初級翻訳・透明人間 第25話

海野 十三

そこで、あの浮浪者をやとったんだが、だいじな研究ノートと金をもって、にげてしまった」
「浮浪者は警察にいるよ」
「あっ、あいつが……」
 透明人間が、すっくと立ちあがった。
そのとき、玄関のベルがなった。
ベルの音をききつけると、透明人間はケンプ博士から二、三歩とびさって、
「あれは、なんだ?」
と、するどく言いはなった。
「なにも聞こえないが……」
「いや、二階へあがってくる足音だ」
「気のせいだよ」
 警官がきたことを、あいてにさとられまいとして、ケンプ博士は、おだやかに言った。
「ちょっと見てくる」
 博士がとめようとしたが、透明人間はドアに近づいていった。
すると、博士がドアを背にして、その前に立ちふさがった。
「なんだ、きみは! じゃまをするのか」
 入口に近づけまいとする博士から、ぱっと跳びのいて、透明人間は身がまえた。
「おれをだましたな!」
 その声は、怒りにふるえていた。
「警官をよびやがって、よくも裏切ったな……裏切り者め!」
 透明人間はガウンの前をひらくと、すばやく、下に着ているものを脱ぎはじめた。
この男を、この部屋から外に出してはならない。
博士はドアを後ろ手に開いて廊下にとびだし、バタンと閉めた。
カギがない。
透明人間が内側から開けようとして、博士がにぎる把手をひねった。
その力は、ものすごく強かった。
博士はドアを開けさせまいとして、奮闘した。
ドアのすき間からガウンの腕がのびた。
博士はのどを絞めつけられ、把手をはなした。
博士はガウンの怪物に突きとばされた。
博士からの手紙で、いそいで駆けつけた、バードックの警察署長アダイ警部は、玄関からホールを通って階段をのぼりかけたところで、目に見えない怪物と戦っている博士を見て、立ちすくんでしまった。
「なんだ?」
 怪物と戦う博士は、倒されたり起きあがったりしながら、二階の廊下から階段のおどり場へのがれてきた。
怪物のガウンが宙を飛んできて、博士におそいかかって倒した。
目の前のできごとに、びっくりしている署長を、ガウンの化けものがなぐり倒した。起きあがろうとする署長を、怪物は階段から下にけり落として、動けなくしてしまった。
階下には応援の警官が二人いた。
二人はあわてて、宙を飛ぶガウンを追いまわした。
追いまわすうち、ガウンは一階のホールの天井へパッと舞いあがったかと思うと、落ちてきて、そのまま、へなへなっと動かなくなった。
玄関のドアが、人影もないのに開いて、バタンと閉まった。
署長は起きあがったが、顔をしかめて、また、へなへなとすわった。
そこへ、透明人間との格闘で傷だからけの顔となった博士が、ふらふらになって階段を降りてきて、くやしそうに言った。
「しくじった。
にげてしまった」

大捜査陣

 透明人間があばれまわるのを見ただけでなく、したたかになぐられ、階段からけり落とされて動けなくなるほどの目にあいながら、アダイ署長は、なおも信じられないという顔をしていた。
そんな顔の署長に、血だらけの腫れあがった顔のケンプ博士が、ぐずぐずしてはいられないと、せきこんで言った。
「あいつは気がくるっている。
このまま逃がしておいたら、どんなひどいことをしでかすか、わかりませんよ。
けさも、これまでにやってきたことを、得意になって話すんですからね。
あきれたもんです。
署長! あの男はもう、かなりたくさんの人を傷つけています。
これからもっと暴れまわって、町や村のひとたちを恐れさせてやるんだと話していました」
「かならず逮捕してみせます」
 署長がこたえた。
「大至急、警官の非常召集をおこなって、この町から透明人間がにげだせないようにすることです」
「こころえています。
さっそく召集して、道という道に見はりを立てて、あの怪物がにげられないようにしましょう」
「汽車や船に乗って、逃げられないように、駅や港にも見はりをつけてほしいですな。
あの男は、かけがえのない物と考えているノートを取りもどすまでは、この町をはなれないと思います。
その浮浪者のトーマスは、警察に保護してあるんでしょうな」
「ぬかりはありませんよ、博士! そのノートのことも」
「透明人間をつかまえるには、食物をあたえないことです。
ねむらせないことです。
この二つのことを実行することです」
「なるほど」
 署長がうで組してうなずいた。
「たべものは手のとどかないところにしまっておき、透明人間が家の中にはいれないように、町じゅうの家が、戸や窓にカギをかけておくことです」
「さっそく署へもどって、作戦を立てるとしましょう」
 署長は立ちあがって、博士といっしょに歩きながら話をきいた。
「やつは食物をのみおろすと、消化するまでは体の中のものが見えるので、しばらくは、どこかに隠れてやすまねばならんのです。
ここが、こちらのねらいです。
それと、犬をですな……犬を、できるだけたくさん、かり集めることです」
「ほほオ、透明人間は犬には見えますかな」
「見えないことは、われわれ人間とおなじですが、犬はにおいで嗅ぎつけるんです。
これは透明人間が、犬にかみつかれて弱ったと、じぶんで話してたことですから、まちがいありません」
「名案ですな。
ハルステッド刑務所の看守たちが知ってる男に、警察犬を飼っておる男がいるそうですから、さっそく手配しましょう」
 こうしている間に、博士の屋敷からにげだした透明人間が、なにをしでかすか知れないと思うと、ケンプ博士は気が気でなかった。
「透明人間のもう一つの弱いところは、凶器を持ってあるけないことです。
鉄棒とかナイフとか、太いステッキのような物は、手ごろの武器……つまり凶器になりますが、あの男がこれらの物を手にして歩くと、鉄棒やナイフが宙を浮いてうごくことになるので、すぐ気づかれてしまいます。
ですから、やつが凶器を持ってあるく心配はありませんが、凶器につかわれそうな物は、どの家でも、かくしておくように知らせてもらいたいのです」
「ごもっともな意見です。
その方針で、かならず逮捕してみせます」
 アダイ署長はこたえた。
「もう一つ、だいじなことがあります」
「なんです?」
「ガラスの破片を道路にまきちらすのです。
透明人間は、はだかで、はだしで歩いていますから、これは効きめがありますよ。
すこし残酷なやりかたですが、そんなことは言っておられませんので」
「スポーツマンシップに欠けるようですが、お考えどおり、ガラスの破片をよういさせましょう。
目に見えない怪物に、あばれられては大変ですからな」
「あの男は、むかしのグリッフィンとは人が変わってしまった。
けだものになって、気がくるっているのです」
 博士はアダイ署長がよんだ辻馬車に乗って、署長といっしょにバードックの警察署にいそいだ。石切場の殺人

 ケンプ博士の家をとびだしてからの透明人間のゆくえは、どこに行ってしまったのか、さっぱりわからなかった。
港町ポート・バードックの人びとは、その日の朝のうちは透明人間の話もうわさにすぎなかったものが、午後になると、ほんものの怪物が町にあらわれたと知って、大さわぎになった。
なにしろ人の目に、その姿かたちが見えないのである。

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