のぞき見をしていた女性たちの目には、その仲睦まじい光景が、まるで何かとんでもない悪いことでもしている現場を押さえたかのように、とにかく笑いものにすべき、あるいはバカにすべきこととして扱われているようでした。
しかし、当時の自分にはその光景がものすごく美しく、のんびりと平和なものに思えて、だからこそ女中さんたちのそういう意地悪な態度に対して、少なからず不満な気持ちを抱いたのでした。
その後、重兵衛さんの一家がどうなったのか。
これについての自分の記憶は、まるでキレイに雑巾で拭き取られたかのように、すっかり消え去ってしまっています。
ただ、楠さんのお嫁さんが亡くなり、その後でお酒が大好きになってしまった楠さんも若いうちに亡くなったこと、そして亀さんがお医者さんのところで書生をしていて、のちに東京に出てきてどこかの病院で代理のお医者さんをしているというウワサを耳にしたような気がする、それだけなのです。
子ども時代を思い出そうとするときに必ず思い出す、この重兵衛さんの一族の人々が、自分の心の世界に与えてくれた影響なんてものについて、自分はごく最近まで一度だって真剣に考えてみたことはなかったのでした。
こうして年をとるにつれて、自分にとって親しかった人や、自分の人生に決定的な影響を与えてくれたはずの昔の先生や友達が、だんだんと亡くなっていく。そんな思い出に浸る勢いに押されて、自然と昔へ昔へと記憶の糸をさかのぼり、子供の頃のまわりの環境の中から懐かしい顔ぶれを探すようになるのです。
そんな思い出の国にいる人たちは、世間ですごい業績を残した偉い人でもなんでもなかったはずですが、そういう普通の人たちから、まったく気づかないうちに受け取った教育の効果というのは、良いにしろ悪いにしろ、本当に予想もしないほど大きくて重大なものなのだということが、ようやく最近になって少しだけ分かりかけてきたような気がするのです。
この、これといった大事件もない重兵衛さん一家についての平凡な思い出話が、子どもを育てている現代の世の中の親御さんたちにとっても、ひょっとしたら何かの子育ての参考になるかもしれないなぁと思うのです。
(昭和八年一月『婦人公論』)
(『蒸発皿』への追記)この記事がきっかけとなって、重兵衛さんの次男である亀さんからの便りを受け取ることができました。
今では立派なお医者様になって、大連のほうにお住まいなのです。
家族みんなが写っている写真を送ってくれましたが、そこには四十年前の亀さんの面影が、今日でもそっくりそのまま変わらずに残っていたのでした。
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