初級翻訳・永日小品 第21話

夏目 漱石

たまに、驚いたお婆さんが代筆をしてくれることがあります。
その時は、とてもよく分かります。先生は便利な書記を抱えているものです。

先生は「自分は字が下手で困る」とため息をついていました。
そうして私に対して「君の方がよほど上手だ」と言ってくるのです。
こんな字で原稿を書いたら、一体どんなものが出来上がるのかと心配でなりません。
先生は『アーデン版シェイクスピア』の編集者なのです。
よくあの字が、活版印刷の文字として変形される資格があるものだと感心してしまいます。
それでも先生は、平気な顔をして序文を書いたり、注釈をつけたりして済ませているのです。
それだけでなく、「この序文を見ろ」と言って、『ハムレット』につけた前書きを読まされたこともあります。
次に伺った時に「面白かった」と伝えると、「君、日本へ帰ったらぜひこの本を紹介してくれ」と頼まれました。
この『アーデン版シェイクスピア』の『ハムレット』は、私が帰国後に大学で講義をする際、非常に役立った本です。
あの『ハムレット』の注釈ほど、行き届いていて要点を押さえたものは、おそらく他にはないだろうと思います。
ただ、その当時はそこまで深く感じ入ってはいませんでした。
しかし、先生のシェイクスピア研究には、そのずっと前から驚かされていたのです。

客間を角に曲がると、六畳ほどの小さな書斎があります。
先生が普段こもっているのは、実はこの四階の角部屋で、そのまた隅っこに、先生にとっての大切な宝物がありました。
長さ一尺五寸(約45センチ)、幅一尺(約30センチ)ほどの青い表紙の手帳を十冊ほど並べて、先生は隙さえあれば、紙切れに書いた文句をこの青表紙の中に書き込んでいくのです。まるで欲張りな人が穴の開いた銭を貯め込むように、ぽつりぽつりと書き足していくのを一生の楽しみにしているようでした。
この青表紙が、シェイクスピア辞典の原稿であるということは、ここへ通い出してしばらくしてからすぐに知りました。
先生はこの辞典を完成させるために、ウェールズの大学の教授という椅子を投げ捨てて、毎日大英博物館へ通うための時間を作ったのだそうです。
大学の教授の椅子さえ捨てるくらいですから、七シリングしか払わない弟子を適当に扱うのも無理はないでしょう。
先生の頭の中には、この辞典のことが一日中、そして夜通し、ぐるぐると渦巻いているのです。

ある時、「シュミット博士の『シェイクスピア語彙辞典』がある上に、まだそんなものを作るんですか?」と聞いてみたことがあります。
すると先生は、軽蔑を禁じ得ないといった様子で「これを見たまえ」と言いながら、自分の持っているシュミットの辞典を見せてくれました。
見てみると、あの立派なシュミットの辞典が、前後二巻のどのページも、書き込みで真っ黒になるまで使い込まれていました。
私は「へえ」と言ったきり、驚いてその辞典を眺めていました。
先生はとても得意げです。
「君、もしシュミットと同程度のものを作るくらいなら、僕は何もこんなに骨を折ったりはしないさ」と言って、また二本の指を揃えて、真っ黒なシュミットをパシャパシャと叩き始めました。

「一体いつ頃から、こんなことを始められたのですか?」
先生は立ち上がって向こうの書棚へ行き、しきりに何かを探し始めましたが、また例のごとく、もどかしそうな声で「ジェーン、ジェーン、俺のダウデンの本はどこだ!」と、お婆さんが出てくる前だというのに、本を探し求めています。
お婆さんはまた驚いて出てきます。
そうして例のごとく「はい、サー」とたしなめて帰っていくと、先生はお婆さんの返事には全く頓着せず、飢えたように本を開いて「うん、ここにある」と呟きました。
「ダウデンがちゃんと、僕の名をここに挙げてくれている。特別にシェイクスピアを研究するクレイグ氏と書いてくれているんだ」
この本が出版されたのは一八七〇年代で、僕の研究はそれよりもずっと前なのだから……と語る先生を見て、私は全く、その忍耐強さに恐れ入ってしまいました。
ついでに、「では、いつ出来上がるのですか?」と尋ねてみました。
「いつになるか分かるものか。死ぬまでやるだけのことさ」と先生はダウデンを元の場所へ戻しました。

私はその後しばらくして、先生のところへ行かなくなりました。
行かなくなる少し前、先生は「日本の大学に、西洋人の教授は要らないかね? 僕も若いなら行くのだがな」と言って、なんとなく無常を感じているような顔をしていました。
先生の顔にセンチメント(感傷)が浮かんだのは、この時だけです。
「まだ若いじゃありませんか」と慰めると、「いやいや、いつどんなことがあるか分からない。もう五十六だからね」と言って、妙に沈み込んでしまいました。
日本へ帰って二年ほど経った頃、新しく届いた文芸雑誌に、クレイグ氏が亡くなったという記事が出ていました。
「シェイクスピアの専門学者である」ということが、二、三行書き加えられていただけでした。その時、私は手に持っていた雑誌をテーブルに置き、あの辞書は結局完成することなく、ただの紙くずになってしまったのだろうか、と考えました。

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