私はまた布団に入って寝ました。
翌日はこの騒動のせいで、いつもより少し遅く起きました。
顔を洗って朝ごはんを食べていると、台所で下女が「泥棒の足跡を見つけた」とか、「いや、見つけていない」とか騒いでいます。
面倒なので、書斎へ引きこもりました。
引きこもって十分も経ったかという頃、玄関で「頼もう!」という声がしました。
勇ましい声です。
台所の方には通じないようだったので、自分で取り次ぎに出てみると、巡査が格子の前に立っていました。
「泥棒が入ったそうですね」と笑っています。
「戸締まりはしっかりしてあったのですか?」と聞くので、「いや、どうもあまり良くありませんでした」と答えました。
「じゃあ仕方がない。締まりが悪いとどこからでも入りますよ。一枚一枚、雨戸に釘を打たなくちゃいけません」と注意してきます。
私は「はあ、はあ」と返事をしておきました。
この巡査に会ってからというもの、悪いのは泥棒ではなく、管理の行き届かない主人であるような気分になってきました。
巡査は台所へ回りました。
そこで妻を捕まえて、紛失した物を手帳に書き付けています。
「繻珍(しゅちん)の丸帯が一本ですね――丸帯というのは何ですか? 丸帯と書いておけば分かるものですか? そう、では繻珍の丸帯が一本と、それから……」
下女がニヤニヤ笑っています。
この巡査は、丸帯も腹合わせも、何一つ知らないようです。
非常に単純で面白い巡査です。
やがて紛失物の目録を十点ほど書き上げて、その下に価格を記入し、「では、合計百五十円になりますね」と念を押して帰っていきました。
私はこの時初めて、何を盗られたのかをはっきりと知りました。
失くなったものは十点、すべて帯でした。
昨夜入ったのは、帯泥棒だったのです。
お正月を目前に控えた妻は、なんともいえない複雑な顔をしていました。子供たちは、お正月三が日の間だというのに、着替える服もなくなってしまったそうです。
仕方がないことですね。
昼過ぎには刑事がやってきました。座敷に上がって、あちこちを調べています。
「泥棒は桶の中にロウソクでも立てて仕事をするんじゃないか」なんて言いながら、台所の小さな桶まで詳しく調べていました。
私は「まあ、お茶でも飲んでください」と言って、日当たりの良い茶の間に座らせて話をしました。
聞けば、泥棒というものはたいてい下谷や浅草あたりから電車でやってきて、明くる日の朝また電車で帰るものだそうです。
それに、ほとんど捕まらないものだとか。
下手に捕まえると、刑事側のほうが損をしてしまうのだそうです。
泥棒を電車に乗せれば電車賃がかかります。裁判に出れば、弁当代まで自腹を切らなくてはなりません。
しかも、秘密費(捜査のための活動費)は警視庁が半分持っていってしまうので、残りを各警察署に分け与えることになります。
牛込署には刑事がたった三、四人しかいないそうです。警察の力ならたいていのことはできると信じていた私は、なんだかとても心細い気持ちになりました。
話をしている刑事自身も、どこか心細そうな顔をしています。
出入りの職人を呼んで戸締まりを直してもらおうと思いましたが、あいにく年末で仕事が立て込んでいて来られないとのこと。
そうこうするうちに夜になりました。
仕方がないので、壊れたままの状態で戸締まりをして寝ることにしました。
みんな気味が悪そうです。私だって、決していい気分ではありません。
「泥棒が来たら、自分たちでなんとかしてくれ」と警察から宣告されたようなものですから。
それでも「昨日の今日なのだから、まあ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、気を楽にして枕につきました。
するとまた、夜中に妻に起こされました。
「さっきから、台所のほうがガタガタ言っているわ。気味が悪いから起きて見てきてちょうだい」と言うのです。
なるほど、確かにガタガタと音がします。
妻はもう、泥棒が入り込んだかのような顔をしています。
私はそっと布団を出ました。
忍び足で妻の部屋を横切り、仕切りのふすまのそばまで来ると、隣の部屋では下女が大きなイビキをかいて寝ています。
私はできるだけ音を立てないようにふすまを開けました。
そして、真っ暗な部屋の中に一人で立ちました。
ゴトゴト、ゴトゴトと音がします。
間違いなく台所の入り口のあたりです。
暗闇の中を、影が動くようにして三歩ほど音のする方へ近づくと、そこはもう部屋の出口でした。
障子が立ててあり、その外はすぐ板の間になっています。
私は障子に身を寄せ、暗がりで耳を澄ませました。
やがて、また「ゴト」と音がしました。
しばらくして、もう一度「ゴト」と聞こえます。
私はこの怪しい音を四、五回聞きました。そして、その音は板敷きの左側にある戸棚の奥から出ているに違いないと確信しました。
私はすぐに普通の歩調に戻り、何事もなかったような顔をして妻の部屋へ帰りました。
「ネズミが何かをかじっているだけだよ。安心して寝なさい」と言うと、妻は「そうですか」と、ほっとしたような返事をしてくれました。
それからは、二人ともすっかり安心して眠りにつきました。
朝になり、顔を洗って茶の間へ行くと、妻がネズミにかじられた鰹節を膳の前に並べて、「昨夜の音はこれですよ」と説明してくれました。
私は「ああ、なるほど」と言いながら、一晩中ネズミに無残に食べられた鰹節を眺めていました。
すると妻が、「あなた、ついでにネズミを追い払って、鰹節をしまってくださればよかったのに」と、少し不満そうに言いました。
私も「ああ、そうすればよかった」と、この時になって初めて気づいたのでした。
柿
「喜いちゃん」という子供がいます。
滑らかな肌と、鮮やかな瞳を持っていますが、頬の色は健やかに育っている世間の子供たちのように、冴え冴えとはしていません。
少し見ると、顔全体がなんとなく黄色っぽく見えるのです。
お母さんがあまりに可愛がりすぎて、外に遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結いが陰で言っていたことがあります。
お母さんは、束髪(そくはつ)が流行っている今の世の中でも、昔風の髷(まげ)をきっちりと四日おきに結い直す女性で、自分の子を「喜いちゃん、喜いちゃん」と、いつでもちゃん付けで呼んでいます。
このお母さんの上には、さらに厳格なお祖母さんがいて、そのお祖母さんもまた「喜いちゃん、喜いちゃん」と呼ぶのです。
「喜いちゃん、お琴のお稽古に行く時間ですよ」
「喜いちゃん、むやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんよ」
そんなふうに言われているので、喜いちゃんは滅多に外へ出て遊んだことがありません。
もっとも、近所はあまり上品とは言えない場所でした。
家の前には塩煎餅屋があり、その隣は瓦師です。
少し先へ行くと、下駄の歯入れ屋や、鋳掛け(金属修理)の錠前直し屋があります。
ところが、喜いちゃんの家は銀行の役人の家です。
塀の中には立派な松が植えられています。
冬になると植木屋さんがやってきて、狭い庭に枯れた松葉を一面に敷き詰めていくのです。
喜いちゃんは仕方がないので、学校から帰って退屈すると、家の裏へ出て遊ぶようになりました。
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