さ、早く」
とせき立てたかれは、むりにかれの手をとって、築山から、城の土塀によじのぼり、狭間(さま)や、わずかな足がかりを力に、二丈あまりの石垣を、すべり落ちた。
途中に犬走りという中段がある。
ふたりはそこまでおりて、ぴったりと石垣に腹をつけながら、しばらくあたりをうかがっていた。
上では、城内の武士が声をからして、八ぽうへ手配りをさけびつつ、縄梯子(なわばしご)を、石垣のそとへかけおろしてきた。
南無三(なむさん)――とあなたを見れば、火の手を見た城下の旗本たちが、闇をついて、これまた城の大手へ刻々に殺到するけはいである。
「どうしたものだろう?」
さすの龍太郎も、ここまできて、はたと当惑した。
もう濠(ほり)までわずかに五、六尺だが、そのさきは、満々とたたえた外濠、橋なくして、渡ることはとてもできない。
ふつう、兵法で十五間以上と定められてある濠が、どっちへまわっても、陸と城との境をへだてている。
するといきなり上からヒューッと一団の火が尾をひいて、ふたりのそばに落ちてきた。
闇夜の敵影をさぐる投げ松明(たいまつ)である。
ヒューッ、ヒューッ、とつづけざまにおちてくる光――
「いたッ、犬走りだ」
と頭のうえで声がしたとたんに、光をたよりに、バラバラと、つるべうちに射てきた矢のうなり、――鉄砲のひびき。
「しまった」と龍太郎は伊那丸の身をかばいながら、石垣にそった犬走りを先へさきへとげのびた。
しかし、どこまでいっても陸へでるはずはない。
ただむなしく、城のまわりをまわっているのだ。
そのうちには、敵の手配はいよいよきびしく固まるであろう。
矢と、鉄砲と、投げ松明は、どこまでも、ふたりの影をおいかけてくる。
そのうちに龍太郎は、「あッ」と立ちすくんでしまった。
ゆくての道はとぎれている。
見れば目のまえはまっくらな深淵(しんえん)で、ごうーッという水音が、闇のそこに渦まいているようす。
ここぞ、城内の水をきって落としてくる水門であったのだ。
矢弾(やだま)は、ともすると、鬢(びん)の毛をかすってくる。
前はうずまく深淵、ふたりは、進退きわまった。
「ああ、無念――これまでか」と龍太郎は天をあおいで嘆息した。と、そのまえへ、ぬッと下から突きだしてきた槍の穂はなんだろう?
「何者だ!」
と思わず引っつかむと、それは、冷たいしずくにぬれた棹(さお)のさきだった。
龍太郎がつかんだ力にひかれて、まっ黒な水門から、いかだのような影がゆらゆらと流れよってきた。
そのうえに立って、棹を手ぐってくるふしぎな男はだれだろう? 敵か味方か、ふたりは目をみはって、くらい闇をじっとのぞきこんだ。
二
「お乗りなさい、はやく、はやく!」
いかだのうえの男は、早口にいった。
いまはなにを尋ねるすきもない。
ふたりは、ヒラリと飛びうつった。
ザーッとはねあがった水玉をあびて、男は力まかせに石垣をついた。
――いかだは外濠(そとぼり)の波を切って、意外にもはやく陸(おか)へとすすんでいく。
そして、すでに濠のなかほどまできたとき、
「そのほうは一体、何者だ。
われわれをだれと思って助けてくれたのか」
龍太郎がふしんな顔をしてたずねると、それまで黙々として棹をあやつっていた男は、はじめて口を開いてこういった。
「武田伊那丸さまと知ったうえでのことです。
わたくしは、この城の掃除番(そうじばん)、森子之吉(もりこのきち)という者ですが、もともと徳川家の家来ではありません」
「おう、そういえば、どこか甲州(こうしゅう)なまりの響きもあるようだ」
「何代もまえから、甲府のご城下にすんでおりました。
父は森右兵衛(もりうへえ)といって、お館(やかた)さまの足軽でした。
ところが、運わるく、長篠(ながしの)の合戦のときに父の右兵衛がとらえられてしまったのです。そのため、わたくしも心ならずも徳川家に降(くだ)っていましたが、ささいなあやまちから父は斬罪(ざんざい)になってしまいました。
わたくしにとっては怨みこそあれ、もう奉公する気にもなれない浜松城をすてて、一日もはやく故郷の甲府にかえりたいと思っているうちに、武田家は織田・徳川のためにほろぼされ、いるも敵地、かえるも敵地というはめになってしまいました。
ところへ、ゆうべ、伊那丸さまがつかまってきたという城内のうわさです。
びっくりして、お家の不運をなげいておりました。
けれど、今宵(こよい)のさわぎには、てっきりお逃げあそばすであろうと、水門のかげいかだをしのばせて、お待ちもうしていたのです」
「ああ、天の助けだ。
子之吉ともうす者、心からお礼をいうぞ」
伊那丸は、この誠実な若者を、いやしい足軽の子だなどとさげすむ気には到底なれなかった。
何度も何度も、頭をさげて礼をくり返した。
そのうちに、いかだはどんと岸についた。
「さあ、おあがりなさいませ」と子之吉は、アシの根をしっかり持って、いかだを食いよせながら言った。
「かたじけない」と、ふたりが岸へ飛びあがると、
「あ、お待ちください」と、あわててとめた。
「子之吉、いつかはまたきっとめぐりあうであろう」
「いえ、それより、どっちへお逃げなさるにしても、この濠端(ほりばた)を右にいってはいけません。
お城をかためる旗本屋敷(はたもとやしき)が多いなかへはいったら、まるで袋のねずみです。
どこまでもここから左へ左へとすすんで、入野(いりの)の関をこえさえすれば、浜名湖(はまなこ)の岸へでられます」
「なに、ではこの先にも関所があるのか」
「ごあんじなさいますな。ここに蓑(みの)と、わたくしの鑑札(かんさつ)があります。
お姿をつつんで、これをお持ちになれば大じょうぶです」
子之吉は、下からそれを手渡しすると、岸をついて、ふたたびいかだを濠のなかほどへすすめていったが、にわかに、どぶんとそこから水けむりが立った。
「ややッ!」と、岸のふたりはおどろいて手をあげたが、もうなんともすることはできなかった。
子之吉は、いかだをはなすと同時にわきざしをぬき、みごとに自分ののどぶえをかっきったまま、濠のなかへと身を沈めてしまったのである。
後日に、徳川家の手にたおれるよりは、かつての主君の若君のまえで、恩に報いる一死をいさぎよくささげることが、森子之吉の本望だったのだ。
怪船と巽小文治(たつみこぶんじ)
一
伊那丸と龍太郎が外濠をわたって脱出したことを、やがて知った浜松城の武士たちは、にわかに追手を組織して、入野の関へと走った。
ところが、すでに二刻(にこく)もまえに、蓑をきた二人の者がこの関へかかったが、足軽鑑札を持っているので、夜中ではあったが通したということだった。そのため討手(うて)の者たちは、地だんだをふんでくやしがった。
そして長駆(ちょうく)して、さらに次の浜名湖の渡し場へと急いだ。
いっぽう、伊那丸と龍太郎のふたりは、しゅびよく浜名湖のきしべまで落ちのびてきたが、一難去ってまた一難、ここまできながら一艘(いっそう)の船も見あたらないので、むなしくあっちこっちへとさまよっていた。
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