初級翻訳・神州天馬侠 第157話

吉川 英治

男たちは真っ黒になって茶店の入り口になだれ込み、宮内があっけにとられている隙に、床几(しょうぎ)の上に置いてあった地蔵菩薩の笈摺(おいずる)を、ひとりの男が土足でガラガラと蹴り落としました。
「ううむ……」
宮内の目尻が、怒りで真っ赤に裂けました。
いくら取るに足らないならず者とはいえ、一心に自分が信仰している地蔵菩薩のお像を、馬糞だらけの靴で踏みつけられては、もう我慢ができません!
見くびってくれたな、この青蠅どもめ!
今でこそ身は子供たちの友と親しまれ、背中には地蔵の慈愛を背負い、家々を回って施しを受け、旅から旅へさすらう流れ人ではありますが、竹生島で世を捨てて可愛御堂(えのみどう)の堂守となる前までは、これでも鬼柴田勝家の旗本として、戦場のど真ん中で人の生血をすすりながら戦い抜いた経験がある菊村宮内なのです。
「おのれ」
憤怒のあまり、ついに彼の手が脇差の柄に触れました。今にも、目にもの見せてくれんばかりに、ぶるぶると身を震わせました。
「おや、なんだそれは?」
「べらぼうめ、物乞いがそんな錆び刀なんぞをひねくり回したところで、誰が尻込みするものか!」
「さあ、出てこい、外へ!」
「その錆び刀の腕前とやらを見せてもらおうじゃないか」
宮内のただならぬ気迫に多少は驚いたものの、たかが地蔵を背負って歩く鉦叩きに、何の度胸があるものかと、頭から見くびって、思う存分に唾を飛ばして罵ります。今や、あの優しかった宮内の顔も、血を見なければ収まりそうもない殺気を放っていました。
だが。
彼はふと、そこへ蹴飛ばされて転がった地蔵菩薩のお像に目をとめました。
蹴られても、泥足で踏まれても、少しも変わらない、いつもの柔和でニコやかな慈愛の表情。
「あッ……」
彼は、刀の柄にかけた手を縛り付けられたように、よろよろと後ろへ身を引きました。
「誓いを忘れるところだった……ああ、悪かった」
そうつぶやくと、殺気の気配は一瞬で消え去り、彼の顔は地蔵の尊い微笑みに似てきました。
「バカ野郎め」
その瞬間、
「何を寝言を言っているんだッ」
ひとりの男の拳骨が、ガン!と頬骨が砕けるほど、宮内の横顔を張り飛ばしました。
「さっさと出ろ、出ろッ、外へ!」
蹴る、殴る、突き飛ばす。
宮内はそれらを甘んじて受け入れました。踏みつけられる土足の下であっても、地蔵菩薩と同じような微笑みを失ってはならないぞ、と自分の心を叱りつけたのです。
顔に吐きつけられた痰(たん)までも、彼は静かにおとなしく拭い去りました。
彼には誓いがありました。
武士を捨てて竹生島に隠れたとき、そして、地蔵菩薩の愛の旅に出るために島を出たとき、必ず「一生、刀は抜くまい」と心に誓ったのです。
今は乱世。血みどろの戦国時代です。人は旅をする時も、町を歩く時も、家に寝ている間も、刀を肌身から離せない世の中です。
けれど、人に愛を教え、不遇な子供たちの友達となり、人に弓矢や鉄砲以外の人生があることを悟らせようと志している自分が、その刀を頼りにしたり、殺生をしたりしてはならない。
どんなことがあっても、生涯刀は抜くまい。刀を差していても、決して手をかけるまい! 地蔵菩薩の慈愛を体得することを、決して忘れるまい!
固く、強く、それを胸の誓いとして、地蔵の御心と結び合わせている菊村宮内なのでした。「げじげじめ」
「たわけ野郎」
「ものもらい」
「ざまを見やがれ」
「くたばるまで蹴り転がしてやれ」
寄ってたかって殴りつけられ、杖や足蹴の嵐の下で、いつしか意識は朦朧(もうろう)とし、空さえ見えなくなってしまいました。

築城の縄取り盗み

一

ここに六万五千人もの人間が、地上に一つの巨大な建築を築き上げようと、まるで蟻のように土木の仕事に群がっています。
これが本当に人間の仕業かと驚くような巨城。
工事はあらかた完成に近づいており、秋晴れの空に鮮やかな建築のラインを描き出しています。
なんと素晴らしい城でしょう。
その規模の大きさは、古代ローマの城をも凌(しの)ぐほどであり、その工芸美の精巧さはバビロンの神殿にも劣りません。
武将の居城として、これほど大規模なものは、まだ日本には存在しませんでした。
いや、当時、海外から日本を訪れ、この工事を見聞きしたクラセやフェローといった宣教師たちでさえ、みな舌を巻き、その高さと大きさを詳しく本国へ報告していたほどです。
そこは――摂津国東成郡(せっつのくにあがりぐん)石山の丘。すなわち、大坂城の造営です。
城は本丸、二ノ丸、三ノ丸に分かれ、中央には八層もの天主閣が聳(そび)え立っていました。二重以下は総塗りごめ、五重には廻廊(かいろう)をめぐらせ、勾欄(こうらん)には鳳凰や龍の彫刻が施され、千畳敷(せんじょうじき)には七宝の柱が立ち、間ごとに万宝をちりばめて見上げれば棟瓦(むねがわら)までことごとく金箔(きんぱく)で飾られています。
大和川、淀川の二つの水を引いて作った濠(ほり)の長さを合計すると三里八町(約十二キロメートル以上)にもなるというのですから、どれほど大げさな築城であるかがわかるでしょう。

「ほう、また今日も、だいぶ大きな石が集まってくるな」
と、秀吉は子供のようにご機嫌です。
本丸の庭先にあたる山芝の高いところに床几(しょうぎ)を据えて、浪華(なにわ)の入江を眺めています。
派手な陣羽織に、きらびやかな鎧(よろい)。
服装は立派ですが、体の小さい秀吉は、床几から立ち上がっても五尺(約百五十センチ)あるかないかでしょう。
それなのに、これほど大きな城を築いておきながら、まだ自分の住居としては狭いような顔をしています。
片桐市正且元(かたぎりいちのかみかつもと)が床几のそばに膝をついて、
「左様でございます。今日の入船は大和の筒井順慶(つついじゅんけい)、和泉の中村孫兵次、茨木の中川藤兵衛、そのほか姫路からも外濠(そとぼり)用の大石が入港してくるはずでございます」
と答えました。
「あの堺の方から来る船列は?」
「三好秀次からご寄進の檜(ひのき)船ではないかと思われます」
「小田原の北条からも、伊豆石(いずいし)を寄進したいと、奉行へ申し入れがあったそうだな」
「家康殿からも、ご領地の巨木や人夫、おびただしい合力(ごうりき)をいただいております」
「あはははは」
秀吉はたわいのない笑い方をすると、
「それではまるで、他人がこの城を築いてくれるようなものだ。なぜだ? なぜそんなにしてまで秀吉の住居をみんなして作ってくれるのか」
と、いかにもとぼけた質問をして、そばに控えている片桐や福島、脇坂安治(わきさかやすはる)など、つい先だって賤ヶ岳(しずがたけ)で七本槍の名を上げた若い武将たちを振り返りましたが、またすぐに床几から腰を立てて、
「ううむ、壮観、壮観」
と、港の方へ小手をかざしました。

そこから見ると――
大坂はまだ三郷(さんごう)とも、城下町と呼べるような街並みを形成していませんが、急ごしらえの仮小屋が、まるで焼け跡のように立ち並んでいます。

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