あたり一面に、雪かとばかり白く散っていた、糸桜の花びらである。
花びらの武器? なんになるのか蛾次郎にはわからない。「畜生、少し血が上っていやがるな」と見くびって拾い取った石礫を、ピューッと敵の眉間へ打ち放すと、竹童はすばやく身を沈めて指の先から一片の花を揉み出し、唇へ当てて息を吹きかけた。かと思うと、それは飛んで一匹の縞蜘蛛となり、次の礫を狙いかけていた蛾次郎の鼻へこびりついた。
これはかつて竹童が、人穴城へ使者として行ったとき、呂宋兵衛の前で見せたことのある初歩の幻術で、きわめて幼稚なものであるが、蛾次郎は初めてなので驚いた。
「わッ」
と言って、思わず顔へ手をやった。すでに体勢は乱れた。
得たりと竹童、そこを狙って駆け寄るやいなや、さらに掴んでいた無数の花びらを、「ええいっ!」と力いっぱい蛾次郎の頭から叩きつけた。
おお、落花微塵。相手はふんぷんたる白点に包まれたかと思いきや、それとは違って、竹童の手からパッと生まれて飛んだのは、真っ黒な羽に赤い渦のある鎌倉蝶々。――蛾次郎の目へ粉をはたいて、すぐにどこかへ消えてしまった。すっかりうろたえた泣き虫の蛾次郎は、たわいもなく竹童に足をとられて転がされ、ギュッと喉元を締め上げられました。さらに恨みを込めた拳が雨あられと降ってきて、どこを殴られるかわからない状況です。さっきまでの強がりもどこへやら、鼻柱をへし折られた蛾次郎は、
「たっ、助けてくれーッ、神主さま、神主さま!」
先ほど、「ここから出してくれなければ火をつけるぞ」と悪態をついていた弁天さまのほうへ、声を振り絞って助けを求めました。
二
その晩のことです。
こぶだらけになった蛾次郎と、みみず腫れを作った竹童が、菊村宮内の住居でかた苦しく座らされていました。
昼間、もし蛾次郎がもう少し意地を張っていたら、竹童に締め殺されていたかもしれません。あのとき、すぐに宮内が駆けつけて仲裁に入ってくれたおかげで、蛾次郎の頭は多少の凹凸ができただけで済んだのです。
「なんとしても、ふたりは死ぬまで敵となり仇となり、仲良くはしてくれないのか。ああ……まことに困った因縁だ」
宮内はふたりの顔を見比べ、つくづくと嘆息しました。
どのような相手でも、真心から熱い慈愛を注ぎ込めば、曲がった竹もまっすぐになり、ねじけた心も正せると信じている宮内でしたが、竹童はともかく、蛾次郎の横着さとずる賢さ、そして強情さにはすっかり手を焼いていました。
こうした性質の悪い者について、日本では「天邪鬼」と呼び、西洋ではキリストの弟子の中に「ユダ」という男がいたことを、宮内はかつて宣教師の説教で聞いたことがあります。ユダの悪魔のような振る舞いにはキリストも手を焼き、他の使徒たちも眉をひそめて「あいつは真人間にはなれない」と言ったほどです。宮内は、蛾次郎もそれに近い人間ではないかと考えました。
「では、どうしようもないな。いつまでおまえたちをこの竹生島に鎖でつないでおくわけにもいかぬから、明日はふたりを向こうの陸へ送ってやろう」
とうとう宮内も諦めて、こう言い渡しました。
「まことに、長いあいだ手厚いお世話になりました」
竹童は礼儀正しくお礼を言いましたが、蛾次郎は「へん、お粥ばかり食わせておきやがって、偉そうな顔をしやがって」と言わんばかりに、顔のこぶを膨らませてそっぽを向いたままでした。
「だが……」と宮内は何かを考え、
「明日までにはまだだいぶ間がある。互いに顔を見ているとすぐに掴み合いをやりたくなるから、向こうへ行くまでの間、これをかぶって双方、口をきかぬことにしておれ」
そう言って奥から持ってきたのは、古い二つの仮面でした。
青い烏天狗の仮面を蛾次郎に、白い尊の仮面を竹童に手渡しました。
ふたりにそれをかぶらせてから、宮内はもう一つの箱を開け、目の前に妙なものを並べて見せました。
何事かと目を丸くした蛾次郎が、「おや、独楽(こま)だ!」と手を出しそうになるのを、「まあ、待ちなさい」と宮内が制しました。そして、両手に一つずつ独楽を持ち、ふたりに言い聞かせました。
「この古代独楽は、竹生島の宮にあった『火独楽』と『水独楽』という珍しいものだ。この火独楽を地に打って回せば、まるで火炎が燃え狂うかのように見え、この水独楽を空に放てば、燦々(さんさん)として雨のような玉露が降る……」
「おもしろいな!」
説明を聞いているうちに、蛾次郎はもうこぶの痛さも忘れ、盗んででも欲しそうな様子を見せました。
「こらこら、そうやっておもしろいことばかり聞いていては、わしが話をする意味がなくなる。まだこの独楽には不思議な力がたくさんあって、例えば自分の迷いを問いたいときや、進むべき方角を知りたいときに回せば、自然にその方角へ向くといったこともある。だが、あまり話すとまた蛾次郎が勘違いをするから、その話はもうやめておこう」
「おじさん、――じゃなかった。神主さま、もう蛾次郎も決して勘違いなんかしないことにいたします!」
「わかった、わかった。ところで竹童」
「はい」
「この赤い火独楽はそなたに進上しよう」
「えっ!」
声を上げたのは、独楽をもらった竹童ではなく、それを眺めていた蛾次郎でした。
「そ、それを竹童に? ……もったいないなあ。じゃあ、おれにもこっちをくれるんだろう?」
「やらないとは言っていない。この青い水独楽は、おまえにあげようと前から考えていたのだ」
「ちぇっ、かたじけねえ」
独楽を受け取った蛾次郎は、そのまま後ろへひっくり返って逆立ちでもしたいくらいでしたが、また叱られて取り上げられては大変だと思い、強く握りしめて踊り出したいのを必死にこらえていました。
「そこでだな、ふたりの者よ」
きりりと表情を引き締めた宮内は、少年の心理をしっかり掴んだところで、その本道を説こうとしたのです。「こんどはわしのいうことをきいてくれる番だぞ。よいかな。明日この島をでて、向こうの陸へあがってから、もうわしがそばにいないからよいと思って、その仮面をとるが早いか、喧嘩や斬りあいをするのでは、今日までの宮内のこころは無になってしまう」
「ごもっともでございます」
と蛾次郎、妙なところでやけに丁寧な返事をしました。
笑いもせず、竹童は真面目な顔で、
「それで、宮内さまのお頼みというのは、いったい何でございますか」
と固唾をのんで尋ねました。
「ほかでもない。ふたりの遺恨(うらみ)を、今日からこの独楽(こま)にあずけてしまって、互いに、討つか討たれるか、命のやり取りをしようという時には、この独楽で勝負をしてもらいたい。そうすれば、独楽はくだけても、そなたたちの体に怪我はできないから」
「わかりました」
「その儀、きっと承知してくれるだろうな」
「じゃあ、なんですか?」とまた蛾次郎が食い気味に反問しました。
「たとえば、わたしたちが争っている大鷲を、どっちのものにするかという時にも、つまり、この独楽の回しっこで決めるんですか」
「そうだ。
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