初級翻訳・魔法人形 第20話

江戸川 乱歩

しかし、口はすこしも動きません。
目も動きません。
まるで腹話術でもやっているような感じです。
マユミさんが、へんじもしないでつったっていますと、その男は、また、同じことをくりかえしました。

「きみ、こちらへきたまえ。」

それを聞くと、マユミさんは、なんだか、大きなじしゃくに引きよせられるような気がしました。
歩きたくないと思っても、しぜんに、足が前に出るのです。
そして、テーブルのほうへ、三足ほど進みますと、
「えへへへへ……。」
と、なんともいえない、へんてこな笑い声が聞こえました。
テーブルの男が、目も口も動かさないで笑ったのです。

その笑い声がまだおわらないうちに、恐ろしいことがおこりました。
マユミさんの立っている足の下の床が、なくなってしまったのです。

マユミさんは、一瞬、からだが宙に浮いたかとおもうと、スーッと、深い深い谷そこへ落ちこんでいくような気がしました。
そして、どしんと、しりもちをつきました。

マユミさんの歩いていた床板が、落とし穴になっていて、そのふたが、開いたのです。
それで、からだが、宙に浮くような気がしたのです。
その下に、すべり台のようなものがついていて、マユミさんはその上をすべって、地下室に落ちたのでした。上の部屋のテーブルのむこうにいた気味のわるい男は、西洋悪魔が作った人形で、あの声は、テープレコーダーの声だったかもしれません。
人形は、「こちらへきたまえ。」といって、マユミさんを、落とし穴の上まで、歩かせるだけの役目だったのでしょう。

地下室は、ひどくうす暗くて、目がなれるまでは、なにがなんだかよくわかりませんでしたが、やがて、ぼんやりと、あたりが見わけられるようになりました。
そこは、森のようなところでした。
家の中に森があるなんてへんですが、大きな木が立ちならんでいるのですから、森にちがいありません。
写真で見た南洋のジャングルのような、ものすごい森です。
マユミさんは、夢を見ているのではないかと思いました。
地下室に森があるなんて、ふつうには考えられないことです。

おばけの木

ジャングルには、見たこともないような、みょうな木がしげっています。
枝ではなくて、ふといつるがむやみにのびて、おたがいに巻きつきあっているのです。
木の葉は、みんな恐ろしく大きく、まっさおな巨人のうちわのような形や、ふつうのシダを千倍にしたような形のものなどが、ウジャウジャと、かさなりあっているのです。
そんな、おばけのような木の葉のしげったむこうに、チラッと、まっかなものが見えました。
その色が、あんまりあざやかなので、火が燃えているのではないかと思ったほどです。

マユミさんは、あっけにとられてしまいました。
そして、とりこになったこともわすれて、そのジャングルの中を、見てまわりたいような気持になりました。
そこで、しりもちをついたおしりをさすりながら、おずおずと、ジャングルの中へはいっていきました。
ヘビのようにもつれている、つるのような木の枝や、巨大な木の葉のあいだを、くぐって歩いていきますと、さっきの、まっかなもののそばにきました。
それは、びっくりするほど巨大な赤い花でした。
ユリの花を千倍にしたような形です。
それを見ると、マユミさんは、じぶんが十センチぐらいのこびとになったような気がしました。
その巨大な花を、ふつうのユリの花とすれば、マユミさんは、チョウくらいの大きさなのです。

ふと気がつくと、背中のほうで、ごそごそ動いているものがありました。
なんだか人間の手のようです。
ギョッとしてふりむくと、ふとさ五センチもあるような長いつるが、ヘビのように、マユミさんに巻きつこうとしているのです。
びっくりして逃げようとしましたが、そのつるは、まるで生きもののように、とっさにパッとのびて、あっというまに、マユミさんのおなかを、ひと巻きしてしまいました。
恐ろしい力です。
一度巻きつけば、もうはなすものではありません。
つるは、ぜんまいのように、くるくると、木のみきのほうへちぢんでいって、あっというまに、マユミさんを、空中につりあげてしまいました。

マユミさんは、手足をばたばたやって、のがれようとしましたが、ぐんぐん、上につりあげられるばかりです。
マユミさんは、いつか本で読んだことがあります。
南洋のジャングルの中には、恐ろしい木があって、つるで人間を巻きこんで、たべてしまうというのです。
人をくう木です。
これはきっと、その、人をくう木にちがいないと思いました。

「助けてえ……。」

マユミさんは、空中でもがきながら、悲鳴をあげました。
すると、

「えへへへへへ……。」

と、ジャングルにひびきわたる、恐ろしい笑い声がおこりました。
おばけの木が笑ったのでしょうか。
その木は、ふたかかえもあるふといみきで、その上のほうに、なんだか、人間の顔みたいなものがありました。
木のみきのしわが、目や、鼻や、口に見えるのです。
あの口が、ガッとひらいて、いまにも、くわれてしまうのではないかと、生きたここちもありません。

「えへへへへ……。まあ、ゆるしてやるよ。この森には、まだ、いろいろとおもしろいものがあるから、ゆっくり、見物するがいい。」

そんな声がしたかと思うと、木のつるがずっと下にさがって、マユミさんを地面におろし、巻きついていたのが、くるくると、はなれてしまいました。

ジャングルの王さま

マユミさんは、しばらくのあいだ、そこにたおれたまま、ぐったりとしていましたが、ふと気がつくと、むこうのしげみのあいだで、なにか、ちろちろと動いているものが見えました。
なんだか、青黒い、ぬめぬめしたやつです。
そいつが、大きなシダのような葉をかきわけて、ヌーッと、こちらへ出てきました。
マユミさんは、大きなにしきヘビではないかと、ギョッとしましたが、ヘビではありません。
足があるからです。
ああ、ワニです。
ヘビよりも恐ろしい、人くいワニです。
でも、青黒いからだのワニなんて、あるでしょうか。
そいつが、はんぶんばかり姿をあらわしました。かたちはワニとそっくりです。
とび出した二つの大きな目や、とんがった口をパクパクと開くたびに、赤黒くて長い舌が、炎のようにチロチロととび出します。
ああ、わかりました。
トカゲです。
ふつうのトカゲの何千倍もありそうな、おばけトカゲなのです。
からだがぬめぬめと光っていて、チョロッ、チョロッと歩くようすが、トカゲそのものでした。
ヘビほどこわくはないけれど、こんなに大きなトカゲなら、人間を食べてしまうかもしれません。
マユミさんは逃げたいのをがまんして、じっと隠れていました。
少しでも動いたら、パッと飛びかかってくると思ったからです。
大トカゲはチョロチョロとはい出してきました。
そしてマユミさんのそばまでくると、首をもたげて、じろりとこちらの顔を見たのです。
それから大きな口をガッと開き、あの赤黒い炎のような舌をペロペロと出して、いまにもマユミさんの顔をなめそうになりました。
マユミさんは、からだがしびれたようになって、動くこともどうすることもできません。
声さえ出ないのです。

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