この「肉屋に化けた人鬼」フリッツ・ハアルマンが逮捕されるきっかけとなった直接の証拠は、一枚のコートでした。
それは、犠牲者の中で最年少の、リストの二十五番目に出ているフリイドリッヒ・アベリンク(十歳、ラレンドルフ町在住)のコートだったのです。
しかし、これより少し前、ちょうどその頃、ハノーファー市のクロステル通り二二一番に、ヘルベルト・グランスという図書館員が住んでいました。
その息子をハンス・グランスといって、二十四歳になります。
この図書館員ヘルベルト・グランスの息子ハンス・グランスは札付きの不良で、フリッツ・ハアルマンと比べても、ほんの少ししか変わらないほどの悪党でした。
二十四歳という若造のくせに、詐欺、窃盗、女衒(ぜげん)で前科は何犯もあるという強者で、これがハアルマンと親分・子分の関係を結び、二人で美少年狩りを始めたのです。
美少年狩りといっても、ハアルマンの場合はただ子供を捕まえてどうこうするだけでなく、最後には殺して肉を売り、自分もその肉を食べ、古くなると腸詰にするという、人間離れした恐ろしい話でした。
さて、共犯者のハンス・グランスですが、彼もまた、前回述べた当時の社会情勢から、ハアルマンと同じように警察の回し者、スパイをしていました。
こうして二人とも警察とつながっていたからこそ、結果から見れば皮肉なことに、警察の守りがあるような状態で存分に悪事を働けたわけです。
先ほどの犠牲者リストを見ると、最年少は二十五番目のラレンドルフ生まれのフリイドリッヒ・アベリンクで十歳――この子のコートがきっかけとなって、直接的・間接的にハアルマンの逮捕と罪の告白に至ったのですが――最年長者は二十一番目のヘルマン・ボックで二十三歳、ミュンスター生まれとなっています。このことからもわかる通り、ハアルマンは十代の少年だけでなく、二十歳を超えた、美少年としては少し大人びた者も好みました。ハアルマンとハンス・グランスとの出会いも、最初はハアルマンが、やはり変態的な欲望と人肉売りの目的で、グランスをノイエストラッセの自宅の肉屋へ連れ込んだのが始まりでした。しかし、グランス自身も同じ方面の変態的な性癖を持っていたため、二人は大いに意気投合しました。その夜からグランスは女房気取りで、ずるずるとノイエストラッセの「人肉屋」に居座ることになったのです。グランスは小指の先が埋まるほどのえくぼがある、神経質で青白い顔をした、雌鹿のような目をした美少年――いや、美青年でした。少し文学青年のようなところもあり、一度も採用されたことはないのに、いつも正体不明の詩などを書いてはハノーファーの新聞に投書していたそうですから、私たちは、よくあるこうしたタイプの青年をすぐに思い浮かべることができるでしょう。この色白で痩せっぽちのグランスが「妻」役で、太っていていつもニコニコしている赤ら顔のハアルマンが「亭主」役でした。
二人は例の、文字通りの「人肉屋」を経営することになったのですが、この男同士の夫婦は、実によくしたもので、世間一般の夫婦とそっくりな組み合わせでした。
「結婚」して間もなく、文学青年気取りのグランスが権力を振りかざし始め、「家庭」におけるハアルマンは、グランスの尻に敷かれてぐうの音も出ないほどでした。
ドイツ語で「ねえ、あなた」なんて甘えていたのでしょうが、ハアルマンはすっかり骨抜きにされて、何と言われても「うむ、そうか、いいよいいよ」と従うありさま――とにかく、かなり愛し愛された仲だったようで、この珍妙な同棲生活は続いていきました。
この「妻」であるグランスに急かされる形で、ハアルマンはさらに恐ろしい犯行を重ねていったと言われています。
似た者同士、いわゆる「鬼夫婦」の二人です。
店に「柔らかい子牛の肉(という名の犠牲者の肉)」が少なくなると、グランスにやいやいと急かされるため、ハアルマンは夜の停車場へ出かけていっては少年を探してくるのでした。
「結婚」してからのハアルマンは、常にグランスの手のひらで踊らされていたのです。
ここで、当時の記録に残っている妙な表現を紹介しましょう。
一九二四年七月三十一日の裁判の場で、ハアルマンが惚気(のろけ)混じりにこう証言しました。
「グランスは毎晩ベッドで、私の脇腹にぐりぐりと肘を当てながら、甘えた声で何かをささやくのです。そうされると不思議なことに、私は何事も彼の望む通りにしなければならないような気がしてくるのです。そして、すべてを彼の言う通りにいたしました」
この証言の「彼」が「彼女」であれば、ごく普通の夫婦生活の一場面として何ら不思議はありませんが、それが男同士のこととなると、なんとも気味が悪く、グロテスクな限りです。
おまけに、ただの変態的な告白かと思って聞いていると、さすがはハアルマン、抜け目がありません。後になってからこう言い出したのです。
「ですから、それ以降の事件はすべてグランスが主犯で、私は単に彼の命令通りに動いただけなのです」
こうして、巧みに自分から責任をそらそうとしたのです。
同じノイエストラッセには、界隈の不良たちの溜まり場である「カフェ・クルウプケ」という店がありました。
二人はこの店の常連で、夜遅くまでビールを飲んでいる二人の姿が、通りからもよく見えました。
そこを拠点にして、近くのダンスホールなどを回って歩くのです。
そして毎晩明け方近くになると、二人は肉店の前まで戻ってきて、グランスは家に入ります。
ハアルマンはそれから、停車場の方へ「稼ぎ」に出かけるのです。それがほぼ毎晩のルーチンでした。
ハアルマンの肉屋で殺した少年の肉を継続的に売っていたことは確実な事実であり、逮捕後に店にあった肉を科学的に調査したところ、その大半が人間の肉でした。
腸詰(ソーセージ)もすべて人間の肉で作られていたのです。
しかし、当局はあくまでこの事件を単なる常習的殺人事件として扱い、人肉の販売や人肉ソーセージの件については、公判でも一言も触れませんでした。それどころか、当時は報道規制が敷かれ、誰もその事実を知ることはありませんでした。
長年商売をしていたため、決まった客も相当多く、その人々は朝晩ハアルマンの店の肉を食卓に並べていたのですから、世間のパニックや騒動を防ぐために、これは当局として賢明な判断だったと言わざるを得ません。
ロッテ少年から最後のハナペル少年に至るまで、犯行の手口はどれも似たり寄ったりでした。
いつも停車場で居眠りをしている家出少年の中から犠牲者を物色し、ハアルマンが刑事のような顔をして連れ込むか、たまにグランスも出向いていって、馴れ馴れしく話しかけて連れ帰ってきました。
二人で暴行を加えながら何日か生かしておいた後、商売用の大きな包丁で「処理」し、骨は溜めておいて、そのほとんどをライン川へ投げ込みました。
衣類や所持品は安値で古着屋に売り飛ばして小遣い稼ぎをし、その金でカフェ・クルウプケへビールを飲みに行くのです。
殺害の具体的な方法などの細部を語ることは、無意味なうえに伏せ字の連続になってしまうので割愛しますが、実際に殺害を行う際は、すべての事件を通じてフリッツ・ハアルマンが単独の実行犯であったことは言うまでもありません。
コメント