初級翻訳・銀の匙 第4話

中 勘助

金色の獅子は銀色の目をギョロリとむき出し、てっぺんに宝珠をのせています。真っ赤な狛犬は、金の目を光らせながら、たてがみを振り乱しています。
伯母さんは、お犬様や丑紅の牛をお友達にして遊ばせてくれたのと同じように、獅子や狛犬ともすっかり仲良しにしてくれました。だから私は、その恐ろしげな顔を見ても、泣き出すようなことはありませんでした。
お揃いの浴衣を着た町内の若い衆から、やっと歩けるようになった子供までが、鉢巻をして、一生懸命にウコン色の麻襷(あさだすき)をかけています。――私は、あの鈴や起き上がり小法師がついた麻襷が大好きです。
――白足袋を履いた素足に、力いっぱい踏ん張ったすねを見せて、できるだけ大きな万燈(まんどう)を振り回して歩きます。
軒並みに並んだ提灯の中にも、町中を飛び回る万燈の中にも、ろうそくの炎がチラチラとまたたいています。
紅白に染め分けた、頭でっかちな万燈の先に、フサフサと御幣(ごへい)が下がっているのが、キリキリと空中で振り回されるのは、見ていてとても気持ちのいいものです。
各町内の決まった場所には、大人や子供の一団が集まって、樽御輿(たるみこし)を囲みながら、喧嘩の段取りを相談し合っています。
そんなお祭りが大好きな伯母さんは、私にも人並みに襷をかけさせ、鉢巻を巻かせて表へ連れ出しました。
私は着物の裾をたくし上げ、下から赤いフランネルの股引(ももひき)をのぞかせ、長い袖を襷に挟んで、伯母さんの背中に小さな万燈を背負っていました。
そうしたところ、ある樽天王のまわりに集まっていた腕白な子供たちのひとりが私を見つけて、
「えくしよ! 女におぶさって万燈を振り回してやがる」
と言いながら、いきなり二つ三つと石を投げつけてきました。
伯母さんはハラハラして、
「弱い子なんだから、勘弁しておくれよ」
と言い、急いで帰ろうとしました。ところが、二、三人の乱暴者がバラバラと追いかけてきて、私の足を引っ張って引きずり下ろそうとしたので、私は伯母さんの首に必死にしがみついて、火がついたように泣き出しました。
伯母さんは、私の首を締め上げる手を一つずつ引きはがしながら、
「勘弁してやっておくれ! 勘弁してやっておくれ!」
と叫んで、逃げるようにして帰りました。
そうしてようやくホッと息をついたとき、せっかくの万燈と下駄を、どこかでカタカタと落としてきたことに気がつきました。
浅葱色(あさぎいろ)の紐で結わえていた、大事な下駄だったのに。

十

病気がちな私は、いつもお医者様の手を離れることができませんでした。でも幸運なことに、東洋医学の東桂(とうけい)さんが亡くなったので、代わりに「西洋医者」の高坂さんに診てもらうことになりました。すると、東桂さんが一生懸命に吹き出させた腫れ物も、西洋の薬できれいに洗ってもらえて、すぐに良くなってしまったのです。
この高坂先生は、顔つきが怖い割には、子供の機嫌をとるのが上手な人でした。
それで、それまで東桂さんのまずい練り薬にうんざりしていた私も、喜んで甘味をつけた飲み薬を飲むようになったのです。
そのうち、「私と母の健康のために、どうしても山の手の空気のいいところへ越さなければいけない」という高坂先生の勧めもありました。幸いそのとき、殿様のお仕事も一段落して暇になっていた父は、自分の役目を人に譲って、小石川の高台へ引っ越すことを決心しました。
いよいよ引っ越すという日には、みんなが私に「もうこの家には来られないんだよ」ということを何度も言い聞かせました。でも私は、出入りの職人さんたちが手伝いに来て大騒ぎをするのが面白くてたまりません。それに、伯母さんと一緒に車に乗り合わせて、何台も連なって行くのが嬉しくて、元気よく喋っていました。
しばらくすると道がだんだん寂しくなり、最後には赤土の長い坂を登って――それまで私は「坂」というものを知りませんでした――新しい住まいだという、杉垣に囲まれた古い家に到着しました。

十一

このあたりの家はみんな、杉垣をめぐらした古い家に静かに住んでいます。
ほとんどが江戸時代から代々住み続けている士族たちで、時代が変わって落ちぶれてはいたものの、その日暮らしに追われるほど惨めな様子ではなく、つつましくものどかな日々を送っている人たちでした。
それに、人家も少ない田舎のことなので、近所同士は顔だけでなく、家のなかの様子まで知り尽くしていて、お互いに親しく付き合っています。
朽ちたまま手入れもしていない杉垣の中には、どこも多少の空き地があって果樹などが植えられています。屋敷と屋敷の間には畑があったり、それがなければ茶畑があったりと、子供や鳥たちの遊び場になっています。
畑、生垣、茶畑。目に映るものすべてが、珍しくて嬉しくてたまりませんでした。
私の家は、隣のかなり広い空き地に家を建てることになったので、それが出来上がるまで借りて住むことになったのです。
暗くて陰気な玄関の脇には「ユズリハ」の木がありました。その葉や、赤い茎の感じがとても気に入りました。
ツルツルした葉を摘んで唇に当てたり、頬をこすりつけてみたりします。
越してきた翌日には、誰かがセミを捕まえて、あり合わせの鳥かごに入れてくれました。
これまで見たことも聞いたこともない生き物だったので面白いとは思いましたが、近づくと暴れて「ジャンジャン」と鳴くのが少し怖かったです。
私は毎朝早く起こされて、草ぼうぼうの空き地を裸足で歩かされます。
ペンペン草や、カヤツリグサなど、そこに生えている草の名前を覚えるだけでも大変な仕事です。
その当時八十歳近かった祖母も、坊主頭に毛織物の頭巾をかぶり、杖をつきつき一緒に、朝露を踏んで歩くのでした。祖母は、実のなる三つの栗の木を裏の垣根のそばに植えました。「これは孫たちが大きくなる頃には、採って食べられるようになるからね」と言いながら。
祖母が亡くなってから、私たちはそれを「お祖母様の栗」と名づけて大切にしていました。今では三本とも立派な木になり、秋になれば、昔の孫たちが笊(ざる)に幾杯もの栗を拾い集め、自分の子供たちにむいてやるようにまでなりました。
そのうちに、家の工事(普請)が始まりました。
材木を運んできた馬や牛が垣根につながれているのを、伯母さんにおぶさって、怖がりながら見に行きます。
大きな鼻の穴から棒のような息を吐き出しながら、馬は杉の葉を引きむしって食べ、牛は「げぶっ」となにかを吐き出しては、むにゃむにゃと口を動かしています。
落ち着きのない長い顔をした馬よりも、おっとりしていて、舌なめずりばかりしている丸顔の牛のほうが私は好きでした。
工事現場では、のみや手斧(ちょうな)、鉞(まさかり)が、それぞれに音を立てて響き、病気がちだった私の胸をときめかせました。
職人さんたちの中に定(さだ)さんという、気立てのやさしい人がいました。木を削っているそばに立って、かんなの凹みからくるくると巻き上がって地面に落ちる「かんなくず」に見とれていると、いつもきれいそうなのを選んで拾ってくれました。
杉や檜(ひのき)の、血が出てきそうな木肌をしゃぶると、舌や頬が引き締められるような味がします。

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