初級翻訳・お伽草紙 第5話

お伽草紙

もちろん、一人暮らしをしていたわけではありません。父も母もいて、弟も妹もいて、大勢の召使いもいました。つまり、この海岸で有名な旧家の長男だったわけです。
旧家の長男というものには、昔も今も一貫したある特徴があるようです。
「趣味性」、すなわちこれです。
よく言えば、風流。悪く言えば、道楽。
しかし、道楽といっても、女遊びや酒浸りのいわゆる放蕩とは、大いに趣が異なっています。
下品にがぶがぶ大酒を飲んで、素性の悪い女に引っかかって親兄弟の顔に泥を塗るような荒んだ放蕩者は、次男や三男に多く見かけるようです。
長男にはそんな野蛮さがありません。先祖伝来のいわゆる「恒産」があるものだから、おのずと「恒心(安定した心)」も生じて、なかなか礼儀正しいものなのです。つまり、長男の道楽というのは、次男や三男がやるような、お酒に溺れてムキになるものとは違って、ほんの片手間に楽しむ遊びなのです。
そうしてその遊びを通じて、由緒ある家の長男らしい上品な雰囲気を周りに認めてもらい、自分自身もその優雅な生活にうっとりできれば、それで十分満足なのです。

「兄さんには冒険心がないから、ダメね」
今年16歳になるおてんばな妹が言います。
「ケチだわ」
「いや、そうじゃない」
と、18歳の乱暴者の弟が反論します。
「男ぶりが良すぎるんだよ」
この弟は、色が黒くていかにも男らしい顔立ちをしていました。
浦島太郎は、弟や妹たちのそんな遠慮のない悪口を聞いても、別に怒ることもなく、ただ苦笑いしながらこう言いました。
「好奇心を爆発させるのも冒険なら、好奇心をぐっと抑えるのも、やっぱり冒険なんだ。どちらも危険なものだよ。人にはそれぞれ、宿命というものがあるんだから」
何のことやらさっぱり分からないような、悟りきった口調でそう言うと、両腕を後ろに組んで、ひとりで家を出て、海岸をあちらこちらと歩き回ります。

「苅薦(かりこも)の 乱れ出づ見ゆ 海人の釣船(あまのつりぶね)」

そんな風情のある詩を口ずさみながら、
「どうして人間は、お互いに文句を言ったり評価し合ったりしないと生きていけないんだろう」
という単純な疑問について、のんびりと首をかしげて考えます。
「砂浜に咲く萩の花も、這い寄ってくる小さなカニも、入江で休んでいる雁も、誰もこの私を悪く言ったりしない。人間も、あるべき姿はこうであるべきだ。人それぞれ、生きる流儀というものがある。その流儀を、お互いに尊重し合って生きていくことはできないものかな。誰にも迷惑をかけないように上品に暮らしているのに、それでも人はあれこれと言ってくる。本当にうるさいものだ」
そんなふうに、小さくため息をつきました。

「もしもし、浦島さん」
その時、足元から小さな声が聞こえてきました。
これが、例の問題の亀です。
別に物知りぶるつもりはありませんが、亀にもいろいろな種類があります。
淡水に住むものと、海水に住むものとでは、見た目も違っているようです。
弁天様の池のほとりなどで、ぐったりと寝そべって甲羅を干しているのは、あれは「イシガメ」というのでしょうか。絵本には時々、浦島さんがそのイシガメの背中に乗って手をかざし、遠く竜宮城を眺めている絵がありますが、あんな亀は海に入った途端、しょっぱい水にむせてすぐに死んでしまうでしょう。
けれど、お祝いの席などで飾られる「蓬莱山(ほうらいさん)」の飾り物には、おじいさんやおばあさんと一緒に鶴と亀が飾られていて、「鶴は千年、亀は万年」なんて言われておめでたがられていますが、あれもどうやらイシガメのようです。スッポンやタイマイが飾られているのはあまり見かけません。
だからこそ、絵本の画家さんも「蓬莱山も竜宮城も同じような場所なんだから、浦島さんの案内役もこのイシガメに違いない」と思い込んでしまうのも無理はありません。
しかし、あの爪が生えた不格好な手で水をかいて、深い海底まで潜っていくのは、なんだか不自然に思えます。
ここはやはり、タイマイのような広くてヒレのような手で、ゆったりと水をかき分けてもらわなければなりません。

ですが、また一つ困った問題があります。決して物知りぶるわけではありませんが、タイマイの産地といえば、日本では小笠原や琉球、台湾などの南の地方だと聞いています。
丹後の北海岸、つまり日本海のあのあたりの浜には、残念ながらタイマイはやってきそうにありません。
それならいっそ、浦島さんを小笠原か琉球の人にしようかとも考えましたが、浦島さんは昔から「丹後の水江の人」と決まっているようですし、丹後の北海岸には今も浦島神社が存在しています。おとぎ話は作り話と分かってはいても、日本の歴史を大切にするという理由から、そんな軽々しいデタラメは許されません。
どうしても、これは小笠原か琉球のタイマイに、日本海までわざわざ来てもらうしかないのです。

しかし、そうすると今度は生物学の専門家から「それは困る」と抗議が来るかもしれません。「文学者というものは科学的な考え方が欠けている」と馬鹿にされるのも癪です。
そこで私は考えました。タイマイ以外に、手のひらがヒレのようになっている海に住む亀はいないだろうか。
「アカウミガメ」というものがいたはずです。
10年ほど前(私も歳をとったものです)、沼津の海辺の宿で夏を過ごしたことがありましたが、その時、あの浜に甲羅の直径が1.5メートル近い海亀が上がったと漁師たちが大騒ぎしていて、私も確かにこの目で見たことがあります。
たしか「アカウミガメ」という名前だったと記憶しています。
あれです。あれにしましょう。
沼津の浜に上がったのなら、まあ、ぐるりと日本海の方まで回って、丹後の浜に来てくれたとしても、そんなに生物学界で大騒ぎにはならないでしょう。
それでも「潮流がどうのこうの」と騒ぐというのなら、もう私は知りません。
「そんな、来るはずのない場所に現れたのだから、ただの海亀ではないに違いない」
そう言って、ごまかしてしまうことにしましょう。科学の精神なんていうものも、あんまりあてにはならないものです。
定理や公理だって、ただの仮説にすぎないじゃないですか。
あまり威張ったものじゃありません。
さて、そのアカウミガメ(アカウミガメという名前は長ったらしくて舌がもつれるので、これからは単に「亀」と呼ぶことにします)は、首をぐいっと伸ばして浦島さんを見上げると、「もしもし」と呼びかけ、「無理もないですね。分かりますよ」と言いました。
浦島さんは驚いて、
「なんだ、お前。この前助けてやった亀ではないか。まだこんなところをうろついていたのか」
と言いました。そう、この亀こそ、子供たちにいじめられているところを浦島さんが「かわいそうに」と言って買い取り、海へ逃がしてやった、あの亀なのです。
「うろついていた、とは情けない。恨みますよ、若旦那。私はこう見えても、あなたに恩返しがしたくて、あれから毎日毎晩この浜へ来て、若旦那が来るのを待っていたんですから」
「それは浅はかな考えというものだ。あるいは、無謀とも言えるかもしれない。また子供たちに見つかったらどうするんだ。今度は生きては帰れまい」
「気取っていますね。

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