初級翻訳・論語物語 第12話

下村 湖人

また、一口に過ちといっても、それには小人の過ちもあれば君子の過ちもある。
過ち次第では、それによってその人に仁のきざしがあるのを知ることも出来るのじゃ。
しかし何を云っても口先で人を云いくるめようとする心だけは宜しくない。
そんな事を許して置けば第一人間同志の生活に信がなくなる。
信は人と人とを結ぶ大切な楔で、たとえて云えば牛車の※や馬車の※のようなものじゃ。
※や※を取り去れば、車は牛車から離れて一歩も動かぬ。
世の中もその通りじゃ。
信がなくてはどうにもならない。
だから、ほかの過ちはとにかくとして、かりそめにも口先のごまかしだけは、お互に慎みたいものじゃ。」
孔子は諄々として説いて行った。
説き終って、しばらくじっと眼を閉じていたが、ふと何か思い当ったように、眼を開いて、
「3然し、悪いのは宰予だけではない。
今はどちらを向いても口先だけで生きようとする人ばかりじゃ。
虚心に自分の過失を見つめて、真面目に自分を責める者は殆どないといってもいい。
それを思うと世の中は真暗じゃ。
しかし、考えて見ると、そんな世の中であればこそ、お互にますます精進する必要もある。
いい機会じゃ。
みんなも反省するがいい。
自分に教えてくれる者は、必ずしも善い人とばかりは限らぬからな。
三人行えば吾が師ありじゃ。
善い人を見たら見習えばいいし、悪い人を見たら自ら省みればいい。
宰予もその意味ではみんなの先生じゃ。
憎んではならぬ。
さげすんでもならぬ。
ただめいめいに自分を省みさえすればそれでいいのじゃ。」
そう云って、孔子は座を立った。
その夜、孔子の室では、孔子と宰予とが二人きりで対坐して、永いこと話していた。
孔子は、昼間他の門人たちに云ったことや、そのほかいろいろの言葉をもって宰予を戒めた。
その中には、
「4人間というものは、正直でなければ生きられない。
それが常理である。
不正直で生きているものもあるが、それは幸にして免れているに過ぎない。」
 とか、
「5真の君子になりたければ、口は言葉数が少なくてもかまわぬから、ただ行動で示しなさい。
」
 とか、
「6学問は自分のためにするものであって、他人のためにするのではない。
昔の学者たちはこの道理をよく心得ていたものだが、今の学者たちは人に見せるための学問ばかりしたがるからいけない。
」
 とか、そのような意味のことを諭されたのだった。
宰予は当然ながら、おとなしく孔子の話に耳を傾けた。
しかし、まだどうしても心からしみじみとした納得の気持ちにはなれなかった。
彼の心には、
(運悪く、自分の昼寝が孔子に見つかってしまっただけだ。
)
 という思いがあった。
(黙っていたのでは、世間はなかなか自分を認めてくれない。
)
 という考えもあった。
また、
(学問は自分のためだとは言っても、結局は世間を相手にしなければ意味がない。
)
 といったような理屈も、心の中でこねくり回してみたりした。
宰予のそんな中途半端な態度が、孔子の目に映らないわけはなかった。
孔子は、「この先、道のりは遠いな」という思いを抱きながら、最後にこう言った。
「7人の心というものは、天の意志にかなわないうちは、決してのびやかな気分にはなれないものなのだ。
おそらく、今のままでは、お前は永久に心が落ち着かないだろう。
……だが、今夜はもう遅い、帰って休みたまえ。
」
 宰予は解放された喜びで立ち上がった。
しかし彼の心の底には、ごくかすかではあったが、今まで経験したことのない奇妙な寂しさが芽を出し、それがいくらかでも彼の心を真面目なものにさせていた。

1 先生(子)がおっしゃった。
「ともに学ぶことはできても、まだ一緒にてっぺんの道に進むことはできない。
一緒に道に進むことはできても、まだしっかりと自立することはできない。
自立することはできても、まだ物事の正しい重みや判断をはかることはできない」と。(子罕篇)

2 先生がおっしゃった。
「……過ちを犯したならば、ためらわずに改めなさい」と。(学而篇、子罕篇)
先生がおっしゃった。
「過ちを犯して改めないこと、これこそを本当の『過ち』と言うのだ」と。(衛霊公篇)
先生がおっしゃった。
「人の過ちというものは、それぞれその人が付き合っている仲間や環境の傾向によって起こるものだ。
その過ちをしっかりと観察すれば、その人の『仁(思いやりの心)』の本質がよく分かるのだ」と。(里仁篇)
先生がおっしゃった。
「人に信頼(信)がなければ、その人がどうやって生きていけばいいのか、まったく分からないものだ。
大きな牛車に横木を止めるくさび(※)がなく、小さな馬車に留め金(※)がなければ、どうやってその車を動かすことができようか」と。(為政篇)

3 先生がおっしゃった。
「もうだめだなぁ、私はまだ自分の過ちを見つめ、自分の心の内をしっかりと反省する人を見たことがない」と。(公冶長篇)
先生がおっしゃった。
「三人で歩けば、その中には必ず自分の先生がいる。
その中の善い人の良いところを選んで見習い、不善な人の悪いところを見ては、自分を振り返って改めるのだ」と。(述而篇)

4 先生がおっしゃった。
「人間の命や生き方は、本来はまっすぐで正直なものだ。
それを不正直なやり方をごまかして生きているのは、たまたま運良く災難を免れているだけにすぎない」と。(雍也篇)

5 先生がおっしゃった。
「君子は、口先は不器用で控えめであっても、行動では素早く機敏でありたいと願うものだ」と。(里仁篇)

6 先生がおっしゃった。
「昔の学者は自分のために学問をしたが、今の学者は他人にすごいと言われるために学問をしている」と。(憲問篇)

7 先生がおっしゃった。
「君子の心はいつもさわやかでゆったりとしているが、小人(心が狭い人)はいつもクヨクヨと心配ばかりしている」と。(述而篇)

—

觚觚(ここ)ならず

子曰く、觚、觚ならず。
觚ならんや、觚ならんやと。
――雍也篇――

「先生、買ってまいりました。」
そう言って、門人のひとりが孔子の前に、十個ほどの「觚(こ)」を箱から出して並べた。
「觚」というのは、その当時の変わった形をした酒器の一種である。
孔子は、それらをひとつひとつ手にとって細かく眺めてみたが、良いとも悪いとも言わず、じっと考え込んだ。
門人はどうしていいか分からず、手持ち無沙汰で立っていた。
しかし、いつまでたっても孔子が黙り込んでいるので、おじぎをして、そのまま部屋を出ようとした。
すると孔子が言った。
「これが、觚というものかね。」
門人は不思議そうな顔をして孔子を見た。
彼は、孔子ほどの人が觚を知らないわけがないと思ったのだ。
「觚には角(かど・稜)があるはずじゃ。
もともと觚というものは、角があるという意味なのだからな。」
門人は思わずおかしくなった。
「今ごろになって昔の名称の定義なんかにこだわって、どうするつもりだろう。
そんな昔風の角のある觚なんて、どこの店を探したって売っているわけがないのに」と思ったのだ。
だから彼は、微笑みながら答えた。
「それが、いまどきの觚でございますよ。

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