長い間名主をしていたお祖父さんは、酒飲みの漁師がお役所に納める税金を持ってこないときに、こういう顔で睨みつけることを栄蔵は知っている。
栄蔵がお祖父さんの問いにうなずくと、お祖母さんが、
「随分よく響いたじゃないかえ。栄坊にそんな力があるなら、何も弱虫じゃないよ。心配することなんかありやしないよ」
と嬉しそうに言った。
「あんたは黙っていなさい」
とお祖父さんは、お祖母さんをたしなめた。
今は喜んでいる場合ではない。
それから、お祖父さんは例の口調で、いろいろと栄蔵に尋ねた。
栄蔵思いのお祖母さんや、お母さんがハラハラするのも構わずに。時々、お祖母さんが栄蔵をかばおうとして口を挟むたびに、お祖父さんに叱られてしまいました。
栄蔵の答えは、一向に要領を得ないものでした。
時々こくりとうなずくばかりで、あとは口がきけない人のように黙り込んでいたからです。
そのため結局、お祖父さんたちには次のことがはっきり分かりました。――お寺の鐘をついたのは、他の家の腕白小僧ではなく、我が家の栄蔵だということが。
さて、これはもう見過ごすわけにはいきません。
お寺からの使いも「叱ってやってください」と、あんなにハッキリと言い残していったのですから、何とかして栄蔵をこらしめなければなりません。――とお祖父さんは考えました。
この橘屋では、ここ何十年もの間、子供をこらしめるようなことはありませんでした。
お祖父さんには子供が一人もいなくて、栄蔵のお父さんもお母さんも、よそから迎えられた養子だったからです。
それに栄蔵は、これまで女の子のように穏やかでしたし、左衛門以下の弟や妹たちはまだ小さいので、お仕置きが必要なほどの大きな悪戯をしたことがなかったのです。
そこでお祖父さんは、眉をひそめながら、この家で子供がこらしめられた例を探していると、六十年ほど前にただ一つだけあった例をようやく思い出しました。
他でもない、お祖父さん自身が子供のころにこらしめられた時のことです。
お祖父さんはその時、蔵の中へ入れられました。
中は真っ暗で怖かったので、一時間ほど泣いて暴れていましたが、ようやく許されたのです。
あのやり方は随分と効き目がありました。
それからというもの、お祖父さんは「蔵へ入れるぞ」と言われると、どんなに拗ねていてもすぐに大人しくなったことを記憶しています。
心の中では栄蔵を可愛がっているお祖父さんは、こんなに小さい栄蔵を蔵の中の闇に閉じ込めるのは痛々しいと思いましたが、悪いことをした以上、罰を与えなければなりませんでした。
「蔵の鍵を持ってきなさい」
とお祖母さんに言いつけました。
重い戸がごろごろと閉められ、外で「ぴしっ」と錠前のかかる音がすると、栄蔵はこの暗い蔵の中で一人ぼっちになりました。
かすかに聞こえてくる波の音のほか、外からは何の物音も伝わってきません。
すぐ近くの家にいるはずのお父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さんも、どこか遠くの別の世界へ消えてしまったかのように思えます。
なるほど寂しい。
このままいつまでもここにいなければならないとしたら、どうなるのだろう。
お祖父さんはきっとすぐに開けに来てくれるだろうけれど、もしもみんなが栄蔵のことを忘れてしまって、出してくれなかったらどうしよう。
栄蔵は泣き出してしまおうかと思い、ふっと息を吸い込みましたが、その時急にあることを思い出したので、泣き出すのをやめました。
それは、いつかお父さんについて蔵に入ったとき、二階の窓際に本箱があって、中には本がぎっしり詰まっていたのを見たことでした。
幸い、目が闇に慣れてきました。
栄蔵は手探りで階段のほうへ行き、それから階段をのぼりました。
二階に来ると、そこはぱっと明るい。
海に面したほうに、鉄格子のはまった小さい窓が開いていたからです。
窓の近くでは、より一層波の音が近くに聞こえます。
栄蔵は本箱のふたを外しました。
いつか見た通り、本がいっぱい詰まっています。
栄蔵は嬉しさのあまり、喉が詰まるような気がしました。
栄蔵はまだ塾へは行っていませんでしたが、お父さんから一字、お祖父さんから二字というふうに少しずつ教えてもらっていて、もう仮名や簡単な漢字は読めるようになっていたのです。
そこで栄蔵は、本を一冊ずつ手に取って、最初からページを繰ってみるのです。
ある本には、栄蔵のまったく知らない難しい漢字がぎっしり並んでいて、またある本には、栄蔵の知っている仮名も書かれてあります。
知っている字があると、栄蔵はそこだけ読んで嬉しく思いました。
中には絵が描かれた本もありました。
絵には、馬に乗ったお武家様や、筆を持って考え込んでいるお爺さんや、犬を追いかけている子供など、様々なものが描かれていました。
きっとその本を読んでみると、それらの絵のことがすっかり分かるように書いてあるに違いない、と栄蔵は考えました。
栄蔵は、早くそれが読めるようになりたい。
そして、自分の知らないたくさんのことを知りたい。
栄蔵はもう、自分が罰を受けて蔵に入れられたことも忘れて、本に夢中になってしまいました。
蔵の外のお祖父さんは、しばらく耳を澄まして聞いていましたが、中から泣き声らしいものが少しも聞こえてきません。
こんなはずはない。
いくら蔵の戸が厚いからといって、お祖父さんが子供だったときのように大声で叫びながら中から戸をどんどん叩けば、少しは聞こえてくるはずだ。
――では、わしもとうとう耳が遠くなり始めたのか、と思って、お祖父さんは片耳を戸に押し当てて聞きました。
中はしんとしています。
お祖父さんは心配し始めました。ひょっとすると、穏やかな栄蔵は、あまりの怖さに気絶してしまったのではないだろうか。
それなら、大変なことだ。
お祖父さんは慌てて鍵を外し、重い戸を開けました。
暗い中へ向かって「栄蔵!」と呼んでみましたが、案の定、返事がありません。
お祖父さんはますます慌てました。てっきり栄蔵が気絶してしまったのだと思ったのです。きっとその辺の隅っこに倒れて、口から泡を吹いているのだろう。ひょっとすると、もう死んでしまっているかもしれない……。
「栄坊!」
お祖父さんは中へ入って呼びかけました。
すると二階から、ごとごとという音が聞こえてきました。栄蔵は、お祖父さんの声を聞くとびくっとしました。急いで本を押し込み、ふたを閉めようとしましたが、開けるときにてこずったふたは、閉めるのにも苦労しました。慌てると余計にはまりません。そこへお祖父さんが上がってきました。
「栄坊、なんだ、こんなところにいたのか」
「…………」
「何をしているんだい?」
「…………」
栄蔵は、悪いことをしている最中を見つけられたと思ってうつむきました。お祖父さんは、まだはまりきっていない本箱のふたから覗いている本と、栄蔵の顔を見比べました。そして言いました。
「お前は本を見ていたのか?」
栄蔵はもう仕方がないと思い、こくりと頷きました。するとお祖父さんは、やさしい声になって言いました。
「そうか。栄坊は本が好きだったのか。それならこれから、お前に学問をさせて本を読ませてやるぞ。
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