初級翻訳・肉屋に化けた人鬼 第2話

牧 逸馬

ウィイツェル町のロッテの家で、母のゲルトルウト・ロッテ夫人が家出した息子の身の上を案じて狂ったようになっていたところ、少年が失踪した二日目に、戦争から戻った夫のピアノ調律師ラインハルト・ロッテが帰ってきました。
そこで夫婦は相談して、近隣各市の警察へフリイデルの捜索願いを出したのですが、あのフリッツ・ハアルマンがハノーファーの駅の待合室でフリイデル少年に近づいていた頃、どのような巡り合わせか、その捜索願いの一つに動かされて、すでに同市警察は動き出そうとしていたのです。
ベンチで眠っているところを叩き起こされたフリイデル・ロッテは、ハアルマンを警察の人間だとばかり思い込んで、必死に助けを求め始めました。
実はこのハアルマン、もちろん刑事ではありませんでしたが、その下働きのような格好で、警察の仕事を手伝ってもいました。
いわゆる民間探偵――囮(おとり)――というやつで、少し妙な話ですが、これについては後で説明します。
日本で言えば、ちょうど江戸時代の岡っ引きに相当する役柄ですから、もっともらしい顔をして「警察の者だ」と言ったに違いありません。
相手は、いくら不良だとはいえ十二歳の子供です。
逆らえないと知って震え上がる美少年を急き立てて、腹に一物あるハアルマンは変態的な情炎を燃やしながら停車場を出ました。
二人が連れ立って停車場を出るところを、同じ不良で放浪仲間のユダヤ人の少年エリヒ・ホルトハウゼンが見ていたのですが、ハアルマンはそれに気づきませんでした。
そのままツェラー通りの店の二階へフリイデルを連れ帰り、その夜は美味しい食事と暖かい寝床を与えて休ませました。そして翌朝、少年に暴行を加えようとすると――ここから先は一九二四年七月三十日以降の裁判において、犯人ハアルマン自身が自慢げに語った陳述です――すでに年上の悪友からそういったことを知っていたらしいフリイデル少年は、恐怖や混乱を見せることもなく、かえって薄化粧までしてハアルマンの機嫌を取り、そのたびに彼の欲望を満足させたといいます。
こうしてハアルマンは、十一月二十三日から四日間、この美少年と奇怪な生活を送りましたが、その間、近所の人は誰もハアルマンの家に少年の泊まり客がいることなど気づきませんでした。
自白によると、冬のことなので、高温に保った寝室に裸にして監禁し、連日連夜、凌辱したと言っています。
しかし二十七日になると、その寝室にも少年の姿は見られなくなりました。
そして翌二十八日の朝、ハアルマンは例によって「血だらけの前掛け」をして、狭い店でせっせと「何か」の肉を切っていました。
肉屋にとって「血だらけの前掛け」は付き物です。
脇にあるブリキ缶に大小の骨の破片が投げ込まれているのも、肉屋の店では見慣れた景色でした。
近所の奥さんたちが買い物にやってきます。
ハアルマンの背後の壁、釘に刺さって血を垂らしている大きな肉片は、「今朝早く屠殺したばかりの子牛」だそうです。
柔らかいことは保証するとのこと。
おまけに、破格の安さでした。「仲買の手を通さないから安くできるんだ」と説明しながら、ハアルマンは手際よく肉を切り分けて売っていました。
古くなった肉は、腸詰(ソーセージ)にしてしまいます。
「こうすれば、また最高に美味しく食べられるぞ」
そう言って愛想よく客に応対していると、店の前を近所の人たちが通りかかります。
「おはよう!」
「おはよう!」
そんな威勢のいい朝の挨拶や、快活な冗談がポンポンと飛び交います。
時には、若い衆が店へ入ってきて、煙草を吸いながら雑談をして油を売っていくこともありました。
まさに、平和で平凡な裏町の風景そのものです。
こうしてツェラー通りの肉屋さんは、「威勢のいい兄貴分」「面白いおじさん」として、相変わらず界隈の人気者だったのでした。

2

地震で大洋の海底が陥没したと想像してみてください。
そこから、今まで誰も見たことのないような、一目見ただけで吐き気を催すほど、醜く奇妙な姿をした巨大な怪物が這い出してくるかもしれません。
それと同じように、第一次世界大戦は、社会の秩序と常識を完全に破壊し尽くしました。その余震が続く中で、平時であれば決して現れることが許されない、まさに吐き気を催すほど人道的に醜い一匹の「人鬼」を、この世に解き放ったのです。
社会のルールが緩みきった隙間から頭を出したこの怪物――それは、ハノーファー市に住む陽気な「街の肉屋」という姿をして、血だらけの前掛けをつけ、ニコニコ顔で鼻歌を歌っていたのでした。

肉屋に化けた人鬼フリッツ・ハアルマンが潜んでいたハノーファー市は、大戦の傷跡を最も深く負った街の一つでした。
激しい喧嘩をしている最中は、疲れも傷の痛みもそれほど感じないものですが、いざ喧嘩が終わって興奮が冷めると、疲れと痛みが一気に押し寄せてくるものです。それと同じように、戦争に参加した各国は、平和が戻ったとたんに、国内のボロボロに疲弊した状況を改めて思い知り、治安を立て直すという「第二の戦争」を戦わねばなりませんでした。
その中でも、敗戦国であるドイツの惨状が最もひどかったのは言うまでもありません。
物資は枯渇し、洪水のような避難民の大群がイナゴの群れのようにあらゆる物を食いつくし、食料の切符制度など、この危機の前では焼け石に水でした。
都会から田舎まで、人々は現実に飢餓に追い詰められていたのです。
そんな状況下で、フリッツ・ハアルマンが売る「商品(肉)」が、何の疑いも持たれることなく、それどころか市民の歓迎と感謝の中で飛ぶように売れていったのは、ある意味で不思議ではありませんでした。

警察は無力でした。
戦争によって人員も能率も大打撃を受けていたからです。
しかも、そんな頼りない警察力で、戦前の穏やかで安定していた市民社会と同じように、この激動の時代を抑え込もうなどというのは、最初から無理な話でした。
当時のハノーファー市の治安を維持するためには、実際には今の三倍の警察力が必要だったと言われています。
それほど致命的に手が足りない状態だったため、警察当局はいい加減で、形式的に事務をこなすことしかできませんでした。
暗黒と恐怖に満ちた無政府状態が、ハノーファー市を完全に包み込んでいたのです。

もっとも、こうした人手不足という理由以外にも、この街特有の風土が、当時の警察をさらに手も足も出ない状態にしていました。元来ハノーファーは、ヨーロッパでも非常に歴史の古い街の一つです。
単に歴史があるだけでなく、今もなお古い街並みを残しており、少し街を歩いてみるだけでも、旅行者が驚くほど近代化の波が及んでいないことが分かります。
筆者も、かつて外遊の折に少し時間を見つけて数日間この街を観光しましたが、街の一部は何世紀も前の姿をそのまま残しており、殺気立った、恐ろしいスラム街を形成していました。
いつも湿っていて不気味な暗い路地、影が濃い小さな広場、曲がりくねった細い横丁。そこでは、住民が一度団結して警察に背を向けたら最後、凶悪な犯罪者の集団であっても、見つかる可能性は極めて低く、長期間にわたって安全に潜伏できてしまうのです。

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