初級翻訳・神州天馬侠 第39話

吉川 英治

周りに並んでいるのは鬼のように荒々しい武骨者ばかりで、ここはまるで大きなお寺の本堂のような薄暗い大広間です。ふつうの子どもなら、こんな場所では生きた心地もしないはずですが、竹童はケロッとした顔で言いました。
「うわあ、呂宋兵衛って外国の血が混ざっているんだね。
京都の南蛮寺(なんばんじ)にいるバテレン(宣教師)にそっくりだな……」
 口には出さないものの、めずらしそうに目を丸くして見つめる竹童を、呂宋兵衛は「小僧っ!」とにらみつけ、一喝(いっかつ)しました。
「なんだい、おいらにゃ竹童っていう立派な名前があるんだよ」
「だまれ! 様子からすると、きさまは伊那丸(いなまる)のところから放たれたスパイにちがいない。きっと屋根の上にいて、いまの作戦会議を盗み聞きしていたんだろう!」
「知らない、知らない!
おいらはそんなこと、なにも知らないよ」
「いや、お前のその鋭い目つきは、きこりや炭焼きの子どものものではないことは明らかだ。
いったい誰に頼まれてここへ来たのだ?
首がとばないうちに白状してしまえ!」
「おいらがスパイだったら、おじさんたちに自分の姿なんか見せるもんか! おいらは天道さまの前だろうがどこだろうが、後ろめたいことは何ひとつないから平気なのさ」
「うーむ、まったくその通りかもしれないぞ……」
「ああ!
そう考えると、おじさんたちはかわいそうだね。モグラみたいに、日の当たる明るいところを堂々と歩けない商売だから、おいらみたいなチビが一人飛び込んできただけでも、そんなにびくびくしちゃうんだ」
 不敵な笑みを浮かべる竹童の顔をじっと見つめていた呂宋兵衛は、言葉で問い詰めても無駄だと悟りました。彼は口をグッと結び、黙ったまま右手の人さし指をスッと動かし、天井から竹童の頭の上へと宙に文字を書くような仕草をしました。
「おや?」
 と竹童が何かに気づいて手を伸ばすと、天井から一筋の絹糸のようなものが垂れてきて、首もとから手に伝ってきたのは一匹の金色の蜘蛛(くも)でした。
「キャッ」と言うのかと思いきや、竹童はニッコリ笑っていきなりその蜘蛛をわしづかみにし、大きなお口の中に放り込むと、ムシャムシャと美味しそうに噛み砕いてしまいました。
「む、む……」と、呂宋兵衛はいよいよ油断のない目で、少年の行動をじっと見守ります。すると竹童は唇をすぼめ、口の中で噛み砕いていたものを、
「プッ――!」
 と呂宋兵衛の顔めがけて吹きかけました。
――その口から飛び出したのは、きたない食べかすなどではなく、美しい一羽の毒蝶(どくちょう)でした。それはヒラヒラと毒の粉を散らしながら舞い上がります。
「エイッ!」
 呂宋兵衛が扇子でバシッと打ち落とすと、蝶の死骸はもともとそこにあった一枚の白い紙に戻っていました。
「わかったぞ、きさまはあの鞍馬山(くらまやま)の果心居士(かしんこじ)の弟子だな!」
「だから、竹童っていう名前があるってさっき言ったじゃないか」
「さては、ふつうのことには驚かないはずだ。しかし、あの有名な果心居士の弟子が、ここが富士の山大名のお城と知らずに来るわけがない。いったいどんな用件だ、改めて聞かせてもらおうか!」
「ふむ、そんなふうに丁寧におっしゃるなら、わたくしがお師匠さまから預かってきたお使いの用件を、素直にお話ししましょう」
「では、果心先生からの、この呂宋兵衛への伝言でござるか?」
「そのとおりです。
さて、お師匠さまがお伝えしたかったのは、こうです。きょう何気なく鞍馬から富士山のあたりを見たところ、不吉な殺気がモクモクと立ち上り、ただならぬ大戦争の前触れがはっきりと見えたのです――」なんとふしぎなことに、いまや天下は信長公が亡くなり、西には秀吉、東には徳川や北条、そして北国には柴田、滝川、佐々、前田といったそうそうたる顔ぶれが互いに天下を狙っています。しかし、どの勢力もまだここぞという時に動かない今日このごろ、いったい何者たちが動いているというのでしょうか。ご存じかもしれませんが、先生が大切に隠し持っている亀の甲羅を使った占い(亀卜)をカランと投げ出して占ってみたのです」

「おおっ!」

 呂宋兵衛(るそんひょうえ)はもちろんのこと、まわりに控える荒くれの猛者たちも、このふしぎな子どものよどみない話しぶりに圧倒されて、せき払いひとつ立てられません。広々としたお堂は、まるで誰もいないかのようにシーンと静まりかえってしまいました。

三

 竹童は、ここで少し得意げになって、小さな体をちょこんと正座させ、両ひじを張って言葉を続けました。

「お師匠さまが、しみじみと占いの卦(け)の出方を考えましたところ、こうでございました。『富岳(ふがく)に二人の英雄(鳳雛)が生まれ、五つの湖に狂い風が吹き荒れ、大きな木が十の悪事を抱えて雷に裂かれる』と出たそうです」

「なに? 大木が雷に裂かれると易に出たというのか?」

 呂宋兵衛の顔色が土のように真っ青に変わるのを見て、竹童は手をふりながら言いました。

「おどろいてはいけません、それは穴山梅雪(あなやまばいせつ)の身の上でした。ですが、占いの裏を返して見てみますと、つまり裏の卦、いろいろな要素が入り交じって六十四卦すべての変化を表します。これによって結果を考えましたところ、今夜の夕方六時(酉の下刻)から夜十時(亥の刻)のあいだに、昼よりもっと恐ろしい大血戦が、富士山の裾野のどこかで起きるということがわかりました」

「むう、それは当たっていた……。で、勝負の結果はどうなるのだ?」

「それがですね。急にわたくしが鷲(わし)に乗ってまいりましたのもそのためで、残念ながらあなたの命は、今夜の夕暮れどきに西の空の星が落ちるとともに、亡くなった者たちの仲間入りをし、あなたを支える腹心の家来たちも半分以上が、あえない最期をとげることになってしまうそうです。これを、空の雲が崩れ落ちるような最悪の凶兆(きょうちょう)といいまして、めぐりあわせの運命ですから、もうどうしようもないことだと、お師匠さまもため息をついていらっしゃいました」

「えっ、なんだって!? それじゃあ呂宋兵衛の命は今夜かぎりで、腹心の家来たちも大半が滅びるというのか?」

「そうおっしゃったことはおっしゃいましたが、ここに一つだけ、助かる秘法があるのです。お師匠さまは、わたくしにその秘法を授けてくださいました。そして、『あなたに会って、ある質問の答えと引き換えにその秘法を教えてきなさい。ただし、呂宋兵衛はずるいやつだから、もしこちらの聞きたいことにちゃんと答えなかったら、何も言わずに逃げて帰って来い』と言いつかってまいりましたのです」

「待て待て、尋ねたいことがあるなら何でも答えてやるから、その最悪の凶兆を封じる秘法を教えてくれ!」

「ですから、まずはわたくしのほうの質問に答えてくださいまし」

「よし、何でも聞いてみるがいい」

「ではお聞きします!」

 と、竹童はやおら片ひざを前に出し、言いました。

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