初級翻訳・ねずみと猫 第2話

ねずみと猫

昼間から平気でちょろちょろと茶の間に顔を出したりするのだ。
ある日の夕方、二階で仕事をしていると、突然階下で激しい物音や、人々の大騒ぎする声が聞こえてきた。
慌てて下りていってみると、玄関の三畳の部屋へとネズミを二匹追い込んで、二人の下女が箒(ほうき)をブンブンと振り回しているところだった。
やっとの思いでそのうちの一匹を箒でおさえつけたのを、私が火箸(ひばし)で少し引きずり出してから、首のあたりをギューッと麻糸できつく縛り上げた。
縛り方があまりに強かったものだから、ネズミはすぐに息絶えてしまった。
その最後の苦しみを表すような規則正しい痙攣(けいれん)を見つめているうちに、ふと、つい最近読んだある死刑囚の最期の様子が頭にパッと浮かんで来たのだった。

ところが、もう一匹のネズミが一体どこへ隠れてしまったのか、すっかり姿を消してしまっていた。
何もないはずの玄関のことだから、どこかに身を隠せるような穴なんて見当たらない。
念のために長押(ながし)の裏をろうそくの明かりで照らしながら、火箸で突っついて歩いてみたが、やっぱりそこにもいなかった。
ただ一箇所、壁がポロリとこぼれた隅の方に穴のようなものが見えたが、光がうまく届かないのではっきりとしない。
仮にそれが穴だとしても、そこを抜けて一体どこへ出られるのかということが全く分からないのだ。
もしや、誰かの袂(たもと)の中にでも入り込んやりはしまいかと調べてさせたが、もちろんそんな所にはいなかった。
なんだか不思議で不気味な気持ちにもなった。
小さな動物に、大きな人間がすっかり翻弄(ほんろう)されているような気さえしたのだ。

ここでもし、徹底的な科学的方法でちゃんとした論理を追いかけていきさえすれば、このなんでもないミステリーはすぐに解けたに違いないが、なんだか少しバカバカしくもなってきたので、この目の前にある、明らかに物理の法則と矛盾しているような事実を、都合の良い仮定の「長押の裏の穴」で「説明」したことにし、自分の中でうやむやにごまかしてしまったのだった。
もっとも、科学の世界においてさえも、これに似たような例がないとは言えない。
明るみに出た矛盾を、暗い穴の中にグッと押し込んでただ安心している、そんなことがないでもないのだ。
もしこれが出来なくなってしまったら、世の中の多くの学者たちは、安心して枕を高くして眠ることもできなくなるに違いない。
人生の悩みや問題にどうしても無頓着でいられない人々の間では、「猫いらず」という怪しい薬の需要は、これからますます増えていくのかもしれない。

この大騒動が静まって、やっと十分か二十分ほど経ったと思うころ、今度は台所で第二の騒ぎが始まった。
人間の悲鳴だか、動物のうめき声だかわからないような、なんとも気味の悪い叫び声が、子どもたちのワイワイ騒ぐ声に混じって聞こえてきたのである。
何事かと思って見に行くと、まだ年のいかない下女が茶の間の真ん中にポツンと立ち、大きな口をあけて変な声を出しながら、体をクネクネと色々にねじらせている。
まわりのみんながそれを四方から遠巻きにして取り囲み、口々に何か話しかけているのだ。
聞いてみると、なんと背中にネズミが入り込んでいるというのである。
着物のすき間なのか、羽織の下なのか、一体どのあたりにいるのかと尋ねても、ただ意味不明な声を上げるばかりで要領を得ない。
ネズミが動くたびに、下女は変な叫び声をあげては体をブルブルとゆさぶるばかりだった。
そこで、私がそっと羽織のすそを持って静かにはぐり上げてみると、なんと可愛らしい子ネズミが四本の足をピーンと伸ばし、まるで標本でもはり付けにしたかのように、羽織の裏地にしっかりと密着してしがみついているではないか。
私が羽織を激しくバサリと一振りすると、ネズミはポタリと畳の上に落ちた。
そこから慌てて逃げ出そうとするのを、手早く座布団で上からフタをして押さえ込み、あとは第一のネズミと同じ方法で処分したのだった。

この可愛らしい小さな命の、最後のわずかな震えを見ている時も、やはりあまり良い気持ちはしなかった。
さっきまでちゃーんとそこにあったはずの「命」が、ふうっと消えてなくなってしまう。
この極めてありふれていながら、しかも極めて不可解な「死」という現象について、いくらか純粋にじっくりと考えてみるには、かえってこれくらいの小さな動物の場合が一番ぴったりな適当な例なのではないか、そんな気さえしたのだ。
人間の死や家畜の死には、あまりにも多くのドラマや前置きがくっつきすぎている。
本編がなくて後書きの言い訳ばかりがやたらと長い、そんなものとは比べものにならないほどシンプルだ。
子どもたちも身動き一つせず、真剣なまなこでその様子じっと見つめていた。
こういう出来事を、まだ幼い子どもたちの柔らかい頭の中にしっかりと焼きつけてしまうことの良し悪しを、世の中の教育者たちに聞いてみたら、いったいどんな答えが返ってくるだろうか。
おそらく、「あまり良くないことだ」と言われるに違いなかった。それはもとより子供の素質にもよるだろうし、前後の事情にもよるだろうと思うが、実用的にはやはり、動物の生命を絶つ行為はすべて残酷でいけない事であるという事に取りきめておくほうが簡単で安全だろうと思う。
そうかと言ってこのような重大な現象を無感覚に観過させないまでもそれを直視させるのをしいて避けるのもどんなものであろうか。
ねずみを縛り殺していた時の私の顔がよほど平生とちがった顔になっていたという事をあとで聞いて少し意外な気がした。
こんな顔だったなどと言って鉛筆でかいて見せるものも出て来た。
あとで聞いてみると、玄関の騒ぎが終わった後に女中が部屋へ帰ってすわっているうちに妙に背筋の所がぽかぽか暖かになって来たそうである。
変だと思っているうちに、そこに重みのある或るものが動くのを感じたので、はじめて気がついていきなり茶の間へ飛び出し、奇妙な声を出し始めたのだそうである。
窮鳥はふところに入る事があり、窮鼠は猫をかむ事があるかもしれないが、追われたねずみが追う人の羽織の裏にへばりつくという事はあまりこれまで聞いた事がなかった。
しかしあとになって考えてみると、締め切った三畳の空間からねずみが一匹消え去る道理はなかった。
仮定的な長押の穴はそれっきり確かめてもみないが、おそらくほんとうの穴でなかったろうし、たとえ穴であってもその背面には通っていない事が少し考えれば家の構造の上からすぐわかるわけになっていた。
それでだれかの着物に隠れているという事は始めから自明的にわかりきった事であったのである。
それにしても、羽織の裏にしがみついて人間と背中合わせにぶら下がったままで十分以上も動かないでいたねずみの心持ちがわからない事の一つである。
極度の恐怖が一部の神経を麻痺させて仮死の状態になっていたのか、それとも本能的の知恵でそうしていたのか、おそらく後者と前者が一つ事がらを意味するのではあるまいか。
このような騒ぎがあった後にも鼠族のいたずらはやまなかった。

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