初級翻訳・軍用鼠 第4話

海野 十三

今後は黙ってズンズン進行することに方針変更)
 いよいよ「鼠の顔」が高らかに読みあげられた。
「あたくしよ。
――」
 と、梅ヶ枝女史が叫ぶよりも一歩お先へ、女史の隣りの夫人(名前をつけて置くのを忘れた)が、
「それは十四子さんのよ」
 と叫んだ。
女史はジロリと横目で睨んだ。
「ああ十四子さんなの。
アラとてもいい景品ですわよ。
今日の景品のなかで、一番素敵な貴重なものだわよ」
 と、幹事の谷夫人が、話の割合には薄っぺらな白い西洋封筒に入ったものを持って梅ヶ枝女史の前に飛んできた。
女史は少し面映ゆげに、プラチナの腕輪の嵌った手を伸ばしてその白い西洋封筒を受けとりながら――これは十円紙幣かな――とドキッとした。
森幹事が向うの方から大きな声で披露をした。
「鼠の顔、鼠の顔。
当った方は、目下読書界に白熱的人気の焦点にある新進女流探偵小説家(新進だなんて失礼ナ、既成の第一線作家だわよ――と、これは、梅ヶ枝女史の憤懣である)の梅ヶ枝十四子さん。
景品はァ――どうか封筒からお出しになって下さい――ターキーのプロマイド! そのわけは、娘々が大騒ぎ。
――」
 というのであるが、この福引の方が「鼠の顔とかけてなんと解く。
臥竜梅と解く。
その心は幹よりも花が低い」の場合より出来がよろしい。
その理由は、この福引の「鼠の顔(景品はターキーのプロマイド)娘々が大騒ぎ」の方が前者に比較して、ずっと卑近にして、而も相当今日の話題的材料を持ってきたところが勝れているのである。
しかも娘々は、やや高級ではあるけれど日満両帝国一体となっている今日、日本人にとっては盟邦に於ける最も明朗なる行事として娘々廟の娘々まつりを知っているものが少くないのであって、それ位の高級さは却ってこの福引を更に高雅なものに引き上げる。
これがそのまま、探偵小説作法にも引きうつして、云えるのであって、探偵小説の謎も能うかぎり卑近な常識的な材料を使い、その推理の難易程度もこの辺の中庸に停め、且つその謎の答が相当センセイショナルなものを……。
「これはいかんうっかりしていて、また探偵小説論を書いていていた。
森幹事が福引を披露して、『――そのわけは、娘々が大騒ぎ』のところで原稿の文章を切ることにして、そのあとの『というのであるが』以下『センセイショナルなものを……』までを削除しなければいかん」
 と、梅野十伍は苦笑しながら、十行ばかりのところを、墨くろぐろと抹消した。
時計は午前四時半となった。
梅野十伍は、原稿が一向はかどらないのに業を煮やしている。
うかうかしていると、もう郊外電車が動き出す時刻になる。
新聞配達も、早い社のは、あと三十分ぐらいで門前に現われることだろう。
そうなると、門の脇に取りつけてある郵便新聞受の金属函がカチャリと鳴り響くはずだった。
それが夜明けの幕が上る拍子木の音のようなものであった。
彼は福引の話をとにかく物にして、すこし気をよくしていたが、それにしても、福引の話は飽くまで福引の話であって探偵小説とはいい難い――といわれやしないだろうか。
「さあ、早く探偵小説を書かなきゃあ!」
 と、梅野十伍は、自分の勝手な清掃癖が禍をなしてペンの進行を阻んでいることにも気づかず、またやっこらやと立ち直って、探偵小説狩りに出発するのであった。
誰が見てもなるほどそれが探偵小説らしい形式を備えていることが分るようなものを選んで書くのが賢明なやり方だ。
そういう形式を採ってみようと、梅野十伍は考えた。それでは国際関係がピリピリしているこのご時世、ひとつ国境をはさんだ紅白両国の人間同士による推理くらべを描いた探偵小説を書いてみることにしよう、と梅野は決心しました。

まず舞台の準備から考えます。ここは紅白両国の国境。
あまり幅広くない道路が、二つの国をつないでいます。
その道の真ん中あたりに、アスファルトの路面へ真鍮(しんちゅう)の大きな鋲(びょう)が埋め込まれていて、ひと目でどちらがどちらの国かわかるようになっています。
夜になるとこの鋲は見えなくなるため、代わりに道の両側に信号灯がパッと点灯する仕組みです。
その国境線を挟んで両側に、それぞれの国の材料で作られた、それぞれ違う形の踏切の遮断機のようなポールが設置されています。
国境線を通り抜ける人が現れるたびに、この二つのポールがグッと上に持ち上がるのです。

国境を越えたい人たちは、そのポールの下をくぐって相手国のエリアに足を踏み入れます。そして、そこで店を開いて待ち構えている税関の役人のところへ行き、国境を通りたいとお願いし、持ち込もうとする荷物を検査してもらうわけです。
それが終われば、税関の前の小さな門から、相手の国内へとズカズカ入っていくことが許されるのでした。

まあ、舞台の準備はそのくらいにしておいて、ここに紅国人の有名な密輸入の名手、レッド老人を登場させることにしましょう。

「また一つ、頼みますよ。ねえ、税関の旦那ァ――」

レッドの太いどら声が響きます(この前に、どらを「銅羅」と漢字で書いたのは間違いでした。どうも少し変だなと思って今辞書を引いてみると、「ラ」の字は金偏(かねへん)が正しいとわかったのです。小説書きの商売は、一文字ずつ漢字を覚えるだけでも本当に大仕事です)――そのレッドの太いどら声に呼ばれて、奥の方から役人のワイトマンが、剣を吊るすベルトを腰に締めながら、眠そうな顔をして姿を現しました。

(こう書けば、この国境の税関にはあまり事件も起きず、かなり平和でのんびりした関所なのだということが読者に伝わるだろうと、作者の梅野十伍はそう思いながら、あえてこう書いたのです)

「なんだ、レッドか。また鼠の入った籠を持ち込もうってんだろう。
あんまり朝っぱらから来るなよ。鼠なんて夕方で十分だろ」

ワイトマンは少し二日酔いの体調のようで、日頃から赤い顔がさらに赤みを増し、まるで熟れすぎたトマトのようになっています。

(この描写について、作者の梅野十伍はあまり自信がありませんでした。
彼は生まれつきお酒がまったくダメな体質で、これまでに杯を続けざまに三杯も傾けたことが一度もなかったからです。
だから、二日酔いというのが一体どんな気持ちのものなのかよく知らないし、二日酔いになった人がどんな顔をしているのかについての正確な知識もありませんでした。
ただ、彼の親しい友人である「A」という人物が、よくこんな赤く熟しきったような顔を彼の前に突き出して、「いやあ、昨夜は近頃になく飲みすぎちゃったよ。今日は体がフラフラして、眠くて眠くてたまらない」とぼやいていたのです。
梅野十伍は、そういうときの友人Aの様子こそがいわゆる二日酔いなのだろうと、勝手に思い込みました。
だから、白国の役人であるワイトマンは、不運にも作者の友人Aの酔っぱらった姿をそっくり真似させられることになったのです)

「旦那、そう言わずに見ておくなすってください。
この俺は生まれつきごまかすのが嫌いでね、こうして手すきの午前中にやってきて、品物をゆっくり念入りに調べていただきたいと――ねえ旦那、このレッドはいつもそう思っているんですよ」

「フフン、笑わせるな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました