初級翻訳・お伽草紙 第22話

お伽草紙

もし万が一、そんなすごい奴が目の前に現れたら、お前の両目はまぶしさでつぶれてしまうかもしれないよ。いいか、わかったか。

この僕の『お伽草紙』に出てくる奴らは、日本一でも二でも三でもないし、世間でいう「代表的な人物」でもない。これはただ、太宰という作家が、その愚かな経験と貧弱な想像力で作り上げた、極めて平凡な人たちばかりなんだ。この登場人物たちを見て、すぐに「日本人はみんなこうだ」なんて判断しようとするのは、まさに船に刻んだ印を頼りに水に落ちた剣を探すような、知ったかぶりの無駄なことだよ。

僕は日本を大事にしている。それは言うまでもないことだけれど、だからこそ、日本一の桃太郎を描くことは避けたし、他の登場人物たちが決して日本一ではない理由をくどくどと説明してきたんだ。読者のみんなも、僕のこんな妙なこだわり方に、きっと深くうなずいてくれるんじゃないかな。

さて、この『舌切雀』の主人公は、日本一どころか、逆に日本で一番ダメな男と言っていいかもしれない。

第一に、体が弱い。体が弱い男というのは、足の悪い馬よりも世間的な価値が低いようだね。いつも力のない咳をして、顔色も悪くて、朝起きて部屋の障子をはたきで叩き、箒でゴミを掃き出すと、もうヘトヘトになってしまう。あとは一日中、机の横で寝たり起きたりしてゴロゴロしているだけ。夕食を済ませると、すぐに自分でサッサと布団を敷いて寝てしまうんだ。

この男は、もう十数年もこんな情けない生活を続けている。まだ四十歳にもなっていないのに、ずいぶん前から自分のことを「お爺さん」と名乗っていて、家の者にも「お爺さんと呼べ」と命令しているんだ。まあ、世捨て人とでも言うべきかな。

でも、世捨て人だって、お金が少しはあるから世を捨てられるんだ。もし一文なしの日暮らしだったら、世を捨てようと思っても、世の中の方が追いかけてくるから、とても捨て切れるものじゃない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵(いおり)に住んでいるけれど、もともとは大金持ちの三男坊なんだ。親の期待に背いて、ちゃんとした仕事も持たず、ぼんやりと気楽に暮らしているうちに病気になってしまってね。この頃では、両親をはじめ親戚一同も「病弱でどうしようもない困り者だ」とあきらめて、生活に困らない程度の小遣いを仕送りしているという状態なんだ。

だからこそ、こんな世捨て人みたいな生活も可能なわけだね。いくら草の庵とはいえ、まあ、恵まれた身分と言わざるを得ないだろう。そして、そんな恵まれた身分に限って、あまり人の役には立たないものなんだ。

体が弱いというのは事実みたいだけど、ずっと寝ているほどの病人というわけでもないんだから、何か一つくらい前向きな仕事ができないはずはないよね。でも、このお爺さんは何もしない。本だけはたくさん読んでいるようだけど、読んだそばから忘れていくのか、内容を人に語ることもない。ただ、ぼんやりしているだけ。

これだけでも世間的な価値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供がいない。結婚してもう十年以上になるのに、まだ跡継ぎがいないんだ。これで完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果たしていないということになる。

こんな張り合いのない亭主に、よくもまあ十何年も連れ添ってきた奥さんというのは、どんな女だろう。少し興味をそそられるよね。でも、その草庵の垣根越しにそっと覗いてみた人は、なんだ、とガッカリさせられるはずだ。

実になんとも、つまらない女なんだ。色が真っ黒で、目はギョロリとしていて、手はシワだらけで大きい。その手をだらりと前に下げて、少し腰をかがめて忙しそうに庭を歩いている姿を見ると、「お爺さん」よりも年上なんじゃないかと思えるくらいだ。でも、今年で三十三歳の厄年だという。

この女は、もともと「お爺さん」の生家に仕えていた召使いだったんだけど、病弱なお爺さんの世話を任されているうちに、いつの間にかその一生をまるごと面倒見ることになってしまったんだ。学問も何もない。

「さあ、下着類をみんな脱いでここへ出してください。洗いますから」と、まるで強く命令するように言うんだ。

「その次は……」「お爺さんは、机に頬杖をついたまま、小さく答える。
お爺さんは、いつもひどく低い声で話す。
しかも、言葉の終わりは口の中でごにょごにょと混ざってしまい、「ああ」とか「うう」とか言っているようにしか聞こえない。
十何年も一緒に暮らしているお婆さんでさえ、このお爺さんの言っていることがよく聞き取れないのだから、他の人になんて、なおのこと無理というものだ。
どうせ世の中を捨てたような人なのだから、自分の言いたいことが他人に伝わろうが伝わるまいが、どうでもいいと思っているのかもしれない。けれど、定職にも就かず、本を読んではいても何かを書こうとする気配もなく、結婚して十数年経つのに子供も一人もおらず、その上、毎日の会話でさえハッキリ話す手間を省いて、後半をごにょごにょと誤魔化すなんて。その面倒くさがりと言おうか、なんと言おうか、とにかくそのやる気のなさは、言葉では言い表せないほどひどいものだ。

「早く出してくださいよ。ほら、襦袢(じゅばん)の襟なんか、油でテカテカ光っているじゃありませんか」
「この次」
やはり半分は口の中で、ボソリと言う。
「え? 何ですって? わかるように言ってください」
「この次」
お爺さんは頬杖をついたまま、ニコリともせずにお婆さんの顔をじっと見つめながら、今度は少しだけハッキリと言った。
「今日は寒い」
「もう冬ですからね。今日だけじゃなくて、明日も明後日も寒いのは当たり前ですよ」
お婆さんは子供を叱るような口調で言った。
「そんなふうに家の中でじっと囲炉裏端(いろりばた)に座っている人と、井戸端へ出て洗濯している人と、どっちが寒いか知っていますか?」
「わからない」
お爺さんはかすかに笑って答える。
「お前の井戸端は、もう習慣になっているから」
「冗談じゃありません!」
お婆さんは顔をしかめた。
「私だって、洗濯をするためだけに生まれてきたわけじゃないんですよ」
「そうかい」
そう言って、お爺さんはすまし込んでいる。
「さあ、早く脱いでよこしてくださいよ。代わりの下着類は全部、あの押入れの中に入っていますから」
「風邪をひく」
「じゃあ、もういいですよ!」
お婆さんはイライラした様子で言い放つと、プイと部屋を出て行った。

ここは東北の仙台の郊外、愛宕山(あたごやま)のふもと。広瀬川の速い流れに面した、大きな竹やぶの中だ。
仙台地方には昔から雀が多かったのか、「仙台笹」という紋所には二羽の雀がデザインされているし、有名な芝居の『先代萩(せんだいはぎ)』でも、雀は千両役者以上に重要な役として登場する。誰だって知っていることだろう。
それに去年、私が仙台地方を旅行した時、地元の友人がこんな古い童謡を教えてくれた。

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