初級翻訳・銀の匙 第17話

中 勘助

ひらがなの「を」という字は、どこか女の人が座っている姿に似ています。
私は小さな胸に、弱い体に、何か辛いことがあるときには、それらの「を」の字に慰めを求めていました。彼らはよくこちらの思いを察して、親切に慰めてくれたのです。

こちらへ越してきてからも、私は三日に一度は怖い夢にうなされて、夜中に家じゅうを逃げ回らなければなりませんでした。
そのひとつは、空中に直径一尺(約30センチ)ほどの黒い渦巻きが浮かんで、時計のぜんまいみたいに脈を打つというものです。それが気味が悪くてたまらず、一所懸命にこらえていると、やがてどこからか化け鶴が一羽飛んできて、その渦巻きをくわえていくのです。
もうひとつは、暗闇の中で何かが内臓のようにグチャグチャと揉み合っているという夢です。するとそれが女の顔になって、馬鹿みたいに口を大きく開け放ち、目をパッと見開いて、長い長い顔になるのです。かと思えば次は口を閉じて横に広げ、目も鼻もクシャクシャに縮めて、とんでもなくひしゃげた顔になる。そんなふうに、人が泣き出すまでいつまでも伸び縮みするのでした。
そんなふうにうなされてばかりいるのは、伯母さんのお伽話のせいではないかという疑いも起こりましたし、また寝間を変えてみたらどうかという話もあって、私は父のそばで寝ることになりました。
が、毎晩父が話してくれる宮本武蔵や義経・弁慶などの武勇伝もなんの役にも立たず、化け物は親父くらいは屁とも思わずに、相変わらずやってきました。
前の寝間では床の間の天井に魔物がいましたが、今度の部屋では柱にかかった八角時計が一つ目になり、四本の障子が大きな口になって見せたのです。

三十九

お医者様のすすめに従って、とかく弱りがちであった母と私の健康のために、父は二人を連れてある海岸へ行くことになりました。
行く道すがら、それまで歌留多の絵や手本などで見て、子供心にあこがれていた自然がそのまま目の前に現れてくるのを見て、私は無性に喜びました。
小さな想像の甕(かめ)には汲み尽くせない、不思議な海も見ました。それは藍色に澄んで、その上を帆かけ舟の帆が銀のように輝いて進んでいきます。
まっすぐに切り立った崖の間を通るときは、耐えがたい寂しさを覚えて、そこに辛うじて生えている草たちをかわいそうに思いました。
龍宮城みたいな南京人の寺院では、南京のお婆さんが石畳の上に石ころを落としては、何かを祈っていました。そうして髪を油で塗り分けた人形のような子が、可愛い足をふらふらさせて歩いているのを、綺麗だなと思いました。
貝細工を売る店には、海の底の宝物がぎっしりと飾ってあります。父は姉たちへのお土産に何本かの簪(かんざし)と、私にひと包みの酢貝を買ってくれました。私は「こんな綺麗なものを、父さんはなぜ全部買わないのかしら」と思いました。
海岸の松原を人力車に乗ってゆくと、いくら行っても松ばかりです。お正月に飾る高砂の掛け軸にも松はありますし、常日頃から伯母さんにも「松は神木だ」と聞いていたので、私は松の木が迷信的なくらい好きでした。
しばらくして宿に着きました。せっかく静かな松原を楽しんでいたのに、そこでは人々がガヤガヤしていたので、「もう家へ帰る」と言って泣き出したら、番頭や女中たちが飛んできて、旧知の仲のように「坊ちゃん、坊ちゃん」と言って騙してくれました。それで安心して、すぐに泣きやみました。
そうして一日中、潮風の香をかぎながら、小松の向こうでどんどんと砕ける波に、何もかも忘れて見とれていました。
夜になって明かりがつきました。その傘は円筒状の竹籠に紙を貼ったもので、黒塗りの風雅な台に乗っていました。そこへ火影を慕ってヨコバイ(虫)が飛んできてはとまります。美しい緑色をして、目の間が広いヨコバイが可愛くてたまりません。指で押さえようとすると、ひょいと横へいざって、隣の籠のほうへ逃げます。ハト虫も来ました。
ある晩、縁側へ出て庭で花火を上げているのを見ていたら、綺麗な女の人が菓子を包んで持ってきて、
「あげましょう」
と言いました。私はその人が「芸者」だということを小耳にはさんでいましたが、「芸者」といえば何でも人を騙したりする怖いものらしい、と思っていました。その芸者がそばへ寄ってきて、「可愛いお子さんだの」「年はいくつ」だのと言いながら肩へ手をかけて、頬ずりしないばかりに顔をのぞき込んできたのです。私はいい香りのする袖の中に包まれて、返事もできず耳まで真っ赤にして手すりにしがみついていました。しかし、ふと「これは自分をだましに来たんだ」と気づくと急に恐ろしくなり、強引に袖の下をすり抜けて、母のところへ逃げ帰りました。
私が胸をドキドキさせながらその時のことを話すと、母は少し笑いながら私の無作法をたしなめました。
それからは花火を見るたびに、「今度何か聞かれたら返事をしよう、お菓子をくれたらお礼も言おう」と思っていたのですが、その人は怒ったのか、その後はそばにも寄ってきませんでした。
私は自分の後悔している気持ちを伝える機会がないのを、心から残念に思いました。
ある日、父と一緒に深い松林の奥へ入っていったことがありました。
松の匂いがして、松ぼっくりがたくさん落ちていました。
父はゆっくり歩いているのですが、私は松ぼっくりを拾うために、始終小走りで追いかけなければなりません。
拾いためて袂(たもと)や懐がいっぱいになった松ぼっくりと心の中で仲良く話しながら、ちょこちょことあとについて歩いていると、東屋(あずまや)があり、眉毛の真っ白なおじいさんが熊手で松葉をかいていました。
それを私は、高砂(たかさご)のおじいさんがいた! と道理もわきまえずに喜びました――本当にそう思ったのです。
――いつもと違って自分からいろんなことを父に話しかけました。
父は宿へ帰ってから母に、
「今日は章魚坊主(たこぼうず)が偉くいろんなことを言ったぞよ」
と言って笑いました。

四十

旅行から帰ったら、留守の間に「お国さん」の家はお役の都合で遠方へ引っ越していたので、私はなんだか拍子抜けしたような寂しさを感じました。
私はそれからは恐ろしい夢にうなされることもなく、体もめきめきと成長するようになりましたが、生まれつきのぼんやりした性格で学校をなまけることは相変わらずでした。
それは体が弱いためだけではなく、うぶな子供にとってあまりに複雑で苦痛の多い学校生活が、私を嫌がらせたからなのです。
ただ嬉しいことに、その時の担任の中沢先生は大好きないい人で、おまけに私の席は先生の机のすぐ前にありました。
中沢先生は私がいくら欠席しても何も言わず、どんなに勉強ができなくてもくすくす笑ってばかりいました。
ですが、いつか隣に並んでいる安藤繁太という奴と喧嘩をしたときに、たった一度だけ叱られたことがありました。
どうしたことか、そいつとはお互いに虫が好かなくて、しょっちゅう仲が悪かったのです。ある日、算数の時間に彼は石板に片目の顔を描き、それに人の名前をつけて「やい、やい」と言って見せました。
そこで私は大きな下駄の絵に目と鼻をつけて、その脇へ「すげため」と書いてやりました。

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