新八郎は恐ろしくなり、布団の中にもぐり込んで朝まで震えていました。
翌日、平太郎は新八郎を送っていき、一日そこで遊んで夕方になって帰ってみると、近所の若い男たちが五、六人来ていて、
「今晩は、お相手をしてやろうと思って来たのだ」と言いました。
平太郎は心の中で少しおかしくなりましたが、
「それはありがたい」と言い、寝る時間になると、後をその男たちに任せて自分は別室へ行って寝ました。
男たちは火鉢を囲んで、先に逃げ帰った三人の同志を笑いものにしていました。
「茶碗や行灯が自然に浮き上がるなんてことはない。目には見えなくても、その周囲には妖怪がいて持ち上げているのだから、そこを捕まえさえすればいいんだ」と、物知り顔で説明する者もいました。
夜が更けてくるにつれて、十月頃のような冷え込みになってきました。
男たちは襟を合わせ、顔を見合わせました。
中には思い出したように話を始める者もいましたが、その声が妙に家の隅々まで響き渡るので、すぐに不安そうに黙り込んでしまいました。
すると、火鉢の中に炎が燃え上がり、見る見るうちに一団の火の玉となりました。
男たちは驚いて後ろへ飛び退きました。
火の玉はくるくると舞い、上へ上がるまもなく、畳の上に雷のような音を立てて落ちたので、皆肝を潰して庭へ飛び降りて逃げ出しました。
平太郎はその騒ぎに目を覚まして男たちのいた部屋へ行ってみると、皆逃げ去っており、畳の上が二尺四方ほど薄く焦げていました。
平太郎は微笑しながら、また自分の寝床へ帰りました。
新八郎はその夜からまた病気になり、枕を上げられないようになってしまいました。
五
横新田というところに、上田治太夫という知人が住んでいました。
平太郎はその月の十三日、用事ができて治太夫のところへ行きましたが、ご馳走になって話しているうちに夜になったので、帰ることにしました。
空には明るい月が出ていました。
平太郎は月を見ながら歩いていました。
道には三芳川という川が流れていました。
平太郎はその川の土手を通っていました。
清らかな月の光は川の水に反射して、きらきらと揺れていました。
瀬に砕ける水の音が「ざあざあ」と鳴るばかりで、辺りはひっそりと静まり返っていました。
すると、若くて艶やかな女がうつ伏せになって、白い脛(すね)をあらわに草の中に倒れているのが目に留まりました。
平太郎は驚いて傍へ寄り、その肩に手をかけました。
「もし、もし」
女は「ぐびぐび」と肩を動かしました。
平太郎は続けて声をかけました。
「どうされたのですか、お嬢さん、お嬢さん……」
女は顔を上げ、恐ろしそうにこちらを見ました。
それは、面長な、青白い顔でした。「私は布努(ふぬ)村に住む、稲生平太郎という武士だ。何も心配することはない、一体どうしたのだ?」
女はあわてて座り直し、乱れた着物を整えながら、恥ずかしそうに言いました。
「私は悪い連中から逃げて、この上流の山のふもとからやってきた者でございます」
「それは気の毒に。お前さんは一体、どのような身の上なのだ?」
女はうつむいたまま答えました。
「私は山北という所の者でございますが、小さい頃に両親と別れ、伯父と伯母の世話になって育ちました。ところがこのごろ、その伯父が病気になり、その日の暮らしにも困るようになってしまいました。私はこれまでの恩返しに、自分の身を売りたいと考えました。しかし義理堅い伯父のことですから、知らせれば許可してくれるはずがありません。そこでこっそり知人に相談しておりましたところ、伯父の家に出入りしている菊次という者が、『幸い、長崎の丸山から女を買いに来ている者がいる。その者に会わせてやろう』と申しました。私はそれを真に受けて、今日の夕方、そっと家を出て、その男と約束した場所へ行ってみますと、すでに来ておりました。その男の後についてまいりますと、山の中の寂しい場所へ連れ込まれ、無理やり手籠めにされそうになりました。私は死んでもそんな悪党の言いなりにはなるまいと思い、ここまで夢中で逃げてまいりましたが、もう苦しくて歩くこともできなくなり、倒れておりました。どうかお助けくださいませ」
女は涙声でそう訴えました。
「それは気の毒なことだ。なにしろここは外だから、詳しい話もできない。まずは私の家へ行ってからにしよう」
平太郎は女を連れて、布努村の自分の家へ帰ってきました。
下男の八蔵は目を丸くして、足洗い用のたらいに水を入れてきました。
女は気まずそうにしながら、それで足を洗って座敷へ上がりました。
平太郎は改めて女の身の上を尋ねようと思い、別室に入って着替えを済ませてから、女のいた場所へ戻ってみると、女の姿はありませんでした。
彼は不審に思い、部屋のあちこちを探しましたが、どこにも見当たりませんでした。
下男に聞いても、誰も知りませんでした。
……また妖怪の仕業か、と平太郎は気がついて苦笑しました。
六
作平は、稲生家に出入りしている猟師でした。
彼は麦倉邸の妖怪の噂を聞きつけ、ある日平太郎のもとへやってきて言いました。
「西行寺の薬師如来は、とても霊験(れいげん)あらたかな仏様でございます。その画像を借り受けて、熱心にお祈りなされば、どんな変化も退散いたしますよ」
平太郎も妖怪のいたずらには困っていたため、「それでは一つ頼もうか」と言って承知しました。
その時はすでに夕方でした。作平は稲生家を出て西行寺へ向かいましたが、途中で日が暮れてしまいました。
普段なら月が出ているのですが、夕方から急に曇り出したため、道は暗く、おまけにそこは竹やぶの間の小道でした。
暗い山奥に入って猛獣を狩ることを商売にしている猟師ですから、夜道などは別に気にも留めませんでしたが、それでもやぶの間の小道は暗くて不便でした。
困り果てて歩いていると、向こうから提灯の明かりが見えてきました。
誰か知った人なら、火種を借りて松明でも作っていこうと思い、近づいてみると、それは日頃親しくしている曽根源之丞という武士でした。
「やあ、曽根の旦那ではありませんか」
作平の声に、向こうからも声が返ってきました。
「おや、作平か。今からどこへ行くんだ?」
「私はこれから、西行寺へ用事があって向かうところでございます」
「そうか、火がなければ困るだろう。……よし、これを持って行け。わしの方はもう目をつぶってでも帰れる道だからな」
作平は一度は辞退しましたが、源之丞がどうしてもと言うので、結局その提灯を借りて歩き出しました。
やぶ道を抜けると、寂しい松原に出ました。
松原の中ほどまで来たところで、何かの気配がしたので、足元を見ながら歩いていた作平は、ふと顔を上げて前を見ました。
すると目の前に、身長が一丈(約三メートル)はあろうかという大きな坊主が、目をぎらぎらさせて立ちはだかっていました。
作平は「わっ!」と叫んで逃げようとしましたが、体がすくんで一歩も動けませんでした。
彼はそのままその場に倒れ、気絶してしまいました。
しばらくして作平が我に返ったときには、もう怪しい姿はなく、空も晴れて月が明るく照らしていました。
それでも彼は、もう西行寺の方へ向かうことはできませんでした。
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