初級翻訳・魔王物語 第2話

田中 貢太郎

「おい、どうした、どうした」と声をかけると、僕はやっと我に返ったように起き上がり、
「夢でございましたか。今、大入道が飛び込んできて、私の上に乗っかってぐいぐい押しつけてきたので、息ができなくなりました」
と言って、まだ恐ろしそうにきょろきょろとあたりを見回していました。
「お前が臆病だから、そんな夢を見たのだ。しっかりしろ」
平太郎は僕を叱りつけて自分の部屋へ戻って寝ましたが、もう目が冴えて眠れなくなってしまいました。

その時、風が吹き抜けて、有明の行灯(あんどん)の火を消してしまいました。
彼が暗闇の中で目を開けていると、縁側の障子に真紅な炎がメラメラと映し出されました。
彼は驚いて飛び起き、障子を開けようとしましたが、まるで釘で打ちつけられたかのように、どうしても開きません。
仕方なく障子を蹴破って縁側へ出ましたが、雨戸を閉めていない外は真っ暗で、火らしいものはどこにもありませんでした。
不思議に思ってそのまま立っていると、体が引きつるようになって動けなくなりました。
彼はますます不思議に思いながら、見るともなしに庭の方へ目をやりました。
大きな入道の姿をした者が、目をギラギラと光らせて立っていました。
すると見る間に、その入道はスルスルと近づいてきて、長い手を伸ばして彼の襟首を掴みました。
彼は驚いてその手をねじ放そうと力を入れると、はずみで後ろへひっくり返ってしまいました。
枕元に置いてあった刀に手が触れました。
彼はそれをキラリと抜いて、起き上がりざまに入道へ切りつけました。
入道はひょいと背中を屈めると、縁の下へスルスルと入り込んでいきました。
彼は庭へ飛び降りて縁の下を覗き込みましたが、低くて入っていけません。畳の上から突き通そうと思って部屋の中へ戻ってみると、床板があるだけで畳がなくなっていました。
ますます驚いて手探りで行灯に火を点けてみると、畳はすべて部屋の隅に積み重ねられていました。

この時、権八は寝床の中でうとうとしていましたが、平太郎の家から騒がしい音がするので、何事が起きたのかと思い、急いで起きて隣の門口まで行きました。
すると、十二、三歳くらいの女の子がちょこちょこと出てきて、すれ違いざまに不意に権八の喉元に飛びつき、両手で首を絞めました。
権八はそのまま気絶してしまいました。
そして、しばらくすると正気を取り戻しました。
すでに夜明けが近くなっており、あちらこちらの家で鶏が鳴いていました。
権八は、平太郎の家でも何か怪しいことがあったのではないかと思い、急いで門から入って玄関で声をかけましたが返事がありません。
そこで、そこの枝折戸(しおりど)を開けて庭へ回り、縁側から上がろうとすると、刀を手にして呆然と立っていた平太郎が、彼を妖怪と見間違えて切りつけてきました。
「平太郎殿、私だ、私だ!」と権八が言うと、平太郎はようやく我に返りました。

三

朝になって僕の六助が前夜の妖怪の話を触れ回ったので、その日のうちに村中で評判となりました。
平太郎の友人である武内伝吉、横井孫作、森川一平の三人がやってきて、「今夜は寝ずの番をして、妖怪の正体を見届けてやる」と言いました。
前夜の疲れが残っている平太郎は、あとを三人に任せて、自分は一人で別室へ行って寝ました。
三人は行灯の前で、妖怪に対する意見を戦わせていました。
「なんだ、妖怪なんてものがこの世にあるものか。まったく馬鹿げた話だ」と言う者もいれば、
「まあ、まあ、後学のために見ておけばいいさ」と澄まして言う者もいました。
そうこうするうちに、夜は刻々と更けていきました。
そして、丑の刻(午前二時頃)が満ちてきました。
三人は話すことも飽きて、黙り込んでいました。
すると、誰かが、
「茶でも飲もうか」と言い出しました。
部屋の隅には茶の道具が置いてありました。
一人が立ち上がって茶碗を持ってこようとすると、茶碗がふいふいと空中に浮かび上がり、部屋の中を回り始めました。すると、見る間に今度は行灯までがふわふわと浮かび上がり、まるで誰かが手に持って歩いているかのように、部屋の中をぐるぐると回りだしました。
三人はあまりのことに、口もきけなくなってしまいました。
続いて火鉢が天井の方へと舞い上がり、中の灰がぱらぱらと三人の頭の上に降りかかってきました。
三人はたまらなくなり、逃げ出してしまいました。
麦倉邸の怪談は、ますます近所中で評判となりました。
平太郎の伯父にあたる川田茂右衛門は、平太郎を一人にしておくのを心配して、その日のうちに平太郎の家へやってくると、「自分の家へ連れて帰る」と言い出しました。
しかし、剛胆な平太郎は、
「どうか、そのままにしておいてください」と言って、聞き入れませんでした。
僕の六助はこれを知ると、平太郎の前に出てきて、
「長年お世話になりながら、このようなことを申し上げるのは誠に心苦しいのですが、私にはとてもこれ以上の奉公は勤まりかねます。どうかお暇をくださいませ」
と言って、無理やり出て行ってしまいました。
中山源七がお見舞いに来ましたが、僕がいなくなったことを聞くと、自分の家で使っている八蔵という僕を貸してくれました。
麦倉邸の前には、物好きな村の男たちが日夜群れをなして集まってくるため、村役人は「農作業の妨げになる」と言って、その門前に次のような掲示を出しました。

一、此度麦倉屋敷ニ怪事有之右ニ付村内ハ不申及近郷近在マデ聞伝エテ群衆ナシ昼夜ノ差別ナク騒ガシケレバ其為ニ百姓共ハ農事ヲ怠リ候儀モ之有哉ニ聞エ且婦女子ニ於テハ驚キ怖ルル者少カラズ候ニ付今日ヨリ当屋敷門前ヘ群集差止候ニ付屹度相守申可者也
(訳:この度、麦倉屋敷で不思議な出来事があり、村内はもちろん近郷近在まで噂が広まり、昼夜を問わず人々が群がって騒がしいため、百姓たちが農作業を怠っているように見受けられる。また、婦女子の中には驚き恐れる者も少なくない。よって今日より当屋敷門前への群衆の立ち入りを禁止する。必ず守ること。)

寛延二年七月六日
備後国三次郡布努村村役場

四

夕方から降ってきた雨の中、平太郎のところへお見舞いに来ていた新八郎は、そのまま泊まることになり、二人で一つの蚊帳の中に入っていろいろな話をしていました。
雨はしめやかに降っていました。
気の弱い新八郎は平気なふりをして平太郎と話をしていましたが、心の中では妖怪に対して強い恐れを抱いていました。
そのため、何か「ガサガサ」と音がするたびに心をびくびくさせ、恐る恐るその方へ目をやっていました。
すると、鴨居から蚊帳の上に何か「ことん」と落ちてきて、くるくると走りだしました。
新八郎はびっくりして、
「あれは、あれは!」と言いました。
「妖怪の仕業でしょう。捨てておくのが一番ですよ」と、平太郎は笑いながら言いました。
新八郎がよくよく見ると、蚊帳の上の物は、自分が昼間履いてきた下駄でした。
ところが、見ているうちに、ふっと消えてなくなりました。
もうこれで妖怪も出ないだろうと思って目を閉じようとすると、蚊帳のそばの掛け竿にかけてあった帷子(かたびら)の袖の中が、きらりと光って一つの生首が顔を出し、新八郎を見てニヤリと笑いました。

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