道をあるいていて、いきなりなぐられても防ぎようがない、というのだ。
音もなく家に忍びこまれても、これまた、見えないのだから、どうしようもない。
町の人は不安にかられていた。
げんにその朝、道で遊んでいた子どもの一人が、いきなり何者ともしれないものに突きとばされて、ケガをしている。
その場にいあわせた子どもたちは、友だちを突きとばしたものを、だれも見ていないのだ。
透明人間の危害から町の人を守るには、怪物を捕えることである。
そのための警察の手配は着々とすすみ、おもったよりはやく、町のこれぞと思うところに、警官が動員されていた。
騎馬巡査が町をねり歩いては、戸締りをげんじゅうにするよう、家々によびかけた。
小学校は午後三時には授業をうち切って、児童を帰宅させた。
町の人は、三人四人と組んで自警団をつくり、鉄砲やこん棒をもって警戒にあたった。
港の船着場、汽車の停車場、おもだった道の出入り口。
バードックの町を中心にして三〇キロの半径の円にはいる地域の町や村が、透明人間の出没にそなえたのである。
透明人間にたいする注意書が、ケンプ博士とアダイ署長の名をそえて、町のいたるところに貼りだされた。
食物をとらせないこと、眠る場所をあたえないことなどが、書かれてあった。
警戒は万全であった。
ところが、透明人間のゆくえは、どうなったのか。
その日の朝、遊んでいる子どもを突きとばして、ケガをしたのは、たしかに透明人間のしわざにちがいないが、それから先、どこへ行ったのか、音さたないのである。
ポート・バードックの町のうしろは、高原になっている。
その遠くまでつづく高原には森もある。
透明人間はおそらく、その森で、ひと休みしているのではないかと、ケンプ博士も署長も、そのように考えていていた。
ケンプ博士は、透明人間はかならず町にもどってくると思っていた。
食物をもとめてのためか。
それだけではない。
博士に裏切られたことへ、仕返しをするために、夜になったら、きっと、博士の家にあらわれるものと信じていた。
夕方になった。
透明人間のゆくえがわからないまま、遠くへにげられたのではないかと、みんないらいらしているところへ、町から一六キロはなれたところで起こった、殺人のニュースがとどいた。
むろん、その事件を調べたその土地の警察からである。
奇妙な事件であった。
そこはバードック卿の荘園のある高原の静かな土地で、荘園ではたらく執事が、じぶんの住居に昼の食事にかえるとちゅう、殺されたのである。
もうながいことバードック卿の荘園で執事をつとめるウィックスティード氏は、おだやかな人柄で、ひとににくまれたり、けんかをしたりするような人でなかった。
昼になると、荘園の木戸から一五〇メートルほどはなれたところにある住居にもどって、食事をするのが日課となっており、草原をとぼとぼ横切る執事を、その日も近所の女の子が見ていた。
「おじさーん」
いつものように声をかけると、いつもならすぐ、にこにこした執事の笑顔と、おどけた返事がかえってくるのに、おじさんはステッキをふりまわして、女の子には見向きもしないで、通りすぎたというのだ。
「おじさん、なにしてるの?」
女の子は、太った執事のあとを追った。
おじさんは、おかしなことをしていた。
見ると、一本の鉄の棒が、執事があるく前に浮かんで、ふらふらとゆれているではないか。
女の子は、びっくりした。
世にもふしぎな宙に浮く鉄棒を追って、おじさんはステッキでその鉄棒を、たたき落とそうとした。
すーっと、鉄棒がにげた。
「この化けものやろう!」
口にしたこともないきたないことばを、おとなしい執事が、めずらしく吐きすてた。
つづいて、このやろう……このやろう、と夢中で鉄棒にステッキで、なぐりかかっていった。
宙に浮いた鉄棒と執事とのたたかいは、ブナ林をぬけて、なおもつづいた。
おじさんは汗をかいて、へとへとになり、それでもあきらめずに、なんとかして鉄棒の化けものをたたき落として正体を見破ろうと、追いつづけ、ついにその鉄棒を石切場といらくさの茂みのあいだに追いつめたのである。
そこで執事ウィックスティード氏は、鉄棒の化けものの猛反撃をくった。
ただ、残酷としか言いようのない、無残な殺されようであった。頭は無惨に砕かれ、腕はへし折られており、あれほど温厚だった人の姿かたちであるとは信じられないほど、見るに堪えないひどい有様だった。
「あいつの仕業です。
透明人間のやったことに違いありません」
ケンプ博士は事件のニュースを聞くと、署長にそう告げた。
「必ず捕まえてみせます。
この町に入ってきたからには、今度こそ逃がしませんよ」
アダイ署長は博士と、これからの対応について打ち合わせを行った。
「私は自宅に戻って、透明人間が現れるのを待ち構えることにします」
博士が警察署を後にすると、外には夕闇が迫り、すっかり夜になろうとしていた。
街頭には警備の人間が立ち、三人四人のチームを組んだ見張りの者たちが、町の通りを巡回していた。
透明人間の最期
緊張に満ちた一夜が明けたが、特に何事も起りはしなかった。
町に透明人間が現れたという話はなく、ケンプ博士の屋敷にも、やつが近づいてくる気配はなかった。
その朝も平和に過ぎ去り、博士が少し遅い昼食をとっていたときのことだった。
一通の手紙が舞い込んできた。
切手が貼られていなかったため、郵税二ペンスが受取人払いとなっていた。
まぎれもなく透明人間からのものだ。
消印はヒントンディーン郵便局。
どこかで紙を盗み出して書き、ポストに放り込んだものとみえる。
――よくも裏切って、おれを苦しめてくれたな。
今度こそ、必ずきさまを殺してやる!
差出人の名前は書かれていなかったが、透明人間、すなわちグリッフィンからの手紙に違いなかった。
消印の押されたヒントンディーンの町からここまでは、一時間もあれば歩いてこられる距離である。
博士は食べるのをやめると、窓際に寄って外の様子をうかがった。
それから家政婦を呼びつけ、家中の窓や戸の鍵をすべて点検させた。
どこにも抜かりはなく、透明人間が忍び込むような隙は一切なかった。
そこへ、心配した警察署長がやってきた。
玄関のドアを開けるのも、人がやっと一人通れるくらいの細目にし、署長を迎え入れるほどの用心深さだった。博士は中に招き入れると、透明人間から届いた手紙を見せた。
「あなたを狙って、ここへ……」
「必ずやってきますよ。
もう、この辺りをうろついているかも知れません」
博士がそう口にした瞬間、ガチャーンと、ガラスが激しく砕ける音が二階のどこかでした。
「二階の窓だ!」
ポケットに隠し持っていた銀色の小型ピストルを固く握りしめ、博士は二階へと駆け上がった。
署長がその後をぴったりと追った。
書斎に飛び込んでみると、庭に面した三つの窓のうち二つが、めちゃくちゃにガラスを叩き割られており、床一面にガラスの破片が散らばっていた。
ケンプ博士は、まだ割られていない三つ目の窓に目を走らせると、ためらわずにピストルを発砲した。
ガラスは弾丸に撃ち抜かれてひび割れ、三角形の破片となって内側へと崩れ落ちた。
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