初級翻訳・銀河鉄道の夜 第2話

宮沢 賢治

六時の鐘が鳴ってしばらくした頃、ジョバンニは拾った活字でいっぱいになった箱を、手元の紙切れと見比べて確認してから、さっきの椅子の人のところへ持っていきました。
その人は黙ってそれを受け取り、小さくうなずきました。
ジョバンニがお辞儀をして扉を開け、計算台のところへ行くと、白い服を着た人がやはり黙ったまま、小さな銀貨を一枚渡してくれました。
ジョバンニは急に顔色が良くなり、元気に大きくお辞儀をすると、台の下に置いておいたカバンを持って外へ飛び出しました。
それから陽気に口笛を吹きながらパン屋さんに寄り、パンの塊を一つと角砂糖を一袋買うと、一目散に走り出しました。

三 家

ジョバンニが息を切らして帰ってきたのは、裏町にある小さな家でした。
三つ並んでいる入り口の一番左側には、空き箱に紫色のケールやアスパラガスが植えられていて、二つの小さな窓には日よけが下りたままになっていました。
「お母さん、ただいま。具合はどう?」ジョバンニは靴を脱ぎながら言いました。
「ああ、ジョバンニ。お仕事、大変だったでしょう。今日は涼しいからね、お母さんはずっと具合がいいわよ」
ジョバンニが玄関を上がっていくと、お母さんは入口の部屋で白い布を被って休んでいました。
ジョバンニは窓を開けました。
「お母さん、今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って」
「ああ、お前が先に食べなさい。お母さんはまだ欲しくないから」
「お母さん、お姉さんはいつ帰ってきたの?」
「ああ、三時ごろ帰ってきたわよ。みんな、家の中のことをしてくれてね」
「お母さんの牛乳は、まだ届いていないのかなあ」
「届いていないのかしらねえ」
「僕、行って取ってくるよ」
「いいのよ、お母さんはゆっくりでいいから、お前が先に食べなさい。お姉さんがね、トマトで何か作ってそこに置いていってくれたわよ」
「じゃあ、僕食べるよ」
ジョバンニは窓のところからトマトの皿を取り出し、パンと一緒にしばらくモグモグと食べました。
「ねえ、お母さん。僕、お父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ」
「ああ、お母さんもそう思うわ。でも、どうしてそう思うの?」
「だって、今朝の新聞に、今年は北の方の漁は大変良かったって書いてあったよ」
「そうだったけどねえ、お父さんは漁に出ていないかもしれないわよ」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄に入るような、そんな悪いことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきた、学校に寄贈した大きなカニの甲羅だのトナカイの角だの、今だって標本室にあるんだよ。六年生なんて、授業のとき先生が代わる代わる教室へ持っていくんだから」
「お父さんは次は、お前にラッコの上着を持ってくるって言っていたねえ」
「みんなが僕に会うと、それを言うんだよ。からかうみたいに言うんだ」「お前に悪口を言ったりするの?」
「うん。でも、カムパネルラはそんなこと、絶対に言わないよ。みんながひどいことを言うとき、カムパネルラはいつも困ったような顔をしてるんだ」
「カムパネルラのお父さんと僕のお父さんは、ちょうど僕たちみたいに、小さい頃からの友達だったんだってね」
「そうだよ。だからお父さんは、僕を連れてカムパネルラの家にもよく遊びに行かせてくれたんだ。あの頃は本当に楽しかったなあ。僕は学校の帰り道、よくカムパネルラの家に寄ったものさ。カムパネルラの家には、アルコールランプで走る汽車があったんだ。線路を七つ繋げるときれいな円になって、電柱や信号機までついていたんだよ。信号機の明かりは、汽車が通るときだけ青く光る仕組みだったんだ。あるときアルコールが切れて、代わりに石油を使ったら、機関車が真っ黒にすすけてしまったっけ」
「そうだったのかい」
「今も毎朝、新聞を配りに行くんだけど、いつも家の中はしんとしていてね」
「朝が早いからねえ」
「ザウエルっていう犬がいるんだ。しっぽがほうきみたいにフサフサでね。僕が行くと鼻を鳴らしてついてくるんだよ。ずっと町の角までついてくるし、もっと遠くまで来ることもある。今夜はみんなでカラスウリの明かりを川へ流しに行くんだって。きっとその犬もついて行くんだろうな」
「そうだね。今夜は銀河のお祭りだものね」
「うん。僕、牛乳を受け取りに行くついでに、川の様子を見てくるよ」
「ああ、行ってきなさい。でも、川の中には入っちゃだめだよ」
「大丈夫、岸から見るだけにするよ。一時間くらいで戻ってくるから」
「もっとゆっくり遊んできてもいいのよ。カムパネルラくんと一緒なら心配ないからね」
「うん、きっと一緒だよ。お母さん、窓を閉めておこうか」
「ああ、お願いね。もう涼しくなってきたから」
ジョバンニは立ち上がって窓を閉めると、お皿やパンの袋を片付けて、勢いよく靴を履きました。
「じゃあ、一時間半で帰ってくるね」
そう言って、ジョバンニは暗い玄関を出ていきました。

四 ケンタウル祭の夜

ジョバンニは、口笛を吹いているような寂しげな表情で、ヒノキの木が真っ黒に並ぶ町の坂道を下りていきました。坂の下には、大きな街灯が青白く、堂々と光っていました。ジョバンニがどんどん電灯の方へ向かっていくと、それまで化け物みたいに長く伸びて後ろに引いていたジョバンニの影ぼうしが、だんだん濃く、はっきりとしてきて、足を上げたり手を振ったりしながら、ジョバンニの横へ回り込んできました。
(僕は立派な機関車だ。ここは下り坂だからスピードが出るぞ。今、あの電灯を通り越すんだ。ほら、今度は僕の影ぼうしがコンパスみたいにくるっと回って、前の方へ出てきたぞ)
ジョバンニがそんなことを考えながら大股で街灯の下を通り過ぎたとき、いきなり昼間のザネリが、新しいえりの尖ったシャツを着て、電灯の向こう側の暗い小路からひょいと現れ、ジョバンニとすれ違いました。
「ザネリ、カラスウリ流しに行くの?」
ジョバンニがそう言い終わるか終わらないかのうちに、ザネリは投げつけるような声で叫びました。
「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着が届くよ!」
ジョバンニは、ハッと胸が冷たくなり、あたり一面がキーンと鳴るような気がしました。
「なんだよ、ザネリ!」
ジョバンニは大きな声で叫び返しましたが、もうザネリは向こう側のヒバの木が植えられた家の中へ入ってしまったあとでした。
(ザネリはどうして、僕が何もしていないのにあんなことを言うんだろう。走るときはネズミみたいにコソコソしているくせに。僕が何もしないのにあんなことを言うのは、ザネリが馬鹿だからだ)
ジョバンニは、せわしなくいろいろなことを考えながら、たくさんの明かりや木の枝で綺麗に飾られた街を歩いていきました。時計屋の店には明るいネオンが灯り、一秒ごとに石でできたフクロウの赤い目がくるくると動き、いろいろな宝石が海のような色のガラスの盤の上で、星のようにゆっくりと回っていました。そして向こう側からは、銅でできた人馬の像がゆっくりとこちらへ回ってくるのでした。
その真ん中には、青いアスパラガスの葉で飾られた丸い黒い星座早見盤が置いてありました。ジョバンニは我を忘れて、その星座の図に見入りました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました