草原の草と草を結び合わせて通りかかった人をびっくりさせて転ばせたり、田んぼ道に小さな落とし穴を作って人をはまらせたり、夏の暗い夜に道の上の牛のフンの上にピカピカ光るホタルの虫を乗せておいたり、道端にサツマイモの葉っぱをかぶせた提灯(ちょうちん)を置いて臆病な人を怖がらせたりといったような、イタズラの「芸術」とも言える技にもすごく長けていました。
月夜の晩に、道路の真ん中に財布を落としておいて自分は物陰に隠れ、通行人があたりをキョロキョロ見回しながらそれを拾おうと手を伸ばしたとき、そっと手元の糸を引っ張ると財布がひとりでにスルスルと動き出す……なんていう、とっても深い(?)「イタズラ教育」も実行していたみたいです。
だけど、こうしたすごい知恵の数々は、すべて亀さんが自分一人で思いついたわけではなくて、その大部分は重兵衛さんが夜にお酒を飲みながらお話ししてくれた内容から授かったものだったのでした。
重兵衛さんが子ども時代に通っていた寺子屋でのイタズラの中には、かなりハラハラするような激しいものもあったみたいです。
こういった、学校では決して教えてくれない「イタズラを通じた学び」も、今になって振り返ってみると、自分にとってはいろんな意味ですごく役に立ったし、貴重な体験だったなぁと思うのです。
人生の歩みの中で待ち受けている、いろんな落とし穴に対して「気をつけなきゃ!」と思う警戒心の芽を、しっかりと植え付けてくれたような気がするからです。
他人のちょっとした苦しみを、自分の楽しみにちょっぴり変えて面白がるという、不思議な心理がどんなに優しい人たちの心の奥にもひっそり隠れているんだということも、教えてくれた気がします。
それから、「冒険」というものに対するワクワクした本能的な興味の、一番最初の小さな火種にパッと火をつけてくれたとも考えられるのです。
このごろは映画館やテレビ(活動写真)で、いろんな空の上の戦いのカッコいい映像が見られます。
空の勇士である選りすぐりのエースパイロットが、使い慣れた爆撃機を操縦して敵の陣地に向かっていくときの気持ちの中には、なんだかどこか、亀さんが「やかっましやの隠居」の大切にしている柿をこっそり盗みに出かけたときの気持ちと、よーく似ている部分があるんじゃないかなぁ?
そんな他愛のないことを考えたりもするのです。
まあそれはともかくとして、亀さんがもしも空を飛ぶパイロット(鳥人)になっていたら、きっと人並み外れたすごい技を次々と見せてくれる、ものすごく優秀な操縦士になっていたに違いありません。
亀さんの妹の丑尾(うしお)さんとは、あまり一緒に遊ぶ機会がなかったようです。
その頃は、男の子と女の子が一緒に遊んでいると、まわりの遊び仲間から「おとことおなごとおにやんべ、やんがておややができやんしょ(男と女が一緒にいるよ、もうすぐお父さんとお母さんになっちゃうよ)」なんて歌ってからかわれてしまうのです。
だけど、たった一度だけ、ある小春日和のぽかぽかした日にうちの門の前で起った、小さな出来事だけはハッキリと心に残っています。
たぶん七、八歳くらいの自分と、五、六歳くらいの丑尾さんが、門のところの坂道で日向ぼっこをしていたときのことです。
自分が門の柱にもたれかかって、ぼんやりと前の小川を眺めていると、丑尾さんが自分の目の前にスーッと立って、しばらくじっと自分の顔を見つめていました。そして本当に突然、そのかわいい両腕を左右にパーッと大きく広げたかと思うと、いきなり飛びつくようにして、ギュッと強く自分を抱きしめてきたのです。
そのとき自分がそのままじっと固まっていたのか、それとも慌てて押し返したのかは、もう全然覚えていません。
ただ覚えているのは、丑尾さんが古びた袖なしのちゃんちゃんこを着て、頭を小さな「おちご(子どもの髪型)」に結んでいたこと、そして、その日の小春日和の太陽の光が、本当にうららかで暖かくてのんびりしていたということだけです。
この丑尾さんは、たしか自分の家族がそのあと一時的に東京へ引っ越していた、その二年の間に病気で亡くなってしまって、十歳にもならない本当に儚(はかな)い短い人生でした。
だけど、自分の子どもの頃の思い出という夢の舞台に登場する、たった一人の女の子のヒロインといえば、このちょっと不器用でかわいそうな丑尾さんだったのです。
重兵衛さんの長男の楠次郎(くすじろう)さんからは、英語の最初のいろはを教わりました。
これについては以前にも書いたことがあるので、ここでは省略しますね。
楠さんは独学で法律を勉強して、のちに裁判所の書記さんに採用された人でした。
弟や妹たちとは違って見た目もスマートですごくハイカラ、そのぶんおしゃれにも気を配っていました。
自分の家ではなかなか落ち着いて勉強ができなかったので、円行寺橋(えんぎょうじばし)のたもとにあったおじいさんとおばあちゃんの家の静かなお部屋を借りて、下宿していたのです。
ある夏の日の午後、いつものようにそこへ英語を教わりに行くと、自分にとって生まれて初めての、とっても珍しい飲み物を飲ませてもらいました。
コップに一杯のきれいな砂糖水を作って、その上に小さな小瓶に入った茶色いお薬のような液体のしずくをポタリと一滴垂らすと、それが一瞬でパーッと広がって、水が真っ白なミルク色に変わったのです。
飲んでみると、言葉では言い表せないほどいい香りが、鼻とノドを通って体いっぱいにフワーッと広がっていくのでした。
「これ、なーに?」と聞くと、「レモン油っていうんだよ」と教えてくれました。
それは今でいう「レモン・エッセンス」だったんですね。
明治の十七、八年頃の、のんびりした田舎町の裁判所の書記生としては、本当にびっくりするくらいハイカラなことだったに違いありません。ゲーテの『ライネケ・フックス』の翻訳本を読んで聞かせてくれたり、十歳にもならない自分に対してミルの経済学やルソーの社会契約論を教えてくれるという期待を持たせてくれただけでも、楠さんはたしかにその時代の先を行く新しい人であり、少なくとも自分にとっては、やがてやって来る「約束の国」の到来を告げる天使のような役割を果たしてくれたように思えるのです。
自分の一家がいったん東京へ引っ越し、それから再び故郷のまちへと戻ってきた頃には、重兵衛さんの家はうちのすぐ東隣の敷地へと引っ越してきていました。
まもなく重兵衛さんは亡くなり、そうこうしているうちに息子の楠さんはお嫁さんを迎えて新しい家庭を作りました。
結婚してからまだ間もない頃のことだったと思います。
ある日、うちの女中さんが近所の主婦たちを二、三人連れて、垣根のすき間からお隣をのぞき見しながら、何かひそひそとおしゃべりをしてはこらえきれずにクスクスと笑い合っていました。自分も好奇心をそそられてちょっとのぞき込んでみると、お隣の裏庭には椅子が持ち出されていて、そこに楠さんが腰をかけています。
そのそばに立った、きれいに髪を結った新妻さんが、テキパキとたすき掛けをして、自分のご主人である新郎のひげをそってあげている光景が、目の前にパッと広がったのです。
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