初級翻訳・青い絨毯 第3話

坂口 安吾

僕の窓の正面には火薬庫があり、崖の上を銃剣を下げてグルグルと回る番兵の姿が見えます。病気の中、僕の幻覚はこの火薬庫へ忍び寄り、銃剣で追い詰められて、とたんに火薬庫が爆発する……そんな妄想にはじかれて我に返れば、全身の苦痛で腹這いになり、エビのように身を縮めて、息が続く限り唸り声を上げているのです。

夜が明けてくれ。
窓の下を誰か人が通ってくれ。
誰でもいいから、誰か来てくれ。
願うことは、それ一つでした。

借金取りの訪れですら歓迎でした。
戸が開く。借金取りの声がする。
「ああ、助かった」と、嘘ではなく、まるで恋人の訪れを待っていたかのようにイソイソと、とは言え階段を一足降りるにもアルプスの崖を伝うような体たらくで、歯を食いしばり、四つ這いになって一歩一歩降りていくのです。
ただ孤独が癒やされることだけで一杯なので、借金取りのふくれっ面と向かい合うと自然と親愛の微笑みが浮かび、歌うように借金の言い訳を並べ立てるのが楽しくて仕方ありませんでした。
病気の中、唯一の慰めはただそれだけだったのです。

けれども、電灯の集金人がいきり立って、「電気を止めてしまうぞ」と息巻いた時には驚きました。
夜の光は命なのです。これを消されて、どうして生きていられよう。
必死でした。
「僕が払う。何を売っても必ず払う。一週間だけ待ってくれ」
とは言え、集金人のことが憎いわけではなく、彼が訪ねてきてくれた人であるというだけで、なつかしさには変わりがありません。だから、必死に叫ぶ僕の声も、やっぱり歌声のように楽しかったのです。
借金取りが引き上げ、戸が閉じ、足音が去る。
張り詰めた力が抜けて板の間にへたり込み、しばらくは意識が全くなくなってしまうこともありました。
電灯の集金人がともかく一応了解して引き上げたあとでは、板の間に倒れて、僕は自然と泣いていました。
気がついた時、板の上に一握りの涙が溜まっていて、昔、涙でネズミを描いた絵描きの子僧がいたという話がありますが、僕の方には「一」の字を引く力さえ残っていませんでした。

ともかく医者にかかってみようと決意して、この時、葛巻に電報を打ちました。
どうやってお金を作り、どうやって歩いて電報を打ちに行ったのか、その大事なことは全く記憶にありません。
ところが、この返電は早かったのです。「待つ身はつらい」と言いますが、思いがけず早いタイミングで電報為替が届いた時のあの喜びは、今でも忘れられません。
最初は葛巻から送金があったとしても、果たしてこの状態で郵便局まで歩いて行けるだろうかと、とても不安でした。
ところが、実際に電報為替が届くと、その喜びだけで勇気がたちまち百倍、千倍にも膨れ上がり、郵便局まで歩けるどころか、駆け出せそうなほどの起死回生の勢いでした。
それから、さらに馬鹿げた話ですが、本当に笑い話です。
為替を握りしめて家を出て、十間(約18メートル)ほど歩いたところで、僕を呼び止める男に会いました。
三宅勇蔵です。
この春に大学を卒業して、京都のJO撮影所の脚本部員になったばかりの彼が、わざわざ僕を訪ねてきたのです。
窓の下を通る人の足音ですら懐かしく感じていた僕にとって、友人が来るというのは、まさに「遠方より友来る」の言葉通り、夢のようでした。
「酒を飲もう」
共に盃を交わす日なんて、そんな日が二度とあるでしょうか。
酒を飲みました。
実に不思議な酔い方をしました。
全身に泥がしみわたり、まるで泥細工の濡れ人形に変わってしまったかのような、奇怪な感覚がしみ通ってくるのです。
泥酔の極みに達し、あろうことか一夜にして医療費をすべて酒代として飲み干してしまい、意気揚々と家に帰りました。あの恐ろしい寝床にも平気でひっくり返り、「電灯なんてどうだっていいや」とパチンと消して悠々と眠りについたのです。すると目が覚めた時、不思議なことに、一夜のうちに熱がすっかり引き、病気が治っていたのです。
少しも嘘ではありません。
つまり、一夜のうちに腫れ物が破れ、自然と膿が流れ出たのです。
もっとも、その後五ヶ月ほど膿は止まりませんでしたが、痛みはこの日を境にして拭い去られたのでした。
すべてが偶然の成り行きでしたが、極めて理想的な形で病気を退治できたと言えるでしょう。
というのも、後日、三好達治の背中に拳ほどもある大きな傷跡を見たからです。彼も同じように腫れ物を患い、手術をしました。
手術の途中で気絶するほどで、手術後も半年間苦しんだそうです。
その傷跡は腫れ物の跡というよりは、大砲の破片を受けて抉り取った跡のように壮絶なものでした。
僕のやり方の方が、はるかに無難だったというわけです。
けれども、そんな思い出も今となってはただ懐かしいばかりです。
貧乏の苦しみも、恋の苦しみも、昔の和歌にある「憂しと見し世ぞ今は(つらいと思っていた世の中も、今となっては)」という心境です。
ところが、ここに一つだけ、明るさや懐かしさが伴わないものがあります。それは、芥川龍之介先生の書斎で過ごした、青春多感な年月です。
あの頃は貧乏の苦しみもありませんでした。
恋にやつれるような思いをしたこともありません。
希望と若さに溢れ、恐れや妥協にまみれることも少なく、堂々と歩いていたはずです。
ただ、葛巻の正論には一番参りました。
表向きは弱みを見せない僕ですから、内心ではすっかり圧倒されていたのですが、それは単に理屈の上での話であり、葛巻の芸術に圧倒されたわけでも、自分の芸術に自信を失って絶望したということとは全く意味が違います。
この時期は、まさに僕の若さの時、希望の時、伸びようとする力だけの時期でした。
けれども思えば、この時期のあの姿、あの部屋、あの道、あの言葉、なぜか思い出す全てに暗さばかりがつきまとってくるのです。
まるで、「若さとは暗いものだ」と言わんばかりに。
事実、もしかすると青春とは暗いものなのかもしれません。
青春においては、病的な状態ですら健康であり、暗さ自体が健全なのです。
けれども、あの希望に満ちた時期に、なぜ太陽を見上げて青空をいっぱいに浴びているという記憶が抜け落ちているのでしょうか。
僕はいつも暗い道を歩いています。
その道は、芥川の書斎へ通う道なのです。
暗い部屋で葛巻と向かい合って座っています。
ペンを握って翻訳をしています。
あの部屋は日当たりの良い部屋でした。
くっきりと青空も見え、絨毯に冬の陽射しがさやかに差し込み、徹夜明けの澄んだ夜明けだってあったのに。
「あれは全く死の家だよ」と、僕は痛烈に芥川家を呪ったものです。
「まったくだよ」と答えるのは長島萃で、冷やかすようにニヤニヤするだけで、あとは無言。あいつは何を考えていたのでしょうか。
雑誌の同人たちはちょくちょく芥川家へやって来ますが、あいつばかりはほとんど姿を現すこともなく、そのうち芥川よりももっとハツラツと自殺して死んでしまいました。

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