初級翻訳・虹の絵の具皿 第2話

宮沢 賢治

そして二人はどこまでもどこまでも、ふかふかしたモコモコのコケや、ヒカゲノカズラの草を踏みしめながら、森の奥深くへと進んでいきました。
森の木々が重なり合って薄暗いのもありましたが、それだけでなく、どうやら空そのものまで暗くなってきたようでした。
というのも、森の中に差し込んでいた一筋の青白い日の光の束が、ふっと消えてしまい、周りがぼんぼりと霞んできたからでした。
また霧が出てきたのです。
林の中はあっという間に、ぼんやりと真っ白になってしまいました。
もう、どちらの方向から歩いてきたのかさえ分からなくなってしまいました。
王子様は「はぁ……」とため息をつきました。
大臣の息子もキョロキョロとあたりを見回しましたが、霧があたり一面にたちこめていて、すぐ目の前にある木だけがぼんやりと霞んで見えるばかりです。
二人はすっかり困り果ててしまい、腕を組んだまま立ちすくんでしまいました。
するとその時、ちいさな可愛らしい声で、誰かが歌を歌い出しました。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。
林の中に降る霧は、
アリさんたちのお手玉で、
とんがり帽子の、一寸法師の、ちいさな毛まり。」

霧がトントンと楽しそうに跳ね踊りました。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。
林の中に降る霧は、
クヌギの黒い木の実や、かしわの固い木の実にあげる、つめたいおっぱい。」

霧がポシャポシャと音を立てて降ってきました。
そしてしばらくの間、あたりはしーんと静まり返りました。
「誰だろう? ねえ、誰なんだろう、あんな歌を歌っているのは。二人か三人くらいいるみたいだよ」
二人は周りをキョロキョロと探しましたが、どこにも誰も見当たりませんでした。
声はだんだん高くなっていきました。
それは、まるで上手な草笛のように綺麗に響くのでした。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイ、ツイ、ツイ。
林の中に降る霧の、
つぶはだんだん大きくなって、
いまはしずくがポタリ。」

霧がツイツイツイツイと降ってきて、あっちの木からもこっちの木からも、ポタリッ、ポタリッと大きなシズクの落ちる音が聞こえてきました。

「ポッシャン、ポッシャン、ツイ、ツイ、ツイ。
林の中に降る霧は、
もうすぐ小雨にかわるぞー、
木はみーんな、青いコートにお召しかえ。
ポッシャン、ポッシャン、ポッシャン、シャン。」

霧はほんとうに小雨に変わり、ポッシャン、ポッシャンと降り始めました。
大臣の息子は、どうしたらいいか分からず途方に暮れた顔で、目をまんまるにしていました。
「誰だろう? いまのは。雨を降らせたんだね」
大臣の息子はぼんやりと答えました。
「ええ、王子様。……あっ、王子様の服が草の実だらけになっていますよ」
そう言って大臣の息子は、王子様の黒いビロードの上着から、緑色のヌスビトハギの実を、一枚ずつ丁寧にとりました。
すると王子様が、急に大声で叫びました。
「誰だ! いま歌った奴は! ここへ出てこい!」
すると、びっくりすることが起こりました。王子様たちがかぶっていた大きな青い帽子に飾りとしてついていた、二羽の青くキラキラ光るハチドリが、ブルルルブルッ!と羽ばたいて飛び立ち、二人の目の前に降り立ったのです。
そして、二羽そろって声を合わせました。
「はい! 何かご用でしょうか、王子様?」
「いまの歌はお前たちだったのか! なんでこんな風に雨を降らせたりしたんだ?」
ハチドリたちは、上手な草笛のような澄んだ声で叫ぶように答えました。
「それは王子様、私たちのたいせつなご主人様! 私たちは空を見上げて歌っていただけでございます。空を眺めておりますと、霧が雨に変わるかどうかがよく分かったからでございますよ」
「それに、どうしてお前たちが歌ったり飛んだりできるんだ?」
「はい! ここから先は、私たちが自由に歌ったり飛んだりできる場所なのでございます。さあ、ご案内いたしましょう!」
雨はポッシャン、ポッシャンと降り続けています。
ハチドリたちはそう言うと、向こうの方へとパッと飛び出しました。
背中や胸に鋼鉄の針金が入っている飾りの鳥だったせいか、その飛び方はなんだか少しギクシャクしていて不思議でした。
王子様と大臣の息子は、そのハチドリたちのあとに続いて歩いていきました。

*

すると突然、周りがぱっと明るくなりました。
今までポシャポシャと静かに降っていた雨が、急に大きな粒になって、ザーザーと勢いよく降り出してきたのでした。ハチドリたちが、まるで水の中を泳ぐ青い魚のように、しっとりとぬれてキラキラと光りながら、二人の頭の上をいそがしそうにグルグルと飛びまわり、

「ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザァ、
降るなら降れ降れ、お天気雨!
トパーズ、サファイア、ダイヤモンド!」
と歌いました。

すると、周りの様子がなんだか急に変な感じになってきました。
雨があられに変わって、パラパラパラパラと降ってきたのです。
そして二人は、周りを森に囲まれた、きれいな草の丘のてっぺんに立っていました。
ところが二人は、すっかり驚いてしまいました。
あられだと思っていたのは、なんとみんなダイヤモンドやトパーズやサファイアだったのです!

ああ、その雨がどんなにキラキラとまぶしく輝いていたことでしょう!
雨の向こうでは太陽が、うっすらとした緑色の枠にふちどられて、真っ白に光っていました。そしてこちらの世界では、宝石の雨がいくつもの小さな虹を立ちあがらせていたのです。
ダイヤモンド同士がはげしくぶつかり合っては、青い光をパチパチと放ちました。
その宝石の雨は、草の上に落ちてカチン、カチンと音を立てました。
でも、音が鳴るのも当然のことだったのです。

リンドウの花は綺麗に削られたアマゾナイト(天河石)や、細かく砕かれたアマゾナイトで組み立てられていて、その葉っぱはなめらかなクリソコラ(硅孔雀石)でできていました。
黄色の草の穂は輝くキャッツアイ(猫睛石)、一面に咲くウメバチソウの花びらはかすかに虹色に光る乳白色のオパール(蛋白石)、センブリの葉っぱはジャスパー(碧玉)、そのつぼみはアメジスト(紫水晶)の美しい先っぽをしていました。
そして、それらの中で一番みごとだったのは小さな野バラの木でした。
野バラの枝は茶色のアンバー(琥珀)や紫がかったアラゴナイト(霰石)できれいにみがきあげられ、その実は真っ赤なルビーだったのです。
もしこの丘を作っている黒い土の正体をたずねたなら、それはきっと孔雀石の粉かラピスラズリ(瑠璃)だったに違いありません。

二人はあっけにとられて、ぼんやりと光の雨に打たれながら立ちつくしていました。
ハチドリたちは、何度も宝石にぶつかって落ちそうになりながらも、やっぱり忙しそうにグルグルと飛びまわって、

「ザッザザ、ザザァザ、ザザァザザザァ、
降るなら降れ降れ、お天気雨!
光の雲がとぎれないままに!」
と歌いました。すると雨の音はますます大きくなり、あたりはもう一度いっそう激しく輝きわたりました。

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