初級翻訳・親鳥子鳥 第15話

佐々木 邦

うちの子たちはみんな、どこかすばらしいところがあるんだから」
とお祖父さんは、みんなを平等に褒める「総花主義」を取らざるを得なかった。
「あら、ずるい言い方」
「いや、本当のことだよ。物覚えがいいくらいだから、機転も利く。俺は本当に感心しているんだが、大きいからいちいち口に出して褒めないだけさ」
「嘘よ」
「嘘じゃない、本当さ。お祖母さんも、お前が一番頼りになると言っているよ」
「敏子さん、顔をしかめながら笑っているわ。ほら、また笑った」
と郁子がからかった。
「嫌だなあ、お姉ちゃん」
と言いつつも、敏子は本当は満更でもない様子だ。
気づけば顔の筋肉が緩んでしまっている。
「敏子さん、あれをお話ししましょうか?」
「なにが?」
「あなたの長所よ」
「嫌だ嫌だ!」
「いいでしょう? 悪いことじゃないし、お祖父さんが仰る通りなんだから」
と郁子は嬉しそうに話したがった。
「何だい?」
と僕は続きを促してやった。
「敏子さんはこの間、学校の調査表に面白いことを書いたのよ。自分の長所は気の利いていることですって」
「でも先生が思う通り正直にお書きなさいと仰有ったんですもの」
「だから宜いじゃありませんか? お父さんが寝転んで新聞を見ていなさると直ぐに枕を持って行って上げるのは自分ですって」
「宜いわよ、そんなことまで言わなくても」
「それはお母さんも見ているけれど敏子丈けよ。
郁子は知らん顔をしていますわ」
とお母さんは敏子の長所を認めた。
郁子は女学校に入ってから殊に雑用を厭う。
「敏子は真正に親切ものだよ」
とお祖父さんも共鳴して、敏子は頓に評判が好くなった。
「でも学校へ報告することはないわ」
「でも正直に書んだわ」
「書こうと思って心掛けるんでしょう?」
「そんなことがあるもんですか」
と内輪揉めが始まる。
「それっきりかい?」
と僕は進行係りを勤める。
「未だあるのよ。
敏子さん、宜いこと?」
「知らないわ」
「短所は少し生意気のことですって。
これは真正ね」
と郁子は悉皆素っぱぬいてしまった。
「宜いわよ」
「生意気なことはないさ。
しかし弟が褒められると怒る癖がある。
それは書かなかったのかい?」
とお祖父さんが笑った。
「そんなこと誰だって当然ですわ」
「何故?」
「弟ばかり褒められて好い気持のする人があるもんですか」
と敏子は根本問題に触れた。
「それだからお祖父さんもお祖母さんもお前を褒めているのさ。
宜いだろう?」
「でも浩ちゃんとは褒め方が違いますわ」
「ホホホホ。
敏子にも然う見えますかね? 催促して褒めて貰っても詰まらないわね」
とお母さんが同情したので、
「追々旗色が悪くなって来るようだから退却としよう。
もうソロソロ杉山さんが見える時分だ」
とお祖父さんは逃げ腰になった。
「今日はお謡曲の日でございましたかね?」
とお母さんが尋ねた。
「然うだよ。
やかましいかな?」
「いいえ、結構でございますわ。
一度先生に御ゆっくりして戴きたいと思って居りましたが、何なら晩のお支度を致しましょうか?」
「然うさね。
斯うっと……」
「別にお構い申上げませんから、些っとも面倒はございませんのよ。
あの方|御酒は召し上りますか?」
「大に召し上る方だが、ここを済ましてもう一軒|男爵家とかへ廻るらしいから、酔わせない方が宜いだろう。
今度都合を訊いてからにしよう。
お正月でも宜い」
と言って、お祖父さんは離れへ帰って行った。
浩二はこの通り姉や妹の間に問題を起すくらい年寄の愛を恣にしている。
お父さんお母さんに於ても小さいものは余計目をかけるのは自然の情愛である。
随って浩二の言行には逸話となって伝えられるものが多い。
泥棒を獣と思い込んでいたのは敏子が今しがた引き合いに出したほど顕著な実例である。
それは震災の年の夏だったから、もう三年前のことになる。
或晩お隣に泥棒が入った。
その際家のブル公が立てた功績は特筆大書に値する。
現にその翌日「ブル公さまへ御礼」として牛肉が二斤台所へ届いた。
ブル公は善隣の誼みとして生垣の隙間から入り込み頻りに吠え立てたのである。
泥棒は拵えた包を置いたまま逃げてしまった。
お宅は無事かという見舞ながらの注意があったので、僕達は夜が明けると直ぐにお隣りへ見に行った。
「大きな足跡だね」
と僕は縁側の彼方此方に泥足の跡を認めて探偵気分になった。
「座敷にもある。
二人らしい。
ブル公が吠えてくれなかったら酷い目に遭うところだったよ」
と文一君はブル公の頭を撫でながら未だ怖がっていた。
「人間の足跡と同じね」
と浩二は不審を起した。
「人間だもの、泥棒は」
と僕が教えてやると、
「人間かい、泥棒は? 驚いたなあ。
僕は獣だと思っていた」
と浩二がませた口調で云ったので、皆大笑いをした。
「然うですね。
大人でも泥棒は人間とは思いませんよ。
坊ちゃんは穿ったことを言う」
と文一君のお父さんは感心した。
しかし浩二に於てはこれは冗談でも洒落でもなく、正直正銘な思い違いだった。
道理でその前から、
「泥棒と犬とは何方が強いだろう?」
というような質問があった。
「動物園なんかへは入らないだろうね?」
とも訊いた。
これは獅子や虎がいるからという意味だったろうが、僕は単に、
「無論あんなところへは入らない」
と答えて置いた。
尚お昼間は隠れていて夜出て来るとか犬が好んで追っかけるとか聞いていたから、蝙蝠や猫の類を思い浮べたに相違ない。
「戸がこれっぽっち開いていても入って来るって言うんだもの」
と浩二はその折顔を赤らめて思い違いの説明をした。
泥棒を知らなかったのを恥じさせる社会は呪われている。
盗心ということを度外視すれば、何うしても人間業とは考えられない。
想像は自然何か特に有害な動物の上に及ぶ。「たとえ勘違いだったとしても、意味が深くておもしろいねぇ。昔のえらい先生たちの教えが含まれているようだ」
お祖父さんはそう言って、心から感心した様子でした。
こうして、お隣に入り込んだ泥棒は、何も盗めずに逃げ帰ることになりましたが、幼い浩二には「屋根の上の紳士(泥棒)」という新しい概念を教え、番犬のブル公の評判を近所中に一気に広めることになったのです。

さて、そのブル公が、今まさに「ワン! ワン!」と激しく吠え声をあげはじめました。
ブル公は、自分にとって見慣れない人を見ると、とりあえず何でも泥棒だと思ってしまうのです。いつも顔を合わせている親しい人でなければ、用心のために一度は必ず吠え立てるルールでした。
「いったい、誰が来たんだろう?」
僕は自分が責任者みたいな気持ちになって、さっそく玄関のほうへ出てみました。

「坊ちゃん、坊ちゃんや!」
謡曲(能の歌)の先生である杉山さんが、門をちょっと開けたまま、中に入っていいものかと困りながら、浩二の名前を呼んでいました。
浩二は、ブル公が犬同士でケンカをしたりするとすぐ泣いて大騒ぎするような男の子だったので、先生の声を聞きつけると、パタパタと元気に飛んできました。
僕が「コラ、静かにしなさい!」と叱ると、ブル公はすぐにピタッと吠えるのをやめました。

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