初級翻訳・妖怪博士 第1話

妖怪博士

奇怪な老人

 空が一めん、白い雲におおわれた、どんよりとむしあつい、春の日曜日の夕方のことでした。
 十二、三歳のかわいらしい小学生が、麻布の六本木に近い、しずかな屋敷町を、ただひとり、口笛を吹きながら歩いていました。
 この少年は、相川泰二(あいかわたいじ)君といって、小学校の六年生なのですが、きょうは近くのお友だちのところへ遊びに行って、同じ麻布の笄町(こうがいちょう)にあるおうちへ帰る途中なのです。
 道の両がわには大きな屋敷の塀がつづいていたり、神社の林があったりして、いつもは人通りのすくない場所ですが、それがきょうはどうしたことか、一段とひっそりとしていて、長い町の向こうのはしまで、アスファルトの道路がしろじろとつづいているばかりで、だれの姿も見えません。
 空はくもっていますし、おまけにもう日暮れに近いので、泰二君はなんだかみょうに心ぼそくなってきました。
 口笛を吹きつづけているのも、その心ぼそさをまぎらわせるためかもしれません。
 ところが、足早に歩いていた泰二君は、とある町かどをまがったかと思うと、ハッとしたように口笛をやめて、ピタリと立ちどまってしまいました。
 とてもへんなものを見たようです。
 二十メートルほど向こうの道路のまんなかに、ひとりのぶきみな老人がうずくまって、怪しげなことをしているのです。
 老人は、映画に出てくる西洋の乞食(こじき)みたいな格好をしていました。
 長いあいだ床屋に行ったこともないようなモジャモジャの白髪頭(しらががたま)、顔じゅうをうずめた白いほおひげとあごひげ、身にはくず屋のかごの中からでも拾い出してきたようなボロボロの古い洋服を着て、靴下もはかずにやぶれ靴を履いています。
 その乞食のような老人が、道路のまんなかにうずくまって、白いチョークのようなもので地面に何かを書きつけているのです。
 泰二君は、「変だな」と思ったものですから、町かどに身をかくすようにして、そっと様子をうかがいました。すると老人は地面に何かを書きおわると、まわりを気にするようにキョロキョロとあたりを見まわし、そのまま向こうへ歩いていきました。
 泰二君は老人が立ちさるのを待ってその場所へ行き、何を書いたのかと地面のアスファルトの上をながめました。そこには、直径八センチほどの丸の中に十字が書いてあって、その十字の一本の棒のはしに矢印のしるしがついているのです。
 「おじいさんのくせに、こんなみょうないたずら書きをするなんて、あの人は頭がどうかしちゃったのかな」と思いながら、遠ざかっていくそのうしろ姿を目で追っていると、どうしたことでしょう、向こうの曲がり角で、老人がまたうずくまっているではありませんか。
 そして、さっきと同じように、地面へ何かを書きつけています。
 相手がそこを立ちさるのを待っていってみますと、やっぱり同じ丸の中に十字が描かれています。そして、一本の棒のはしには、方角を示すような矢印のしるしがついていました。
 「変だぞ。もしかしたらあのじいさん、何か悪だくみをしているんじゃないか? 仲間に何か合図を送るために、こんな暗号みたいなものを書きながら歩いているのかもしれないぞ」
 泰二少年は、ふとそんなふうに疑わずにはいられませんでした。
 「よしッ、ひとつ、あのじいさんのあとをつけてみよう!」
 そう心の中でつぶやくと、少年は相手に気づかれないよう気をつけながら、そっと後をつけはじめました。
 読者のみなさんは、小学生の泰二君がこんな探偵みたいなまねをするのは変だなとお思いでしょうね。しかし、これにはちゃとしたわけがあるのです。
 「怪人二十面相」や「少年探偵団」をお読みになったみなさんなら、よくごぞんじでしょうが、名探偵・明智小五郎の少年助手である小林芳雄(こばやしよしお)君が団長となって、小学生十人ほどで組織している「少年探偵団」という団体があるのです。
 そして、相川泰二君も、じつはその少年探偵団員のひとりなのです。
 そういうわけですから、何か犯罪に関係のありそうなものに出あうと、ついその秘密を探ってみたくなるのも、むりのないことでした。
 さて、姿をかくしながら尾行をつづけていきますと、怪しい老人はそんなこととは露知らず、ますますさびしい屋敷町へとテクテク歩いていきました。しかし奇妙なことに、町かどへ来るたびに、かならず地面にしゃがみこむのです。
 そして、前後のようすを見まわしながら、チョークで例の「丸に十字」の符号のようなものを書くのです。
 「やっぱり、あいつはあやしいやつだ! 町の曲がり角に来るたびにあの符号を書くところを見ると、きっと仲間の悪者たちに、どこかへ行くための道順を知らせているにちがいないぞ」
 泰二君は心の中でつぶやきながら、いよいよ熱心に後を追い続けました。
 老人と泰二君は、それから五つの町かどを曲がりました。つまり、「丸に十字」の符号が五つ書かれたわけです。
 ところが、六つめの符号は、町かどではなくて、一軒の洋館の門の前の地面にしるされたのです。泰二君は、その町は今まで通ったことがなく、その洋館もはじめて見たのですが、これが今の東京にある建物かしらと思われるような、ひどく古めかしい、なんだか一世紀もむかしの西洋の物語にでも出てくるような洋館でした。
ずっと赤いれんが塀がつづき、その中ほどのこけのはえた石の門に、唐草もようになった鉄のとびらがしまっています。
その中にある建物は、同じ赤れんがの二階建てで、三角形にとんがった屋根には、むかしふうな四角い暖炉のえんとつがニューッとつきだしています。
窓は小さくて数もすくなく、家の中はさぞうす暗いだろうと思われるような、陰気なうすきみの悪い建築です。
そのれんが塀のかどに身をかくして、じっとようすをうかがっていますと、怪老人は、その石門の前の地面にうずくまって、ねっしんに例の符号を書いていましたが、それを書きおわって立ちあがると、またあたりをジロジロと見まわしてから、唐草もようの鉄のとびらに近づき、それを細めにひらいて、洋館の門の中へ、しのびこむように消えていきました。
「いよいよへんだぞ。
あんなきたない乞食じいさんが、このりっぱな洋館に住んでいるはずはない。
しのびこんで何かぬすむつもりじゃないかしら、それとも、もっとおそろしいことをたくらんでいるのかもしれないぞ。
」泰二君はそう考えますと、もう心配でたまらなくなりましたので、急いで門の前に近づき、とびらの唐草もようのすきまから、中をのぞきこんでみました。
すると、ああ、どうでしょう。
案のじょう老人は悪者でした。
洋館の外を右がわへまわって、そこの窓をよじのぼっているではありませんか。
家人にさとられぬよう、部屋の中へしのびこもうとしているのです。
「ああ、たいへんだ。
どうしようかしら。
」と泰二君がまよっているうちに、怪老人の姿は窓の中へ消えてしまいました。
中で何をしているのかと思うと、もう気が気ではありません。
おまわりさんに知らせるのがいちばんいいことはわかっていました。
でも、遠くの交番までかけだしているうちに、老人は目的をはたして逃げだしてしまうかもしれません。
「そうだ。

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