初級翻訳・おれは二十面相だ 第2話

おれは二十面相だ

ひとつ今晩、実験をやってみたいと思いますが、どうでしょうか」
「実験と言いますと?」
「ここにいる小林くんがエジプトの部屋で夜明かしをして、試してみたいというのです。小林くんまで消えてしまっては大変ですが、決してそんなことは起こらないと思います。ひとつ実験をさせてみようではありませんか」

それを聞くと、松波博士は言いました。
「それは危険ではありませんか。わたしは小林くんの身の上を請け合うことはできませんよ」
「いや、わたしが責任を持ちます。この小林くんはこれまでにいろいろな事件で命がけの冒険をやっていますから、大丈夫です。知恵もすばやく働きますし、力も強いのです。それにわたしには、ちょっと考えていることもありますから、決して危なくないようにします」

そうしてしばらく押し問答をしたあとで、いよいよ小林くんがたったひとりでその晩、エジプトの部屋で夜明かしをすることに決まりました。
午後九時、小林少年はただひとりで研究所へやってきて、松波博士といっしょにエジプトの部屋に入りました。
小使いの赤井さんもそこへついてきていました。
「赤井さん、外からドアに鍵をかけてください。そうすれば誰も入ってこられませんからね。鍵は赤井さんが持っているきりなんでしょう。もし合い鍵があるのだったら、それも赤井さんが持っていてください」
小林少年は、みんなが部屋を出ていく前にそう言って念を押しました。

やがてふたりの大人が出ていってしまい、ドアには外からピチンと鍵がかけられました。
小林くんはこうして、エジプトの部屋に閉じ込められてしまったわけです。
部屋の隅に大きなデスクがあって、その前に革を張った回転椅子が据えてあります。
小林くんはその椅子にかけて、ぐるっと部屋の中を見回しました。
一方の壁は天井まで本棚になっていて、外国語の本がびっしり並んでいます。反対側の壁には、大きな棚が置かれていて、土の中から掘り出された古代エジプトの様々な品々や、その模造品などがたくさん並べられていました。そして、その前にある小さなデスクの上には、銀色の細長い箱に入った、あのいわくつきの巻き物が置かれています。
また別の壁には、有名なエジプト学者の肖像画が油絵で飾られており、その下には大きなミイラの棺が立てかけられていました。棺の蓋が半分開いていて、ミイラを包んでいた白い布がはみ出しています。その中には、真っ黒になった骸骨のようなミイラが立っているのではないかと思うと、ゾーッとするほど恐ろしい気持ちになってきます。
天井から下がった丸い電灯が一つ、それ以外には大きなデスクの上に置かれた、青い傘のついた卓上電灯があるだけです。部屋が広いため、それだけの明かりでは薄暗く、部屋の隅々には黒い影ができていました。
窓の外は真っ暗です。庭に生い茂っている木々が、まるで黒い魔物のように見えています。
大きなデスクの上には、古い外国の本が乱雑に積み上げられており、その前で古い置き時計がカチカチと時を刻んでいました。
シーンと静まり返り、遠くの大通りを走る電車や自動車の音がかすかに聞こえるほかには、何一つ物音はしません。
だんだんと夜が更けていきました。奇怪な巻き物の呪いが、どのような形で現れるのかは誰にもわかりません。
向こうの小さなデスクの上に置かれた、古びて黒ずんで見える模様入りの銀の箱。その中に収められている二千数百年も前の古い古い巻き物が、不思議な魔力を持っていて、人間ひとりを消し去ってしまったのです。
小林少年は、その黒っぽい銀の箱をじっと見つめていました。
長いあいだそうして見つめていると、ぼーっと目がかすんできて、あたりが薄暗くなり、銀の箱だけがスポットライトを浴びているかのように白っぽく浮かび上がって見えます。
「あっ! 動いた!」
銀の箱が、スーッと動いたのです。
小林くんは驚いて見直しました。目をこすって見直しました。
しかし、箱はやっぱり元の小さなテーブルの真ん中にあります。いまのは目の錯覚だったのでしょうか。
時計の針は十時を過ぎ、十一時を過ぎ、十二時に近づいていました。実に長い長い時間でした。ひと月も経ったかと思われるほどです。
小林くんは時々椅子から立ち上がって、部屋の中を歩き回りました。そして、また元の椅子に戻るのです。
どこかで「キーッ」と奇妙な音がしました。
なんだかミイラの棺の蓋が動いたような気がします。蓋の間からはみ出している白い布が、風もないのにかすかに揺れているではありませんか。
さすがの小林少年も、だんだんと気味が悪くなってきました。
うっかり目をそらしていると、後ろから怪物が忍び寄ってくるような気がします。壁いっぱいの本棚の本の隙間から、痩せ細った人間の手が「ニューッ」と出てくるのではないかと思うと、まるで水を浴びたかのように背中が冷たくなってきました。

闇の中の手

パッ、パッ、パッ……と、たった一つの電灯が、瞬きをするように消えたり点いたりしました。
はじめはゆっくり瞬いていましたが、やがてだんだん早くなり、「パチ、パチ、パチ……」と、本当に怪物が瞬きをしているようです。
小林くんは思わず椅子から立ち上がり、身構えました。恐ろしい化け物でも現れるのではないかと思ったからです。
電灯が瞬くたびに、部屋の中のいろいろなものが動くような気がします。
向こうの壁に立てかけてあるミイラの棺の蓋が半分開いて、そこから白い布が幕のように現れています。ミイラの頭の上から被せてある布が、はみ出しているのです。その白い布が、風もないのにフワフワと揺れ動きました。
ミイラが動き出したのでしょうか。いまにも、ああ、いまにも、黒いミイラがその蓋をもっと開いて、こちらへ歩き出してくるのではないでしょうか。
そればかりではありません。さっきは本棚の本の隙間から痩せた手が出てくるように思いましたが、同じような手が、あちらからもこちらからも「ニューッ、ニューッ」と突き出してくるような気がするのです。
テーブルの下からも、ミイラの棺からも、棚に並べてある土人形や壺の中からも……。
電灯がパッと消えるたびに、違ったところからその手が出てくるように思われるのです。
その手はみんな、テーブルの上の巻き物の箱を狙っているようで、そちらへ向かってグングンと伸びていくのです。そのうちの一本の手は、一メートルも二メートルも長く長く伸びて、いまにも銀の箱に触れそうになるのです。
もちろん、実際に手が出たわけではありません。電灯がパッパッと瞬いたのは、気のせいであり、ありもしないものが見えていたのです。
さすがの小林少年も、もう我慢ができなくなってドアの方へ走り出し、いきなりドアをドンドンと叩きました。
小使いの赤井さんがその音を聞けば、鍵を持ってドアを開けに来てくれるだろうと思ったからです。
ところが、小林くんがドアを叩くと、まるでそれが合図であったかのように、パッと電灯がついて、そのまま消えなくなりました。
瞬きをやめてしまったのです。
電灯がつけば、もう恐ろしい幻は見えないでしょう。
小林くんは、ようやく安心して元の椅子に腰掛けました。
巻き物の入った銀の箱は、ちゃんとテーブルの上にあります。

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