初級翻訳・鉄塔の怪人 第24話

江戸川 乱歩

頭に生えた恐ろしい一本の角、ギクシャクした長い足、真っ黒な背中に白いドクロ模様のある巨大なカブトムシは、おそろしい速さで部屋の中を駆け回りました。
駆けるにつれて足の関節がギシギシと鳴り、ヌーッと伸びた真っ黒な長い角が、何かを突き落とすようにクイクイと上がったり下がったりするのでした。
カブトムシの駆け回る速さはますます加わってきました。
今はじゅうたんの上を走るだけでなく、安楽椅子やそこにあるテーブルの上に駆け上がり、駆け降りるのです。
ちょうどいつかの夜、銀座の大通りで自動車の車体を乗り越して進んだのと同じ勢いでした。
やがて、もっと恐ろしいことが起こりました。
カブトムシは部屋の壁をよじ登り始めたのです。
本物のカブトムシは、壁でも天井でも自由に這い回ります。
この人間カブトムシも、それと同じことをやろうというのです。
巨大な真っ黒な体が、ガリガリと恐ろしい音を立てて、壁際の棚を足場に登り始めました。
いくども失敗して中途から転がり落ちた末、とうとう天井まで這い上がりました。
そしてそこから、パッとじゅうたんの上へ落ちるのです。
本物のカブトムシが木の枝から落ちるように、真っ逆さまに落ちてくるのです。
それをいくども繰り返すのです。天井から恐ろしい音を立てて落ちるときには、たいてい背中を下に、腹を上にしてじゅうたんの上に転がります。そして、しばらくの間、不気味な長い足をモガモガと動かしているうちに、ピョイとまともな姿勢になるのです。これも、よほど練習しなければできない技に違いありません。

二十分ばかりも思う存分這い回り、飛び回ったあとで、カブトムシはやっと運動をやめて仰向けになったかと思うと、例の腹の裂け目から、ぬっと白髭のじいさんの顔が現れました。見ると、その顔は汗でびっしょりです。じいさんはカブトムシの殻からすっかり抜け出すと、もとの安楽椅子に腰掛けました。そして、そこへうずくまってじっとしていた子どもカブトムシに話しかけました。

「どうだ、わかったか。カブトムシはこんな具合に動くのだ。おまえにはまだとてもできないが、明日から他の兵隊たちと一緒に訓練をしてやる。わしが鞭を振るって、ピシリ、ピシリと背中を叩きつけながら訓練してやる。では、もう部屋へ引き取って寝るがいい。十二号室だ。わかっているだろうな。さあ、行きなさい」

そう言われると、かわいそうな子どもカブトムシはモゾモゾと動き始めました。そして、ドアの方に向かって這ってくるのです。ドアの隙間から夢中で覗いていた小林君は、はっとして飛びのき、廊下の闇の中に身を隠しました。ドアが開いたかと思うと、すぐにピッタリと閉まりました。

暗闇といっても、どこか遠くの方の明かりがその辺を薄明るくしているので、やっと物の形を見分けることができます。しばらくすると、壁に身をつけて隠れている小林君の前を、黒いカブトムシがゴソゴソと這っていくのが見えました。さっきの子どもカブトムシです。闇の中にほんのりと、背中のドクロ模様が浮いて見えます。真っ暗な中を、同じように黒い巨大な妖虫がモゾモゾと這っていきます。はっきり見えないだけに、それはなんとも言えない気味悪さでした。

小林君は、闇の中にうごめくこの妖虫のあとを追って、壁際を少しずつ歩き出しました。なぜでしょう。読者諸君はとっくにお分かりですね。その子どもカブトムシの中には、怪人団にさらわれた、あの高橋賢二少年が閉じ込められていたからなのです。

小林君は、子どもカブトムシのあとをつけて十二号室に入りました。それから、その部屋の中でどんなことがあったかは略します。なぜなら、それは間もなくわかるときがくるからです。

お話は、その翌朝、同じ石の建物の中の大広間で起こった出来事に移ります。その朝、大広間にはピシッ、ピシッと鞭の音が響いていました。その広間の中を、十数匹の大カブトムシがゾロゾロと行列を作って這い回っていました。その輪になった行列の真ん中に、派手な縞の洋服を着た白髭のじいさんが、手に長い鞭を持って立っているのです。それは、いつか賢二少年が、兄の壮一君と一緒にうちのそばの町角で、のぞきカラクリを覗いたときの光景とそっくりでした。そして、あののぞきカラクリを見せてくれたじいさんこそ、いまこの部屋の真ん中に鞭を手にして立っているじいさんと同じ人だったのです。

「そら、しっかり歩くんだ。おい、十一号、向きが違うぞ。列を離れてはいけない」

ピシリーッ。恐ろしい鞭が、十一号と呼ばれたカブトムシの背中に飛びました。

「今度は走るんだぞ。遅れたやつは鞭のお見舞いだ。そら、いいか、駆け足っ……」

号令とともに、鞭が空中でピシッ、ピシッと鳴りました。十数匹の巨大なカブトムシたちは鞭を恐れて駆け出しました。いくつとも知れぬ足が床をこする音が、ザーッというような異様な響きを立てるのです。巨大な妖虫どもが大きな輪を描いてグルグル、グルグルと広間の中を駆け回る有様は、実に何とも言えない変てこな、薄気味悪い光景でした。

そして、駆け足で三度ほど回ったときでした。突然、「止まれっ……」じいさんが激しい声で号令をかけました。

「おい、十二号、こちらへ来い」

そして、十二号の背中にピシリーッと鞭が当たりました。

「おかしいぞ。おまえ、いつの間にそんなにうまくなった。昨日入ったばかりの兵隊が、そんなに走れるはずがない。おかしいぞ。おい、仰向けになれ。そして顔を出してみろ」

また、鞭が飛びました。しかし、列を離れた十二号のカブトムシは、じっとしたまま、身動きもしません。

「いよいよおかしいぞ。きさま、だれかに代わってもらったな。だれだ、この子どもの身代わりになったやつは。さあ、出てこい。顔を見せろ。出ないと……」

ピシリーッ! 二度三度と、鞭が背中に飛んできました。それでも十二号は、頑固に黙り込んでいます。そこにうずくまったまま、てこでも動かないという構えです。

そのときでした。部屋の外の廊下の方から、ただならぬ物音が近づいてきました。

「さあ、こっちへ来い。きさま、けしからんやつだ。ベッドの下なんかに隠れて、訓練をなまけやがって……閣下、昨日入った十二号の新兵が、ベッドの下に隠れているのを見つけて、引っ張ってきました」

賢二少年が、ふたりの荒くれ男に両手をつかまれて、部屋の入り口に現れました。ふたりの男は、じいさんの側近の子分なのでしょう。ジャンパーを着た、人相の悪そうなやつらです。これがこの王国の「将校」なのかもしれません。

「うーん、やっぱりそうだったか。すると、ここにいる十二号は何者だ。おい、おまえたち、こいつをひん剥いてくれ!」

じいさんは、白い髭を震わせて怒鳴りました。ふたりの男は、その命令を聞くと、賢二少年をじいさんに預けて、いきなり十二号のカブトムシに飛びかかりました。そして、カブトムシを捕まえて、しばらくもつれ合っていましたが、やがて、ふたりの男の口から驚きの叫び声がほとばしりました。

「やっ、きさま、だれだ! どこからやって来たんだ!」

十二号のカブトムシの腹の中から現れたのは、ほかならぬ小林少年でした。

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