六月に入って少しすると、カッコウ鳥が鳴き声を響かせます。
そして、カッコウと一緒に、みんなが待ちに待った北海道の初夏がやって来るのです。
長くて寒い北国の春にすっかり疲れてしまった人々は、さわやかな初夏の風が、ようやく出そろったニレの木の青葉を通り抜けて吹いてくる日が二日、三日と続くと、ようやくほっと安心します。
そして、九月までの短い夏に向けて、たくさんの希望を胸にふくらませるのです。
夏に北海道を訪れた人は、みんな口をそろえて北海道の美しさをほめそやします。
その理由は、緑の鮮やかさや、涼しい気温といったこともあるでしょうが、それ以上に、旅人たちにこの土地の空気の清々しさを強く印象づけている一番の要素は、空気の「湿気(しけり)の少なさ」なのではないかと思われます。
昔から、北海道には梅雨(つゆ)がないと言われています。
ここ最近は少し気候のバランスが狂って、梅雨のような雨の日が一度に一週間ほど続くこともあります。
けれど、それでも日本の本州などの大部分をすっぽり包み込むような、あのどんよりと暗くて、人間にも物にもすべてカビが生えてしまうような梅雨とは、比べものにならないほどかけ離れたものです。
この梅雨がないということこそが、北海道の初夏のさわやかさを、この土地ならではの特別なものにしているのです。
木や草は鮮やかな緑色に輝き、空は高く澄み渡って、本州の秋のような美しい色をしています。
そこへ夏の強い太陽の光が降り注ぎ、肌はベタつかずに着物がさらりと心地よく触れるという気候の条件は、梅雨を避けて北海道へやって来た人たちにとって、自分ではあまり意識していないかもしれませんが、心の奥深くに強い印象を残しているはずです。
私が勤めている大学のキャンパスにも、カッコウが鳴きます。
そして、そのカッコウの鳴き声が聞こえてしばらくすると、東京からやって来た女学生たちの白い日傘の列が、毎日のように芝生の間をポツポツと彩るのが見られるようになります。
そうした修学旅行の一行は、大抵の場合、大学の職員や北海道庁で働く人たちの奥さんの中に、卒業生がいることが多いようです。
そして、そうした奥さんたちが二、三人、ときには四、五人も行列の先頭に立って案内して歩いている姿が見かけられます。
東京などの遠くから札幌に引っ越してきて暮らしている人たちにとって、何と言ってもこういうお客さんが来てくれるのは嬉しいことに違いありません。
ときには、奥さんたちだけでなく、そのご主人たちまでが案内役に加わっていることさえあります。
いつの頃だったか、こんな面白い話がありました。
東京のある女学校の修学旅行の一行がやって来たとき、前々から頼まれていたということで、私の知り合いの人が、奥さんと一緒に大学や植物園を案内したことがあったそうです。
そのときには、他にも奥さんたちに駆り出されたご主人たちが二、三人いたとのことでした。
植物園の広い芝生は、東京などの公園とは違って、どこを歩いても自由に歩き回っていいことになっています。
ニレの大きな木が、葉の影が濃くなるほどに生い茂り、ところどころに芝生の上へと木漏れ日の影を落としています。
その絨毯(じゅうたん)のように手入れが行き届いた芝生の上を、女の子たちは飛び跳ねるようにして歩き、とても喜んでいたそうです。
そして、芝生の上で大学の畜産教室で作った本物のアイスクリームをごちそうになり、いよいよお別れというときに、挨拶の時間がありました。
すると、女の子の一人が代表して立ち上がり、お礼の言葉を述べました。
その最後の締めくくりに、彼女はこう言ったのです。
「今回はいろいろな土地を見せていただきましたが、札幌くらい楽しいところはありませんでした。特に、どの土地でも卒業生の方には大変お世話になりましたが、ご主人まで一緒に案内してくださったのは、ここが初めてでした。私たちも、お嫁に行くなら札幌にお嫁に来たいと思います」
これを聞いて、「いやはや、最近の女の子たちには敵わないね」と、その白髪交じりの紳士は苦笑いをしていたそうです。
札幌には、どこか西洋風のしゃれた雰囲気が漂っています。
そして、夏に札幌を訪れる人たちの心まで、なんとなく浮き浮きとさせるような空気感があります。
この雰囲気を生み出している一つの大きな要素は、あのさらりとした夏の着物の肌ざわりのような、爽やかな空気にあるのではないでしょうか。
そう考えると、札幌の人たちは、この水蒸気の少ない夏の空気に、心から感謝しなければならないのでしょう。
(昭和十五年六月)
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