初級翻訳・まざあ・ぐうす 第9話

まざあ・ぐうす

ただ、ここでは細かい比較は読者の皆さんにお任せします。
私がこの本に訳出したのは『マザー・グース』の童謡を主として、英米の子供たちの間で歌われている遊び歌や子守唄などを取り混ぜたものです。
翻訳するにあたっては、四、五種類の童謡集や楽譜などをあれこれと参照しました。
同じ童謡でも、歌い方によって崩されていたり、一部が抜けていたりします。
ひどい場合には、肝心なところで意味が正反対になっているものさえあります。
そういったものは、最も良いと信じられるものを選びました。
この本の冒頭の詩などは、どの本を見ても所々が抜けていました。
ですから、すべてを総合して、あの通りにまとめ上げたのです。
しかし、どの連もどの行も、私の勝手な判断で作り足したものはありません。すべてを揃えて、完全な一つの形にしたのです。
元来、翻訳というものは難しいものです。
とりわけ韻文の翻訳は、困難な仕事なのです。語学者でもなく、学力も乏しい私が、この難事に身を入れることはかなりはばかられることではありますが、ただ幸いなことに私は詩を書いており、民謡として日本のことばをどうにか風味してきたつもりです。
ですから、詩や民謡については、その真の精神や、リズムの動き方などについては、まずまず相当の理解を持っているつもりです。
その力を頼りに、ともかくやりはじめてみたのでした。

第一の困難は、これらの童謡はむろん手拍子や足拍子で歌うべきものですから、翻訳もまたきわめて民謡風の動律で、完全に歌えるようにしなければならないということです。
ですから、原曲のリズムの動き方については、その推移をそのまま再現する必要があります。
これを違った国のことばに移そうとするのはかなり無理なことです。そしてまた、歌えるようにするのはなおさら困難です。
ですから、ある少数の例外を除いて、私はなるべく一行ずつ、ほとんど逐次に訳していきました。大体において逐次訳といっていいでしょう。
そのおかげで、私は創作以上の苦しみを味わいました。
もっとも、一昨年あたり、初めてこのことに着手した当座はまだ不慣れで、十分に手に入らなかったため、歌いものとするために多少の手加減をしなければ思うように訳せませんでした。
それが次第に、厳格な逐次訳でもどうにか納めていけるようになりました。
ですから、この中には少数の手加減を入れた例外があります。

それから、「Rain, rain go to Spain」というような、音韻(音の響き)を利用した言葉遊びのものは、訳そうとすること自体がそもそも無理なので、訳しませんでした。
「雨、雨、スペインへ」と訳しては、元の歌のおもしろみがなくなるからです。
日本でやるならば「雨、雨、安房(あわ)へ」というふうに、あの音韻で掛けていくべきものです。
「Baa, Baa, Black Sheep」というようなものも困りました。
すべて「B」の音でいっているのですが、日本の「黒羊(くろひつじ)」には「B」は掛かりません。
かといって、「くうくう黒羊」でも羊の鳴き声は出ません。
「なけなけ、黒羊」では意味だけのものになってしまいます。
意味だけのものでは、本当の翻訳にはならないのです。
仕方がない場合は、その言語のまま生かしておくほかに道がありません。
「やぶ医者のフォスタアさんが、グロオスタアへいって」というふうなものは、これも言葉の上の掛け言葉ですが、固有の名詞でそのままやれるから、そのとおりにしておきました。
「お医者さまの西庵(さいあん)さんが埼玉(さいたま)へいって」というふうなしゃれです。
これは両方が固有名詞でいっているのでそのままでいいのですが、雨とスペインのように、一つが普通名詞である場合はまったく困ってしまいます。
ですから、あるものは「とっぴょくりんのチャアレエが」と訳しては原曲の妙味が出ない場合に、「とっぴょくりんのとん吉が」というふうに音で掛けたものもあります。
これは「とん吉」そのものが人名というより、「とっぴょくりん」そのものが通称化されているからさして障りにはなりませんし、「チャアレエ」という人名は原曲ではただ音韻上のしゃれに使用したまでで、それ以上の意味はないから、本質的な掛け言葉の妙味を主として訳したのです。
しかし、こうした例はこれくらいです。

それからまた、

月の中の人が
ころがっておちて、

北へゆく道で
南へいって
凝(こ)えた豌豆(えんどう)汁で
お舌をやいてこォがした。

の原曲では「ノルウィッチへいく道をきいて、南へいって」となっているのですが、ノルウィッチはロンドンの北に当たるので、本質の精神は「北へ」が「南」と対照して、ノルウィッチを知らない日本の子供にもはっきりわかりますし、このほうがずっと簡潔でいいからです。
こんな場合の地名は除きました。
しかし、この例もほかにはめったにありません。たいがい生かすべき固有名詞は生かしました。

それからまた、日本語になおす場合に、語法の相違から、動詞の過去を現在形にしたり、そのまま直訳するよりも、かえってぴったりと本質的にその意に合う日本語がある場合は、その無意味な直訳は避けました。その真の精神に背くだけでなく、日本語としても生きないからです。
それから、正直に「うまく返事をしてのけた」と訳しては、かえってその本当の面目が出ない場合は「うまく返事をしてのきょか」というふうにしたのもあります。
それからまた、「二十四人の仕立屋がででむしころしにいきました」を「二十四人の仕立屋がででむしころしにえっさっさ」とやったのもあります。
意味は同じでも、「えっさっさ」のほうが一列に並んで、活動人形そのままになって、足がさくさくと同じように動くからです。

それから、みだりがましくて少し困るのは、多少気品をよくするために手加減したものがある点です。
で、こういうのは例外ではありますけれども、それだからといって十分に意識してやっているのですから、詩法を知らない語学者から頭ごなしに誤訳呼ばわりされたくはありません。
ただ、学力の不足のためか、うっかりしたためにとんでもない間違いをしたことがあるかもしれません。もしそのような箇所があれば、どうか教えていただけると嬉しいです。
私はそれらの内容と、歌の持つリズムの魂を、日本の民謡の言葉でできる限りあますところなく表現しようと努めました。
もしそれが叶ったのなら、これほどありがたいことはありません。
創作をするのとほとんど変わらないほどの誠意と情熱を、この仕事に注ぎ込んだのもそのためなのです。
ですから、ある意味においては、これは半分私の創作ともいえるかもしれません。
以上

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