お粥の湯気を見ると、空腹で喉から手が出るほどだったはずなのに、蛾次郎はプンプンと怒った。
「けっ、またお粥かよ、おじさん」
「じっとしている間は、まあこれで我慢しなければいけないよ」
「冗談じゃないぜ。俺なんて、裾野にいたときから、ずっと奈良や京都の方を見物して歩いていたときだって、こんなまずいものを一度だって食ったことはありゃしねえ」
「ほう、お前はそんな贅沢をしていたのか」
「そうさ。俺はこう見えても、徳川家へ行けば羽振りがきくんだからな。浜松にいる菊池半助という人を知っているかい。おじさんなんか知るめえ。隠密組で一番っていう人だよ。俺はその人にずいぶん小判をもらったぜ。使いきれないほどあった――ああ、つまらねえ。また浜松へ行って、少し金をせびってこよう」
一人でペラペラしゃべりながら、まずいと言っていたお粥を一粒残らずなめてしまった。そして、すぐにゴロリと横になって手枕をしながら、生意気そうな鼻の穴を宮内の方に向けた。
「おじさん、いまお前は、この向こうにいる竹童のところで、何かコソコソと耳打ちをしていたろう」
「うむ。お前と仲を良くしないかと、その相談をしていたのだ」
「クソ食らえ――誰があんな奴と仲を良くするものか。俺は徳川びいきだし、あの竹童って奴は、山乞食の伊那丸なんてガキや、嫌な坊主に味方をしているんだ」
「では、どうも仕方がなさそうだな……二人の気が折れて、仲を良くするというまで、この塔に入っていてもらうよりほかに方法はあるまい」
宮内は竹童が食べた土鍋の空と、蛾次郎が食べた空の器を両手に持って、社家の方へ戻っていった。格子の隙間からその背中を見て、蛾次郎は出る限りの悪態をついた。
「おい、早くここを出してくれよ。行ってしまっちゃいけないよ! おい神主! つんぼか唖か、でくの坊か! おい、聞こえないふりをして行くな。オーイ、バカ神主め、俺をいつまで竹生島へ置いておくんだ。返せ、返せ、返してくれ! 返さねえと、いまに弁天様へ火をつけるぞ!」
仰向けに寝ながら、足で床板をドンドンと踏み鳴らし、口から出放題に当たり散らしていると、その仕切りの板の向こう側で、「やかましい!」と、小気味よい一喝が突き刺さった。
「おや、なんだと!」
ムクムクと身を起こした蛾次郎。
「なにがやかましい!」と負けずに怒鳴り返した。だが、自分の声がガーンと暗い塔の内部に響いただけで、もう向こうにいる竹童は、それきり彼の相手をしてはくれなかった。
火独楽と水独楽
一
強がりで横着で、すぐにつけあがる泣き虫の蛾次郎。いざとなれば声を張り上げてわめくくせに、向こうで黙り込まれると、その足元につけこんで「おい、竹童!」と、こちらから喧嘩をふっかける。これだから菊村宮内も、この性の合わない二人を一つの自分の手にすくって、難儀しているところなのだ。
なんとかして仲を良くしてやりたいとは考えているが、なにしろ蛾次郎は、体を養生するうちに菊村宮内の優しさに慣れ、すっかり増長している気配がある。これではとても竹童と手を握って、心から打ち解けることなどできそうもない。
「おい、何か言えよ!」
業を煮やして蛾次郎は、境の板をドンドンと叩いた。すると、向こうにいてじっと我慢をしているらしい竹童も、ついに堪忍袋の緒を切って、「黙れ、狂人!」と叱りつけた。
「なに、狂人だと! 俺のことを狂人だとぬかしたな。生意気な! いまに野郎、覚えておけよ。ふーんだ――いまにこの島を出てみろ、あの大鷲をまた俺の手に取り返して、貴様たちに目にもの見せてやるから」
「井の中の蛙――お前なんかに天下のことがわかるものか。この島を出たら、分相応に人の荷物でも担いで、その駄賃で焼き餅でも頬張っていろよ」
「余計なおせっかいを焼くな!」「てめえこそこの島から出されたら、また八幡神殿の床下で、物乞いの真似をするより道がねえから、そうしておとなしくしていやがるんだろう。武田伊那丸だって、忍剣とかいうやつだって、龍太郎という間抜けだって、てめえの味方はみんなロクでもねえ山乞食ばかりだ」
「うぬッ、伊那丸さまのことをよくも悪く言ったな!」
「おいおい、どっちもここから出られないと思って、強そうなことを言うなよ。殴れるものなら殴ってみろ。手が痛くなるだけだぞ」
「バカ! こんな細い木の格子ぐらい、破ろうと思えば破れるが、世話になった菊村さまに申し訳ないから、許しが出るまでじっと我慢して入っているのだ」
「ちぇっ! おつなことを言いやがって。腹の虫がチャラチャラ踊り出しそうだぜ」
「いい加減にしろ! 蛾次郎!」
「脅かすねえ。琵琶湖の水を飲んで、命拾いしたばかりの分際で」
「だから黙っていろと言っているんだ」
「そう言われれば、なおさら騒ぐぞ」
「勝手にしろ!」
「様を見やがれ、へこみやがって!」
「こいつ!」
と竹童が我を忘れて立ち上がった途端、ひょいと手をかけると格子の扉が、観音開きにサッと開いた。
「あッ――」
はずみを食って、塔の口から転がり出した瞬間、蛾次郎も仰天して扉を押した。すると意外や、そこも容易にパッと開き、籠の鳥が舞うように彼も外へと飛び出た。
――そうだ、菊村宮内は、さっき社家の方へ戻る時、いつものように外から錠を下ろしていなかったのだ。何か考え事をしていて、うっかりそれを忘れていたのである。
それはいいが、さてまたここに一大事。パッと両方の口から飛び出した蛾次郎と竹童とは、王庭に血戦を挑む闘鶏のように、じりじりと寄り合って、今にも掴み合いそうな格好をとった。
裾野以来――また、京都の八幡神殿以来――彼と彼とは、ますます怨みの深い仇敵となるばかりであった。ことに蛾次郎は、一度徳川家から甘い汁を吸わせてもらっているので、そちらに肩を持ち、竹童はそれを伊那丸とともに敵としている。また、今はどこの空へ飛んでいるか分からないが、あの大鷲を互いに我が手に収めんとする競争相手でもあった。蛾次郎は竹童を狙い、竹童は蛾次郎の息の根を止めてしまわなければ気が済まない。
ところが、蛾次郎も近ごろは以前よりだいぶ強くなってきた。もともと彼は石投げの天才であって、知能の点はともかく、度胸がつくとなると、どうして、容易に侮りがたい。ましてや今は、竹童も般若丸を宮内の手へ預けてあるし、蛾次郎もあけび巻の一腰を取り上げられているから、この勝負こそ、まったくの素手同士である。
「うーむ、よくも今は大きな口を叩いたな」
と、掌に唾を吐きかけながら竹童がじりっと迫ると、蛾次郎もまた腕をまくり上げて、
「こん畜生、もう一度琵琶湖の水を食らいたいのか!」
いきなり拳を固めて、稲妻のような力任せに、グワンと相手の頬骨を殴りつけた。しかし、なんのこれしき! と身を引いた鞍馬の竹童は、パッと身をかわしたので、二人はすれ違いに位置を取り替え、またそこで血走った目で睨み合った。
と思うと蛾次郎は、ふいに五、六間ほど飛び下がって、足元から小石を拾った。卑怯! 礫(つぶて)を掴んだな! と見たので竹童も、同じように大地のものを右手につかんだ。
だが、竹童の掴んだのは石でも土でもない。
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