの家へ来てお泊まりなさい」
地蔵行者と卜斎は肩を並べて、飯屋の軒先を出ていった。
蛾次郎は台の下から這い出して、
「ああ、天佑(てんゆう)!」
とお茶をかけて、じゃぶじゃぶと四、五杯のご飯をかっこみ、頃合いを見計らってそっと戸外へ飛び出した。
久しぶりに甲府という都会の雰囲気を味わった蛾次郎には、さまざまな食べ物への欲望、見たいものや聞きたいものの誘惑、何を見ても買いたい物、欲しいものだらけであった。
だが、やかましい親方の卜斎は、小言と拳骨をくれることはあっても、蛾次郎の欲望を満たすようなお小遣いをくれるはずがない。
蛾次郎の不良性はそこから悪知恵の芽をふき、ある手段を思いついた。
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