杉や榎(えのき)、欅(けやき)などの大木が立ち並んだ崖の上から見渡すと、富士山や箱根、足柄などの山々が光り輝いて見えます。
私はいつになく喜んで昼飯を食べていたのに、運悪く向こうから人がやってきたので、すぐに箸を放り出して「もう帰る」と言い出しました。
生き物の中では、人間が一番嫌いだったのです。
そんな調子で私がなにを食べても美味しそうにしないので、伯母さんは独自の弁舌で上手に味をつけて食べさせてくれました。
蛤の佃煮は、「あの可愛い蛤が、竜宮城の乙姫様のまわりを舌を出して這い回っているんだよ」という話のおかげで、また竹の子は、孟宗(もうそう)の親孝行の話が面白いという理由だけで大好きでした。
むっつりした竹の子を洗うと、根元の節にそって短い根と紫色のイボが並んでいます。
その皮を日にかざしてみると、金色の産毛が生えていて、裏側は象牙のように白く筋目が通っています。
大きな皮は頭にかぶり、小さな皮は毛を落として梅干しを包んでもらいました。
しばらく吸っていると、皮が紅色に染まって、すっぱい汁がじわりと滲み出してくるのです。
破竹(はちく)も好きでした。
土鍋でぐつぐつ煮ながら、伯母さんがいかにも美味しそうな様子をして、煮えたぎる竹の子の味を語るのを聞いていると、さすがの蜂の王様も、奥歯のあたりに唾がわいてくるのを感じました。
ときどき甘えて自分で箸をとらないと、伯母さんは彩色した小さな茶碗を口へあてがって、「すずめごだ、すずめごだ」と言いながら食べさせてくれるのでした。
鯛(たい)は見た目が美しく、頭の中に「七つ道具」があるのも、恵比寿様が抱えているのも嬉しいものでした。
鯛の目玉は美味しいのです。
表面はぽくぽくしながら、芯は柔靱(じゅうじん)で、いくら噛んでも噛み切れません。
吐き出すと、半透明の玉がカチリと皿に落ちます。
歯の白いのも、綺麗でいいものでした。
十五
その頃、□□さんという狂人がいました。
昔から知る人の話によれば、若いときに大変学問に熱中して、本ばかり読んでいるうちに慢心して気がふれてしまったのだといいます。
髪をぼうぼうに伸ばして、垢と煤(すす)でこびりついた体に、焼け焦げだらけのボロをまとい、太い竹の杖をついて、なにか考え込みながら、夏となく冬となく裸足のまま、実におとなしくさまよい歩いていました。
昔を知っている人たちが気の毒がって、おむすびなどをあげると、まるで仏様の鉄鉢(てっぱつ)を捧げるような格好で、大切に手に乗せて帰っていきます。
たまたま身につけるものを施す人があっても、嫌々ながら一日か二日着るだけで、すぐに元のボロに戻してしまいます。
彼は私の家から二町(約二百メートル)ほど離れたある農家のそばに穴を掘って、その中で一年中焚き火をしていました。そうして気が向いたときには穴から出かけ、足の向くままに行きたいだけ歩いていき、嫌になればくるりと向きを変えて戻ってくる。
そんなふうに、雨の日も風の日も何度もその辺りを歩き回るのがいつものことでした。
それゆえ、どういうわけか一日その姿が見えないことがあると、人々は「今日はあの人が機嫌が悪いのだ」と言い、また三日四日も続けて出てこないときには「具合が悪いのではないか」といって気の毒がったりしたものです。
おかしなことに、彼は通りで女性に出会うと二歩三歩と後ろへ下がり、まるでひどく汚らわしいものを見るかのように、ぺっぺっと唾を吐くのでした。
潔癖な伯母さんは、初めてその人を見たときから彼が放つ垢のにおいを気にして、彼が三歩下がるよりも先にこちらから引き返してしまうほどでしたが、ある日、私をおんぶして例の駄菓子屋へ行く途中でばったり出会ってしまいました。すると伯母さんはこらえきれずに、
「五銭あげるから、お願いだから顔を洗ってくれないか」
と言って、帯の間から財布を出しかけました。
それにはさすがの彼も少し驚いたように立ち止まりましたが、いかにもいまいましそうに首を振り、唾を吐くのさえ忘れて足早に去っていきました。
この人はその後、私が一人前のわんぱく小僧になるまでも生きていましたが、ある日のこと「昨夜のうちに焼け死んだ」という噂が立ちました。怖々その穴を覗きに行ってみると、いつもの竹杖が燃え残った枝と一緒に転がっているだけで、姿は見当たりませんでした。
十六
伯母さんは「木の実どち」をして遊ばせてやると言って、白玉椿の実を落としてくれましたが、眼が悪いうえに力もないので、狙いを外して枝葉ばかり叩き落としていました。
「木の実どち」というのはその地方の遊びで、椿の種子のうち、あらかじめ決めておいた形のものの中からいくつかをそれぞれ同じ数だけ出し合い、それをひとつにまとめて、一人ずつ交代で両手の中で振ってから畳の上に開けます。そして、白い芽の痕が多く上を向いたものを勝ちとして、種子を取り合うのです。
その形と重心の関係によって、種子には勝負の強弱があるといわれています。
中には、漆を塗って飾り立てたり、強くするためにずるをして鉛を詰め込んだりするものもあるそうです。
落とした実を拾い集めて殻を割ると、舟のような形のものや、矢の先のような形のものなど、つやつやした実が隔壁の中にしっかりと収まっています。
その形に従って「もう」「じゃあ」「とこ」「かい」などと呼ばれていました。
そんなふうにして五、六十個の種子を集めて、静かな雨の日を木の実どちをして過ごしたこともありました。
夏になると、いろいろな形をした雲の塊が、日光を浴びてぎらぎらと輝く空を流れていくのを、伯母さんは「あれは文殊様だの、あれは普賢菩薩様だの」と、もっともらしく教えてくれました。
ある日のこと、遊び疲れた私は一人で寝転がって、自分を守ってくださる仏様の姿に似た雲が流れてくるのを眺めていました。
すると、ちょうどそこへ通りかかった雲のうち、観音様が仰向けになったような形が不意に崩れて、恐ろしい形に変わってしまいました。私は化け物が観音様に化けて私を連れ去りに来たのかと思い、慌てて伯母さんのところへ逃げ込んでいきました。
それ以来、私はそういった形の雲を「死人観音」と名付けて、その影を見ればすぐに隠れてしまうようになりました。
皮籠には山崎合戦の戦道具のほかにおもちゃも入っていましたが、中でも鼓と笙(しょう)の笛は秘蔵の宝物でした。
笙の笛の黒塗りの壺には唐草の蒔絵が施されています。その輪形に並んだ長い管と短い管が「ひゆひい」と柔らかく、さまざまな音を出すのが、私の弱い神経にちょうどよい快感を与えてくれました。
鼓は私の小さな肩にふさわしい大きさで、緋色の調べの紐や、面白い胴の形など、すべてが気に入っていました。
なんでもちょいちょいかじってしまう世話焼きの伯母さんは、私に鼓を打たせながら、自分は太鼓を大革に見立てて、いい案配に拍子を合わせてくれます。
そのほか、おしろい刷毛にした兎の手や、骨が立ったときに喉をさする鶴の嘴(くちばし)、目貫をどうこうする真鍮の小槌など、細かいものは小引き出しがたくさんついた箪笥の、一番下の引き出しにしまってありました。
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