チェッ、これはまあ、なんというざまだ。
ああ、それに作蔵たちをこのままにしておくのはかわいそうです。
刑事さん、ぼんやりしていないで、早く縄を解いてやってください。
猿轡も外して。
そうすれば作蔵の口から賊の手がかりも掴めるというものでしょう」
明智がまったく頼りにならないものですから、あべこべに日下部老人が探偵のように指図をする始末です。
「さあ、ご老人の命令だ。縄を解いて差し上げろ」
明智が刑事に奇妙な目配せをしました。
すると、今までぼんやりしていた刑事が、にわかにシャキッと立ち直り、ポケットから一束の捕縄を取り出したかと思うと、いきなり日下部老人の背後に回り、パッと縄をかけてグルグルと縛り始めました。
「こら、何をする!
ああ、どいつもこいつも気違いばかりか。
わしを縛ってどうするのだ。
わしを縛るのではない。そこに転がっている二人の縄を解くのじゃ。
これ、わしではないと言っているだろう!」
しかし、刑事は一向に手を緩めようとはしません。
無言のまま、とうとう老人を高手小手に縛り上げてしまいました。
「こら、気違いめ!
これ、何をするのだ。あ、痛い、痛い。
痛いと言っているだろう!
明智さん、あなた何を笑っているのです。
止めてくれないか。この男は気が触れたらしい。
早く縄を解くように言ってください。
おい、明智さんというに!」
老人は、何がなんだか訳が分からなくなってしまいました。
みんな揃って気が触れてしまったのでしょうか。
でなければ、事件の依頼者を縛り上げるなんて法はありません。
またそれを見て、探偵がニヤニヤ笑っているなんて馬鹿なことはありえないのです。
「ご老人、誰をお呼びになっているのですか?
明智とかおっしゃったようですが」
明智自身が、そんなことを言い出したのです。
「何を冗談を言っているのですか。
明智さん、あなた、まさか自分の名前を忘れたのではあるまい」
「このぼくがですか?
このぼくが明智小五郎だとおっしゃるのですか?」
明智はすました顔で、ますますおかしなことを言います。
「決まっているではないか。何を馬鹿なことを……」
「ハハハ……、ご老人、あなたこそ、どうかなさったんじゃありませんか。
ここには明智なんて人間はいやしませんぜ」
老人はそれを聞くと、ポカンと口を開けて、狐にでもつままれたような顔をしました。
あまりのことに、すぐには言葉も出てきません。
「ご老人、あなたは以前に明智小五郎とお会いになったことがあるのですか?」
「会ったことはない。じゃが、写真を見てよく知っておりますわい」
「写真? 写真では少し心もとないですねえ。
その写真にぼくが似ているとでもおっしゃるのですか?」
「…………」
「ご老人、あなたは二十面相がどんな人物かということを、お忘れになっていたのですね。
二十面相、ほら、あいつは変装の名人だったじゃありませんか」
「そ、それじゃ、き、貴様は……」
老人はやっと事の次第が飲み込めてきました。
そして愕然として、顔から血の気が引いていくのを感じました。
「ハハハ……、お分かりになりましたかね」
「いや、いや、そんな馬鹿なことがあるはずはない。
わしは新聞を見たのじゃ。『伊豆日報』にちゃんと『明智探偵来修』と書いてあった。
それから、富士屋の女中がこの人だと教えてくれた。
どこにも間違いはないはずじゃ」
「ところが大間違いがあったのですよ。
なぜって、明智小五郎はまだ外国から帰ってきてすらいないのですからね」
「新聞が嘘を書くはずはない」
「ところが、嘘を書いたのですよ」「社会部のひとりの記者が、こちらの計略にかかってね、編集長にうその原稿をわたしたってわけですよ」
「フン、それじゃ刑事はどうしたんじゃ。まさか警察がにせの明智探偵にごまかされるはずはあるまい」
老人は、目の前に立ちはだかっている男を、あのおそろしい二十面相だとは信じたくなかったのです。むりにも明智小五郎にしておきたかったのです。
「ハハハ……、ご老人、まだそんなことを考えているのですか。血のめぐりが悪いじゃありませんか。刑事ですって? あ、この男ですか、それから表門裏門の番をしたふたりですか、ハハハ……、なにね、ぼくの子分がちょいと刑事のまねをしただけですよ」
老人は、もう信じまいとしても信じないわけにはいきませんでした。明智小五郎とばかり思いこんでいた男が、名探偵どころか、大盗賊だったのです。おそれにおそれていた怪盗二十面相、その人だったのです。ああ、なんというとびきりの思いつきでしょう、探偵が、すなわち、盗賊だったなんて。日下部老人は、人もあろうに二十面相に宝物の番人をたのんだわけでした。
「ご老人、ゆうべのエジプトたばこの味はいかがでした。ハハハ……、思いだしましたか。あの中にちょっとした薬がしかけてあったのですよ。ふたりの刑事が部屋へはいって、荷物を運びだし、自動車へつみこむあいだ、ご老人に一ねむりしてほしかったものですからね。あの部屋へどうしてはいったかとおっしゃるのですか。ハハハ……、わけはありませんよ。あなたのふところから、ちょっとかぎを拝借すればよかったのですからね」
二十面相は、まるで世間話でもしているように、おだやかなことばを使いました。しかし、老人にしてみれば、いやにていねいすぎるそのことばづかいが、いっそう腹だたしかったにちがいありません。
「では、ぼくたちは急ぎますから、これで失礼します。美術品はじゅうぶん注意して、たいせつに保管するつもりですから、どうかご安心ください。では、さようなら」
二十面相は、ていねいに一礼して、刑事に化けた部下をしたがえ、ゆうぜんと、その場をたちさりました。かわいそうな老人は、何かわけのわからぬことをわめきながら、賊のあとを追おうとしましたが、からだじゅうをぐるぐる巻きにしたなわのはしが、そこの柱にしばりつけてあるので、ヨロヨロと立ちあがってはみたものの、すぐバッタリとたおれてしまいました。そして、たおれたまま、くやしさと悲しさに、歯ぎしりをかみ、涙さえ流して、身もだえするのでありました。
巨人と怪人
美術城の事件があってから半月ほどたった、ある日の午後、東京駅のプラットホームの人ごみの中に、ひとりのかわいらしい少年の姿が見えました。ほかならぬ小林芳雄君です。読者諸君にはおなじみの明智探偵の少年助手です。小林君は、ジャンパー姿で、よく似合う鳥打ち帽をかぶって、ピカピカ光る靴をコツコツいわせながら、プラットホームを行ったり来たりしています。手には、一枚の新聞紙を棒のようにまるめてにぎっています。読者諸君、じつはこの新聞には二十面相に関する、あるおどろくべき記事がのっているのですが、しかし、それについては、もう少しあとでお話しましょう。
小林少年が東京駅にやってきたのは、先生の明智小五郎を出むかえるためでした。名探偵は、こんどこそ、ほんとうに外国から帰ってくるのです。明智は某国からの招きに応じ、ある重大な事件に関係し、みごとに成功をおさめて帰ってくるのですから、いわば凱旋将軍です。
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