初級翻訳・小公女 第42話

小公女

【生の作品テキスト】
ベッキイはすっかり小間使になりすまして、いそいそ若い御主人に従い、膝掛や手提を持って、馬車の処まで見送りに出て来たのでした。
いつの間にかベッキイは血色もよく、むっちりと肥っていました。
馬車はまもなく、パン屋の店先につけられました。
馬車から二人が出て来た時には、不思議にもまた、ちょうどいつかの時のように、おかみさんが出来たてのパンを窓にさし入れていました。
セエラが店に入って行きますと、おかみさんは振り返ってセエラの方を見ました。
セエラを見ると、甘パンはうっちゃらかして、帳場の中に坐りました。
おかみさんはしばらくの間、穴のあくほどセエラの顔を見つめていましたが、人のいい顔はじき、はればれとして来ました。
「確かに、お嬢様にはお目にかかったことがございますわ。
でも――」
「ええ、お目にかかりましたわ。
あの時あなたは、私に甘パンを六つも下さいましたわね。
それから――」
「それから、あなたは六つのうち五つまで、あの乞食娘にやっておしまいになりましたのね。
私はそのことが忘れられませんでしたの。
初めは、何だかわけがわかりませんでしたけど。
」
 おかみさんは、今度は印度紳士の方に向き直って、こう話しかけました。
「失礼でございますが、旦那様。
こんなお小さいのに、他人がひもじいかどうかなんて気のつくお子は、お珍しゅうございますわ。
私、そのことを、幾度も幾度も考えてみたのでございますよ。
これは、とんだことを申してしまいました。
お嬢様、でも、あなた様はまア、お顔色がよくおなりですこと――それに、あの、以前よりはずっとお丈夫そうに、そして、お立派に――」
「おかげさまで丈夫よ。
それに――以前よりはずっと幸福になったのよ。
――で、私、あなたにお願いがあって来たの。
」
「私に、お願いですって?」と、おかみさんはうれしそうに笑いました。
「まアお嬢様、それはそれは、どんな御用でございますの?」
 そこで、セエラは帳場によりかかって、お天気の悪い日、ひもじそうな宿無の子を見たら、パンを恵んでやってくれと、頼みました。
おかみさんは話の間、セエラをじっと見つめて、びっくりしたような顔をしていました。
が、聞き終るとまた、
「まア、それはそれは。
」といいました。
「私に施しをさせて下さるなんて、うれしゅうございますわ。
御覧の通り、私はほんのもうその日暮しで、自分の力ではとても大したことは出来ないんでございますの。
気の毒な人はそこら中におりますのにね。
でも、失礼か存じませんが、ちょっとお耳に入れておきたいことがございますの。
あの日以来、雨の日には、あなた様のことを思い起して、少しずつパンを恵んでやることにしているのでございますよ。
――あの日は、ほんとに寒くて、ひもじそうでいらっしゃいましたわね。
それなのに、あなた様は、まるでプリンセスかなにかのように、惜しげもなく甘パンを施しておしまいになりましたのね。
」
 プリンセスと聞くと、印度の紳士は思わず微笑しました。
セエラも、あの子のぼろぼろな膝にパンを置きながら、心の中でつぶやいたことを思い起して、ちょっと微笑しました。
「あの娘は、ひもじそうだったわ。
」と、セエラはいいました。
「私よりもひもじそうだったわね。
」
「もう死にそうにお腹がすいていたのでございますよ。
あの子は、あれからよく私に、あの時のことを話してくれましたが――ぐしょぐしょになって坐っていると、可哀そうに、自分のお腹の中で、狼がはらわたを食い裂いているような気がしましたって。
」
「あら、それじゃアあなた、あれから、あの子に会ったの? 今どこにいるか、御存じ?」
「存じておりますとも。
」おかみさんは、いつよりもよけい人のよさそうな顔をして笑いました。
「そらあそこに、ね、お嬢様、あの奥の部屋に、もう一月もいるんでございますよ。
それに、あの子は、なかなかきちんとした、いい性質の子になりそうでございますよ。
思いの他役に立ちましてね、店でも、台所でも、乞食をしていたとは思えないほど、手助けをしてくれますの。
」
 おかみさんは、奥の戸口に歩みよって、声をかけました。
すると、すぐ一人の娘が、おかみさんの後から、帳場に出て来ました、小綺麗な服をきちんと来て、もうひもじさなどは忘れたような顔をしていましたが、あの乞食娘にはちがいありませんでした。
少女は羞しそうにしていましたが、可愛い顔立をしていました。
今はもう人間らしい生活をしているためか、あの野蛮な眼付はすっかりなくなっていました。
少女はふと見るとすぐ、セエラがいつかパンをくれた人だと知ったらしく、じっと立ったまま、いつまでも見あきぬようにセエラの顔を見つめておりました。
「ね、こうなのでございますよ。
」と、おかみさんは説明しました。「『おなかがすいたらいつでもおいで』と私が声をかけましたので、この子はよくお店に顔を出すようになったのです。やってくると、私は何かちょっとしたお手伝いをお願いするようにいたしました。ところが、この子は何を頼んでも嫌な顔ひとつせず一生懸命やってくれますので、私もだんだんとこの子が可愛くなってまいりましてね。とうとううちで引き取ることにいたしましたの。今では、この子はお店の手伝いをしてくれています。お行儀もいいですし、恩義も忘れない、本当に普通の娘と少しも変わらない良い子ですよ。名前はアンヌと申します。アンヌと呼ぶだけで、苗字も何もない子なのですけれどね」

セーラとアンヌは、少しの間、ただ黙ったまま、じっとお互いの顔を見つめ合っていました。やがてセーラは、マフ(筒状の防寒具)から手を出して、カウンターの向こう側にいるアンヌの方へ差し出しました。アンヌはその手をしっかりと握り返しました。二人はまた、お互いの目を見つめ合いました。

「私、とってもうれしいわ」と、セーラは言いました。「私、さっきから素晴らしいことを考えていたのよ。きっとおかみさんは、あなたにパンを配る役目をお願いしてくれるはずだわ。あなただって、その役目をきっと喜んで引き受けてくれるでしょう? あなた自身も、おなかがすく辛さを誰よりもよく知っているんですものね」

「はい、お嬢様」と、少女は答えました。

アンヌはそれ以上何も言わず、ただそこに立っていましたが、セーラにはアンヌの気持ちが痛いほどよく伝わってくるような気がしました。アンヌはいつまでもそこに立ち尽くして、セーラが印度の紳士と一緒に店を出て、馬車に乗り込んで去っていく姿を、じっと見送っていました。

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