そこで、あの浮浪者をやとったんだが、だいじな研究ノートと金をもって、にげてしまった」
「浮浪者は警察にいるよ」
「あっ、あいつが……」
透明人間が、すっくと立ちあがった。
そのとき、玄関のベルがなった。
ベルの音をききつけると、透明人間はケンプ博士から二、三歩とびさって、
「あれは、なんだ?」
と、するどく言いはなった。
「なにも聞こえないが……」
「いや、二階へあがってくる足音だ」
「気のせいだよ」
警官がきたことを、あいてにさとられまいとして、ケンプ博士は、おだやかに言った。
「ちょっと見てくる」
博士がとめようとしたが、透明人間はドアに近づいていった。
すると、博士がドアを背にして、その前に立ちふさがった。
「なんだ、きみは! じゃまをするのか」
入口に近づけまいとする博士から、ぱっと跳びのいて、透明人間は身がまえた。
「おれをだましたな!」
その声は、怒りにふるえていた。
「警官をよびやがって、よくも裏切ったな……裏切り者め!」
透明人間はガウンの前をひらくと、すばやく、下に着ているものを脱ぎはじめた。
この男を、この部屋から外に出してはならない。
博士はドアを後ろ手に開いて廊下にとびだし、バタンと閉めた。
カギがない。
透明人間が内側から開けようとして、博士がにぎる把手をひねった。
その力は、ものすごく強かった。
博士はドアを開けさせまいとして、奮闘した。
ドアのすき間からガウンの腕がのびた。
博士はのどを絞めつけられ、把手をはなした。
博士はガウンの怪物に突きとばされた。
博士からの手紙で、いそいで駆けつけた、バードックの警察署長アダイ警部は、玄関からホールを通って階段をのぼりかけたところで、目に見えない怪物と戦っている博士を見て、立ちすくんでしまった。
「なんだ?」
怪物と戦う博士は、倒されたり起きあがったりしながら、二階の廊下から階段のおどり場へのがれてきた。
怪物のガウンが宙を飛んできて、博士におそいかかって倒した。
目の前のできごとに、びっくりしている署長を、ガウンの化けものがなぐり倒した。起きあがろうとする署長を、怪物は階段から下にけり落として、動けなくしてしまった。
階下には応援の警官が二人いた。
二人はあわてて、宙を飛ぶガウンを追いまわした。
追いまわすうち、ガウンは一階のホールの天井へパッと舞いあがったかと思うと、落ちてきて、そのまま、へなへなっと動かなくなった。
玄関のドアが、人影もないのに開いて、バタンと閉まった。
署長は起きあがったが、顔をしかめて、また、へなへなとすわった。
そこへ、透明人間との格闘で傷だからけの顔となった博士が、ふらふらになって階段を降りてきて、くやしそうに言った。
「しくじった。
にげてしまった」
大捜査陣
透明人間があばれまわるのを見ただけでなく、したたかになぐられ、階段からけり落とされて動けなくなるほどの目にあいながら、アダイ署長は、なおも信じられないという顔をしていた。
そんな顔の署長に、血だらけの腫れあがった顔のケンプ博士が、ぐずぐずしてはいられないと、せきこんで言った。
「あいつは気がくるっている。
このまま逃がしておいたら、どんなひどいことをしでかすか、わかりませんよ。
けさも、これまでにやってきたことを、得意になって話すんですからね。
あきれたもんです。
署長! あの男はもう、かなりたくさんの人を傷つけています。
これからもっと暴れまわって、町や村のひとたちを恐れさせてやるんだと話していました」
「かならず逮捕してみせます」
署長がこたえた。
「大至急、警官の非常召集をおこなって、この町から透明人間がにげだせないようにすることです」
「こころえています。
さっそく召集して、道という道に見はりを立てて、あの怪物がにげられないようにしましょう」
「汽車や船に乗って、逃げられないように、駅や港にも見はりをつけてほしいですな。
あの男は、かけがえのない物と考えているノートを取りもどすまでは、この町をはなれないと思います。
その浮浪者のトーマスは、警察に保護してあるんでしょうな」
「ぬかりはありませんよ、博士! そのノートのことも」
「透明人間をつかまえるには、食物をあたえないことです。
ねむらせないことです。
この二つのことを実行することです」
「なるほど」
署長がうで組してうなずいた。
「たべものは手のとどかないところにしまっておき、透明人間が家の中にはいれないように、町じゅうの家が、戸や窓にカギをかけておくことです」
「さっそく署へもどって、作戦を立てるとしましょう」
署長は立ちあがって、博士といっしょに歩きながら話をきいた。
「やつは食物をのみおろすと、消化するまでは体の中のものが見えるので、しばらくは、どこかに隠れてやすまねばならんのです。
ここが、こちらのねらいです。
それと、犬をですな……犬を、できるだけたくさん、かり集めることです」
「ほほオ、透明人間は犬には見えますかな」
「見えないことは、われわれ人間とおなじですが、犬はにおいで嗅ぎつけるんです。
これは透明人間が、犬にかみつかれて弱ったと、じぶんで話してたことですから、まちがいありません」
「名案ですな。
ハルステッド刑務所の看守たちが知ってる男に、警察犬を飼っておる男がいるそうですから、さっそく手配しましょう」
こうしている間に、博士の屋敷からにげだした透明人間が、なにをしでかすか知れないと思うと、ケンプ博士は気が気でなかった。
「透明人間のもう一つの弱いところは、凶器を持ってあるけないことです。
鉄棒とかナイフとか、太いステッキのような物は、手ごろの武器……つまり凶器になりますが、あの男がこれらの物を手にして歩くと、鉄棒やナイフが宙を浮いてうごくことになるので、すぐ気づかれてしまいます。
ですから、やつが凶器を持ってあるく心配はありませんが、凶器につかわれそうな物は、どの家でも、かくしておくように知らせてもらいたいのです」
「ごもっともな意見です。
その方針で、かならず逮捕してみせます」
アダイ署長はこたえた。
「もう一つ、だいじなことがあります」
「なんです?」
「ガラスの破片を道路にまきちらすのです。
透明人間は、はだかで、はだしで歩いていますから、これは効きめがありますよ。
すこし残酷なやりかたですが、そんなことは言っておられませんので」
「スポーツマンシップに欠けるようですが、お考えどおり、ガラスの破片をよういさせましょう。
目に見えない怪物に、あばれられては大変ですからな」
「あの男は、むかしのグリッフィンとは人が変わってしまった。
けだものになって、気がくるっているのです」
博士はアダイ署長がよんだ辻馬車に乗って、署長といっしょにバードックの警察署にいそいだ。石切場の殺人
ケンプ博士の家をとびだしてからの透明人間のゆくえは、どこに行ってしまったのか、さっぱりわからなかった。
港町ポート・バードックの人びとは、その日の朝のうちは透明人間の話もうわさにすぎなかったものが、午後になると、ほんものの怪物が町にあらわれたと知って、大さわぎになった。
なにしろ人の目に、その姿かたちが見えないのである。
コメント