そんなことはどうでもよい!
おまえには、また別の大事な言い付けがあるのじゃ」ほかならぬ、これから富士の人穴へ行って、そこに住んでいる和田呂宋兵衛という盗賊のかしらに会ってくるのじゃ。
しかし、普通の方法ではすぐに怪しまれてしまうから、あくまでおまえは子どもらしく振る舞い、いざとなったらこうこうこう言うのじゃぞ……」
と、居士はあかざの杖を使って、なにか細かく地面に書いて教えたり、耳元でひそひそとささやいて秘密の作戦をしっかりと頭に叩き込んだあと、
「いいか、そこで呂宋兵衛がうまうまとおまえの言うことに乗ってきたとみたら、すぐに、五湖の白旗の宮におられる武田伊那丸君をはじめとするみなさまにお知らせするのじゃ。とても大事な大役なのだから、ふざけたりせず、しっかりやり遂げなければなりませんぞ」
「かしこまりました!
ですが、お師匠さま……」
「鷲がいないと言いたいのだろう。
いま本物のクロを呼んでやるから、しばらくそのへんで待っていなさい」
「はい!」
竹童はそこでやっと落ち着いて、あたりを見回した。
ところで、ここはいったいどこの何山なのだろう?
さっきまでのすごい大雨もすっかりやんで、空は透き通るようなルリ色に晴れ渡っているけれど、下のほうを見下ろすと果てしない雲の海が広がっている。
それだけでもここはかなりの高い山にちがいないけれど、山そのものがまるで本物のお城の壁のようになっていて、ところどころに人工的な工夫のあとも見られる。
すると、コーン、コーン、コーンと、山の奥のほうから石を切り出すような音が聞こえてきた。
かと思えば、ザザザザーッと谷を削るような激しい響きもしてくる。
竹童が「この深い山の中に、いったいなんだろう?」と不思議に思いながら、キョロキョロとあたりを眺め回していくと、まるで神様が斧で切り開いたような石の門、うねうねと長く続く柵、谷にかかる橋や、カゴを使った渡し舟など、昔話に聞いた中国の蜀(しょく)の山道そのままで、めったに見られないようなすごいお城の造り方が取り入れられた、天然の要塞(ようさい)そのもののすごい自然城だった。
「ここはとんでもないすごいところだなァ。いったいなんのためにこんな砦(とりで)があるんだろう?」
竹童が不思議そうな顔をして元の場所に戻ってくると、いつの間にか、本物のクロがお師匠さまのそばにきちんとおとなしく控えていた。
「竹童、急いでしたくをして出かけなければならぬ。
準備はできているか?」
「はい、いつでも大丈夫です!
けれどお師匠さま、出かける前にひとつ聞いておきたいことがあるのですが」
「そんなことを言っているうちに時間がすぎてしまうぞ」
「いいえ、たった一言だけ! いったいここはどこの何山で、だれが持っている砦なのでしょうか?」
「おまえのような子どもは知らなくてもいいことだが、お使いを頑張るご褒美として教えてやろう。
ここは甲斐(かい)と信濃(しなの)と駿河(すなが)の国境、山の名は小太郎山(こたろうやま)じゃ」
「えっ、小太郎山……?」
「この砦にこもっておられるお方は、ほかならぬ武田伊那丸(たけだいなまる)さまだ」
「えっ、ここがあの小太郎山で、伊那丸さまが立てこもる秘密の本拠地なのでございますかッ!」
深いわけはまだよくわからないけれど、竹童はそれを聞いて、なんだか胸がドキドキして血がたぎるような気がし、自分も甲斐源氏の旗上げに協力する仲間の一人になったような気持になって、勇気がわいてきたのだった。
奇童と怪賊問答
一
富士山のふもとに、数千人の野武士(のぶし)を従えて勢力をふるっていた山大名・根来小角(ねごろこかく)は滅ぼされてしまった。
しかし、野盗たちの隠れ家である「人穴(ひとあな)」のすごい大殿堂は、小角が滅びたあともそのまま残っており、そこには新しい主が住みついていた。
それが、和田呂宋兵衛(わだろそべえ)という恐ろしい怪人だった。
あんなにしたたかで強かった小角が、どうして滅ぼされてしまったかといえば、自分が一番信用していた腹心の部下である、この呂宋兵衛に裏切られたからだった。つまり、飼い犬に手をかまれたようなものだったのだ。
「呂宋兵衛」というのは、仲間内での通り名である。
もともとの名前は和田門兵衛(わだもんべえ)といい、長崎からこの土地へと流れてきた南蛮人(なんばんじん)の血を引く混血児だった。
右の腕には十字架、左の腕には「呂宋(ルソン)」の文字の入れ墨をしていたことから、野武士の仲間たちは門兵衛のことを「呂宋兵衛」と呼ぶようになったのだ。
また、青い目と赤い髪、まるで金色のクモのような気味の悪いその姿も、「呂宋兵衛」という名前によく似合っていた。
呂宋兵衛は富士の人穴にやってきてから、あっという間に小角のいちばんのお気に入りとなった。
彼の父親が南蛮人のキリシタンだったこともあり、呂宋兵衛も若いころから修道者としてすごし、いわゆる「切支丹流(きりしだんりゅう)」の妖術や幻術を極めていたのだ。
小角はその腕前を見込んで重く取り立てたのだった。
しかし、もともと心がねじ曲がって意地悪な呂宋兵衛は、出世した途端に調子に乗り、悪い陰謀を企みだした。そしてずる賢い作戦で小角をだまし討ちにして殺し、部下の野武士たちを手なずけて、人穴の殿堂をすっかり乗っ取ってしまったのだ。
小角の一人娘である咲耶子(さやこ)は、父親といっしょに殺されそうになり、あやうく呂宋兵衛の魔の手にかかるところだった。しかし、主君への忠義を変えない七、八十人の野武士たちが彼女を守り、いっしょに山のふもとへと身を隠したのだった。
そして彼らは、どんなにつらい苦しみを味わっても、いつか必ず呂宋兵衛を倒して、亡くなった小角の魂をなぐさめなければならないと誓い、毎日野原に出ては武術の稽古(けいこ)に励み、敵をやっつけるための作戦を考えることに夢中になっていた。
――そんな健気(けなげ)な乙女の心を天もあわれんだのだろうか、彼女は偶然にも、今日、伊那丸とその仲間たちと出会うことができたのだった。
かつて、伊那丸が人穴の殿堂にとらえられてピンチだったとき、咲耶子のやさしい手によって救い出されたことがある、あの咲耶子その人である。いや、そんなことがなくっても、思いやりのふかい伊那丸と、熱い正義感にもえた勇士たちは、きっと咲耶子の味方になることをためらわないだろう。
そのころ、山大名の呂宋兵衛は、すそ野へかくれた咲耶子の動きから目を離さず、毎日十数人ものスパイを放っていた。
今日も、途中で大雷雨にあってびしょぬれになりながら、馬を飛ばして人穴へ帰ってきた三人のスパイが、すぐ呂宋兵衛の前に進み出て、五湖のまわりで起きた大事件を報告した。
「おかしら、一大事でございます!」
「なんだ、一大事だと?」
いつも贅沢(ぜいたく)な暮らしをしながらも、心の中では絶えず不安にびくびくしている呂宋兵衛は、手から琥珀(こはく)の盃(さかずき)を取り落とした。さらに、スパイたちが探ってきた詳しい情報――伊那丸と咲耶子の動きを聞くにつれて、その顔色はますます青ざめ、恐ろしさに震えた。
コメント