初級翻訳・雪だるまの幻想(ラジオ・ドラマ) 第2話

岸田 国士

(イヤホンをつけたことがわかるように、声を少し普通の調子に落として)

昨日から度々申し上げたように、お父さんは「不自由は構わない」とおっしゃるけれど、われわれ子供の立場からは、それを黙って放っておくわけにはいかないんですよ。英三夫婦とも相談したんですが、せめてわれわれ兄弟の家へ、一ヶ月ずつとか、あるいはお父さんの気の向くままに交代で来てもらうというのはどうでしょう?

老人 何度聴いても同じだ。おれは、このままここにおいてもらった方がいい。日々の暮らしは、もっと節約できんことはない。晴子の言う「万一の場合」は、誰にも迷惑をかけんようにする。医者や薬の心配はもういらん。おれはポックリ死ぬか、さもなければ消えるように、眠ったまま息を引き取る。いずれ見つけた者が、灰にしてから知らせるだろう。そういうことに手筈をつけておくよ。それでいいじゃないか。

晴子 あら、そんなわけにはいきませんわ。

俊爾 僕はそのお気持ちもわからないわけじゃありませんが、お父さんの老後の生活を完璧なものにすることは、どうしてもできないんです。例えば早い話が、ここでこうしてお暮らしになるにしても、誰か適当な、身の回りのお世話をする人間をつけるというようなことですね。

老人 だから、そんなものは必要はないと言っているんだ。必要がないどころじゃない、むしろ邪魔だ。

好子 あたしもそう思うわ。ひとりでいたい人に、何がいるっていうの?……若いお嫁さんでも来るなら別だけど……。

晴子 また、好子ちゃん……。

好子 お兄さんたち、あんまりセンチにならない方がいいわ。

俊爾 そんなことはお前が言わなくたって、みんな考えていることだよ。

老人 少し長く生きすぎるということは、ほとほと苦労なことだ。自分の欲望はただ、なるたけ周囲に負担をかけたくないということだが、それすら思うようにはいかんのだ。

俊爾 そういう心遣いをされることが、われわれには案外大きな負担なんですよ、お父さん。

老人 そうかもしれん。だから、そういうことは口に出さんつもりでいたんだ。言うことを聞かん、厄介な老人で通しても、おれは構わん。

晴子 あたしたちの言い方が下手なのかもしれないわ。……諦めましょうか?

好子 まあ、諦めたほうがよさそうね。もともと無理なんだわ。

俊爾 くどいようですが、もし今後、誰かそばにいる必要があるようでしたら、すぐにそうおっしゃってください。晴子でもなんでもよこしますから……。それじゃあ、私たちはもうこのあたりで引き上げることにしましょう。

老人 もうイヤホンは外してもいいか? どうもこれをつけていると、うっとうしくていかん。

好子 一人でいらっしゃるときも、これをお使いになることがあるの?

老人 うん、春になると、夜明けに小鳥の声が聞きたくなるんだよ。

好子 お義姉(ねえ)さま。私、帰るときは白いセーターを着ていくわ。その方がいいでしょう?

晴子 さあ、雪の中を歩くのに、白い服だと似合うかしらね……。あなた、次の電車は何時だったかしら?

俊爾 さあな。おじいちゃんに聞いてごらん。

晴子 おじいちゃ……あら、どこへ行かれたの?

少女A おじいさんは、縁側に出て行って、じっと外を眺めている。

少女B さっき作った雪の彫刻を、焼けつくような眼差しで見つめているわ。

少女C あ、おじいさんは裸足のまま、庭へ降りていった。

少女D ふらふらと、杖にすがって歩いていく。

(音楽…………)

少女E おじいさんは、一歩一歩、雪の中へ足を踏み入れる。

少女F さっきから降り出した粉雪が、おじいさんの肩を、頭を、そして背中を真っ白にしていくわ。

少女G おじいさんは雪だるまのそばに近づいて、そのまわりをぐるりと一周する。

少女A やがて、雪だるまの横顔を手でそっとなでた。

老人 由紀子……由紀子……おれの言うことがわかるか?

雪だるま ええ、わかります……あなたのお声が聞きたかったわ。

老人 ああ、お前の声だ……久しく聞いていなかったお前の声だ……。

雪だるま ずいぶんお年を召しましたね。

老人 まあ、そう言うな。お前はまだ、そんなに若いままでいるのか?

雪だるま 俊爾が、あたしを若返らせてくれたんですわ。一番美しかった時分です。それだけに、またひとしお淋しさを知りはじめた年頃でもあります。

老人 お前は自分の短命を、ひそかに覚悟していたんだな……と、あとになって気がついたよ。

雪だるま お別れするのが、ずいぶん辛かったわ。

老人 (急に涙声になり)お、お、お……おれの方が、どんなに辛かったか……。しかしおれは……お前をとうとう幸福にはしてやれなかった。

雪だるま そんなことないわ。あたしは幸福でした。

老人 いや、お前は一度も、おれにそう言ってくれたことはない。

雪だるま 言わなくたって、そう思っていました。それでいいでしょう?

老人 一度でいいから、それを言ってほしかった。

雪だるま どうしても、それをあなたの前では言えなかったの。あたしはそういう女でしたわ。

老人 悪いと言っているんじゃない。お前が今まで生きていて、おれと一緒に年をとったら、きっと黙っていてもわかったことなんだ。

雪だるま どうして、あとの奥様をもらわなかったの?

老人 …………。

雪だるま あたしは、ちっとも構わなかったのに……。お別れするとき、それを言おうと思って、つい言いそびれてしまったの。

老人 お前は子供のことが気がかりだったんだろう。

雪だるま いいえ、子供のためには、本当のところ、それは難しいと思っていました。それよりも、何しろあなたは、いろんな意味で一人では困ると思ったの。あなたは色々なことが不器用だし、よく物忘れはなさるし、筆不精でどこへも手紙の返事はお出しにならないし……。それに本当は、あなたはご自分でご自分を慰めることができない方なんですもの。誰かがそばから、それとなく元気をつけてあげなければ、すぐに気を腐らせておしまいになるんだわ。ねえ、そうでしょう……。あたしが少しは、そういったお役に立っていたでしょう? どうしてあたしの代わりになる人を見つけられなかったの?

老人 理由はない。ただなんとなく、自信がもてなかったのだ。

雪だるま そうでしょうね。それくらいのことだわ。

老人 もちろん、お前のことを忘れかねた、という理由をあげてもいい。

雪だるま それとこれとは別だわ。忘れてほしいなんて言っているんじゃないのよ。そうなのよ、あなたはあたしに対してだって、本当は自信がおありにならなかったのよ。

老人 そう言われれば、そういうところもあった。お前はおれよりも、もっと優れた男を見つけるべきだったと、終始思っていたからな。

雪だるま それがあなたの欠点よ。悪徳だわ、まったく。

老人 その悪徳も、もうあとそんなに長くは続かないよ。

雪だるま いいえ、そうお思いになったら間違いよ。あたしもあれからずっと、いまだに自分の悪いところを捨てきれないでいるんですから。

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