初級翻訳・鉄人Q 第5話

江戸川 乱歩

なんだか、お金の計算を、よく知らない人のようです。
鳥井君は、あきれて大男の後ろ姿を見ていましたが、その歩き方が、じつにへんてこでした。
まるで、機械じかけの人形のような、ぎごちない歩き方です。
鳥井君は、はっと、あることに気がつきました。
「あいつは鉄人Qかもしれないぞ。
鉄人はけさ、東洋銀行から札束をぬすんで、逃げてしまったということだ。
いまの千円札は、その札束の一枚じゃないかしら。」
そう思ったので、鳥井君は、店にいたご主人にそのことを話し、おゆるしを受けて、店の懐中電灯をポケットに入れると、いそいで大男のあとを追いました。
チンピラ隊にいたのですから、尾行はお手のものです。
大男は上野公園の入口の坂道を、のぼっていきます。
夜で人通りがないので、東京のまん中とも思えないほど、さびしいところです。
「ははあ、わかったぞ。
あいつ、きのう、小さい女の子をさらっていったということだ。
その女の子を、どこかにかくしていて、女の子に食べさせるために、あんなに食料を買っていったのだな。
あいつは鉄の人間だから、何も食べないでも生きていられるのだ。
あの食料は女の子のためのものにちがいない。」
りこうな鳥井少年は、早くも、そこへ気がつきました。
大男はだんだん、上野公園の奥へはいっていきます。
あたりはシーンとしずまって、ほんとうの山の中のようなさびしさです。
五重の塔

男は、ぐんぐん奥へはいっていって、動物園のてまえを、左の方へ曲がりました。
そこには東照宮があって、五重の塔が、黒い怪物のようにそびえています。
鳥井少年は、相手に気づかれぬように、どこまでもあとをつけました。
そのへんは、ほんとうの森のようにいっぱい木が茂っているので、あとをつけるのには、わけはありません。
あやしい男は、だんだん五重の塔の方へ、近づいていきました。
そして塔のそばまで来ると、その向こうがわへ曲がったので、男の姿は、見えなくなりました。
鳥井少年は、すぐにそこへ行っては、相手が待ちぶせしているかもしれないと思ったので、しばらく待ってから男の曲がったかどまで行って、塔の向こうがわを、のぞいてみました。
おやっ? どうしたのでしょう、男はどこかへ、かくれてしまいました。
くらやみですから遠くまではわかりませんが、見わたすかぎり動いているものは、何もないのです。
鳥井君がためらっていたのは、ほんのちょっとのあいだです。
遠くまで行くはずはありません。
「おかしいな、どこへかくれたんだろう。」
鳥井君は、キョロキョロしながら、その辺を歩きまわってみました。
暗いといっても、ところどころに街灯がたっているのですから、相手が歩いていれば、わからないはずはありません。
あの男は、鳥井君につけられているのを知って、木のしげみの中へ、かくれたのでしょうか。
鳥井君は、こちらも木の幹のかげにしゃがんで、いまに出てくるかとじっと待っていましたが、いつまでたっても動くものはありません。
そのとき、シーンと静まりかえったやみの中から、
「ギャーッ。」
という声が、聞こえてきました。
鳥井君は、びっくりして逃げだしそうになりましたが、よく考えてみると、それは近くの動物園で、鳥が鳴いた声だったのです。
ふと目を上にむけると、くもった空に、五重の塔のまっ黒なかげが、そびえています。
とほうもなく大きな怪物が、つったっているようです。
鳥井君は、ゾーッと、こわくなってきました。
すぐ向こうのしげみが、カサカサと音をたてて、動きました。
風ではありません。
なにかいるのです。
鳥井君は、はっとして身動きもできなくなりました。
カサカサと木の葉が動きつづけて、ヌーッと、黒いものがあらわれてきました。
二つのリンのような目が、光っています。
それは、一匹ののら犬でした。
「なあんだ。
犬だったのか。」
鳥井君はやっと安心しましたが、もういっときも、こんなさびしいところにいる気はしません。
そのままうしろも見ないで、かけだしました。
ふりむくのがこわいのです。
ふりむいたら、あのおそろしい鉄の怪物が、すぐあとから追っかけてくるように思われたからです。
ゆれる部屋

「おじちゃん、帰ってきたの?」
まっくらな中から、かわいらしい女の子の声が聞こえました。「はい、あなたの食べるもの、買ってきたよ。おなかがへっているでしょう。」
男の声が聞こえました。
なんだか、電話の受話器から聞こえてくるような、ふしぎな機械の声です。
「わたしは、くらいところでもよく見えるけれど、あなたには見えないよね。手でさぐってみてごらん。
さあ、これがパン、これが牛肉、これがジュースだよ。」
牛肉のかんづめは、あらかじめふたが開けてありました。
ジュースも、飲み口がしっかりと開けられていました。
「わあ、パンだ! 牛牛肉だね! それから、ジュースのびんだわ!
うれしい! あたし、死んじゃいそうなほどおなかがすいていたのよ。」
まっくらやみの中で、手づかみでパンや牛肉をムシャムシャと食べる音や、びんの飲み口からジュースをゴクゴクと飲む音が、しばらくの間つづきました。
「おいしいかい?」
「おいしいわ!」
「ミドリちゃんは、おじさんのことが好きかな?」
「うん、好きよ! でも、パパもママも、おにいさまも大好き。
どうしてこんな暗いところにいるの? はやくおうちへ帰りたいな。」
「もうすぐ、おうちには帰れるよ。ここにいれば、そのうちパパがやってくるからね。それまで、おじさんとふたりで待っていよう。」
「ほんとうに、パパが来るの?」
「ああ、まちがいないとも。」
そして、しばらく静かになったあと、またあの電話のような声が聞こえてきました。
「ミドリちゃん、さびしくないかい?」
「ううん、さびしくないわ。だっておじちゃんがいてくれるんだもの。」
「わたしも、ミドリちゃんがいてくれるからさびしくないよ。おじさんは友だちがひとりもいなくてさびしかったから、ミドリちゃんを連れてきたんだ。だから、ぼくの友だちになってくれるかい? ね、ね、なってくれるよね。」
「うん、友だちになってあげる! でも、すごく暗いお部屋だね。お顔が見えないわ。電気はつかないの?」
「ここは電気をつけられないんだ。でも、朝になったら明るくなるよ。
ミドリちゃん、とても疲れただろう。そこにわらがたくさんあるから、その上でゆっくりおやすみ。おじさんがしっかり番をしてあげるから、安心して眠っていいよ。」

さあ、読者のみなさん!
もうおわかりですよね?
ここはどこかのまっくらなお部屋で、鉄人Qとミドリちゃんが仲良くお話をしていたのです。
ミドリちゃんはまだ小さな子どもなので、鉄人Qをちっともうたがっていませんでした。相手が恐ろしい怪物だということにも気づいていないのです。
ふしぎなことに、鉄人Qはミドリちゃんをとても大切に扱っていました。
あぶない思いをしてまで、パンや牛肉やジュースを買ってきたことも、ミドリちゃんをかわいがっている何よりの証拠(しょうこ)です。
それにしても、このまっくらなお部屋は、いったいどこにあるのでしょうか?
お部屋全体が、なんだかかすかに揺れているような気がします。

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