初級翻訳・あのときの王子くん 第16話

あのときの王子くん

内藤さんは「まず声に出す言葉があって、そのあとに文字の言葉がある」という考えを持っていて、言葉の呼吸や、命の宿った言葉をとても大切にしていました。
『星の王子さま』という作品の価値は「声に出して読むこと」にある、とお考えになっていたようです。実際、あの翻訳は口で話した言葉を書きとめるようなやり方で作られていました(体の調子が悪かったという理由もあったようですが)。原文と訳文を比べながら、言葉のリズムにできるだけ気を配り、何度も何度も読み直して直されています。

「読み上げる対象と自分を一体にする」というのが、内藤さんが文学作品に取り組むときに大切にしていた〈哲学〉です。その意味で、あの翻訳は内藤さんの体の中から勢いよくあふれ出た、生きている翻訳だったのだと思います。

この『あのときの王子くん』も、佐々木さんという朗読する人がいる以上、なによりもまず「声に出して読むための文章」として、そして「物語を語るための文章」として作りました。
その点では、内藤さんの翻訳に挑んでいることになります。
この挑戦には、また別の場所で話すような別の理由もあるのですが、果たしてその挑戦がうまくいったかどうか、私にはわかりません。
それは読んでくださるみなさんの判断におまかせします。

4 翻訳について

前にも書いたように、この翻訳は朗読のために作られています。
ですから、文章の形は読みやすいものでなければなりません。
また、フランス語では8歳くらいの子どもなら、ただ読むだけで何の困ることもない作品だと聞いています。
それなら、翻訳の文章も、日本にいる同じくらいの年齢の子どもが読んだり、聞いたりしてわかるようなものにする必要があります。
とくに、使う言葉には気をつけました。
小さなお子さんでも、目で見て、耳で聞いてわかる言葉。
この翻訳では、できるだけ難しい漢字の言葉や熟語を使わず、日本に昔からある言葉を使うようにしました。
けれど、やさしい言葉を使ったからといって、内容まで簡単にしてしまったわけではありません。
私は、難しい内容だからといって、難しい言葉を使わなければならないとは思いません。
とくに、この『星の王子さま(ル・プティ・プランス)』がそうであるように、たとえやさしい言葉で書かれていても、深い意味を持つことはできるからです。
ですから、たとえこの作品の内容が大人向けだとしても、言葉がやさしくある以上は、やさしい言葉で訳そうと思いました。
わかりやすい言葉を選びつつ、読みやすい文章になるよう気をつけています。
ときには意味よりも、リズムや音楽のような響きを大切にした部分もあります。

そしてもうひとつ、文章の形について気を使ったことがあります。
それは、文章の長さです。
一般的に、外国の本を日本語に訳すと、元の本の1.5倍くらいの長さになると言われています。
けれど、私はこの意見には納得できません。
そんな訳し方は、ときとして語りすぎになってしまうことが多いからです。
なぜなら翻訳というものは、きれいな日本語にしようと意識しすぎると、もっとわかりやすく、もっと説明が必要だと思い始めてしまうものだからです。
それは悪いことではありませんが、元の本には書いていない余計な説明を加えて、文章をふくらませてしまうこともあります。
たとえば、原文では一度しか使っていない動詞を何度も繰り返してみたり、何でもないところに凝った表現を使ってみたり。
あるいは単純に、ひと言のセリフなのに、長々と語ってみたり。
もしこれが映画の吹き替えなら、すぐに時間が合わなくなってしまうでしょう。
そこでこの翻訳では、原文の長さにできるだけ気を配り、訳文が同じくらいの長さになるように作りました。
それは原文にできるだけ近づきたいという願いであると同時に、自分が作品について語りすぎてしまうことを防ぐための決まりでもあります。
翻訳をする人に限らず、人はわかっていることを全部語りたがるものです。
『星の王子さま』であれば、その作品についてわかっていること、読み込んだことを、翻訳の中に全部出したくなってくるのです。
けれど、その中には作品には書いていないことも含まれています。
それを全部書いてしまえば、元の作品とは別のものになってしまうでしょう。
そういったことは、翻訳ではなく研究書や別の文章として書くべきことであって、翻訳の中に書き込むことではありません。
原文に書いてあることを書き、書いていないことは書かない。それが原則だと私は思います。

文章をうまくコントロールして、自分を律することが翻訳には必要です。
どのような条件で、誰に向かって書くのか。
そういった決まりごとが、翻訳には欠かせません。
まず書くべきところを取り出し、そうでないところを捨てる。
つまり書くべきでないところをあらかじめ決めて、そこを消していくのです。
そしてそのあとに残った小さな場所に向かって、心を集中させて訳していきます。
こういう厳密な決まりを意識しなければ、翻訳の文章はすぐにバラバラに崩れていくことでしょう。

5 「内藤訳」から離れること

この訳は、さまざまな点で、すでにある内藤濯さんの訳から離れることを試みています。
私は、この作品がただのファンタジーだとは思いませんし、『星の王子さま』という題名がふさわしいとも考えていません。新しい訳である以上、前のものにただついていくのではなく、それを壊し、乗り越えることを考えなければなりません。
そのため、この翻訳の文章には、内藤さんの訳を大切に思っている方々には、我慢ならないようなところがいくつもあるかもしれません。
たとえば、キツネが教えてくれるひみつがそうです。
この翻訳では、次のような言葉になっています。

「おいらのひみつだけど、すっごくかんたんなことなんだ。
心でなくちゃ、よく見えない。
もののなかみは、目では見えない、ってこと。」

内藤さんの訳でこの部分は「かんじんなことは、目に見えない」となっています。
あるいは、のちの方に出てくる「たいせつなことは、目に見えない」という言葉で覚えている方もおられるかもしれません。
ここは原文では「本質的なもの」を意味する “l’essential” という言葉が使われています。
単純に訳すなら、「本質、もと、たま、核、芯」といった言葉が考えられますが、あえて日本語で「実質」という意味も持つ「なかみ」という和語を選びました。
ここは「たいせつ」というよりは「かんじん」の方が優れていると思いますが、いかんせん言葉が古く、「そのものの存在にかかわる本質的なこと」という意味が今の読者に伝わらないように感じます。
それに、「本質が目に見えない」というのは、キツネが言うように、本当に簡単で当たり前のことです。
しかし、「たいせつなことは目に見えない」というのは、果たして当たり前のことなのかどうか、少し疑問に思うのです。

それ以外にも、この作品にとって大事な言葉は、できるだけ和語を使って、元の意味がしっかりと伝わるように心がけました。
また、何度も何度も繰り返される言葉についても、できるだけ同じ訳語になるよう、統一したつもりです。

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