人がうなっているような音です。どうやら洗面室のドアの向こうからのようです。
女中さんがそっとそのドアを開けてみました。
「アラッ、大変! こんなところに団長先生が……」
団長先生とは笠原さんのことです。家の者たちは、笠原さんのことをそう呼んでいるのです。
みんながそこへ駆け寄りました。
笠原さんは、パジャマの上から手足をぐるぐる巻きに縛られ、タオルで猿ぐつわをはめられた状態で、洗面台の下に倒れていました。
その猿ぐつわの隙間からうめき声を立てていたのが、女中さんの耳に届いたのです。
みんなで縄と猿ぐつわを解いてあげると、笠原さんは、
「あいつはどこにいる! 捕まったのか?」
と言いながら、キョロキョロとあたりを見回しました。
「あいつって誰のことですか? 誰かいたのですか?」
刑事の一人が尋ねました。
「骸骨のやつだ! わしがこの洗面室に入ったかと思うと、あいつが後ろから組み付いてきた。あいつの腕は鉄のように強くて、とてもかなわなかった。あっという間に縛られてしまったのだ。……しかし、正一は? あいつは正一を盗み出しに来たに違いないのだが、正一は無事か? どこにいるんだ?」
「いや、それが……正一さんはどこかへ消えてしまったのです。もちろん、骸骨男の姿もありません」
「そんな馬鹿な! 正一はちゃんと向こうのベッドで寝ていたのだ。それに、あんな悲鳴を上げたじゃないか! 骸骨男にひどい目に遭わされていたのだ。その二人が消えてなくなるなんて、そんなはずはない。ドアは君たちが破らなければならなかったほど、ちゃんと鍵がかかっていた。窓には鉄格子がはまっている。この部屋には、天井にも、壁にも、床にも抜け穴なんて一つもない。骸骨男と正一は、一体どうやって出ていったんだ?」
「私たちもそれが分からず、途方に暮れているのですよ。まるで、空気の中へ溶け込んでしまったとしか考えられません」
刑事が答えました。
それから笠原さんも加わって、みんなで寝室の中はもちろん、家中の部屋、庭から塀の外までくまなく調べましたが、骸骨男が通ったらしい痕跡はどこにもありませんでした。
それらしい足跡も、全く残っていないのです。
怪人骸骨男は、またしても見事な魔法を使ったのでした。
完全な密室の空気の中へ、すっかり溶け込んでしまったのです。
しかし、このお話は怪談ではありません。
骸骨男はお化けのように見えますが、この世にお化けなんて存在するはずがないのですから、いくら不思議に見えても、やっぱり人間の仕業に違いありません。
人間である以上、煙のように消えることはできないはずです。
これには何か、思いもよらない秘密のトリックがあるのです。
ああ、それは一体、どんな秘密なのでしょうか。
魔法の種
正一君が骸骨男と一緒に消えてしまった翌日、警察署には骸骨男の捜査本部が置かれました。お昼過ぎには笠原さんも刑事たちもそちらへ出かけてしまい、笠原さんの家には留守番の者以外、誰もいなくなってしまいました。
その隙を見計らって、あの探偵好きのかわいい女中さんは、そっと二階へ上がり、正一君が連れ去られた寝室に忍び込みました。
そして部屋の中を隅から隅まで見て回ったあとで、窓の鉄格子を特に念入りに調べました。
鉄格子の下側の枠は、二本のボルトで留めてあることが分かったのです。ボルトというのは、鉄の棒の先にねじが切ってあり、そこへ「ナット」という六角形の金属をはめて、スパナ(ねじ回し)で締めつけるようになっているものです。
「変だなあ。こんな鉄格子の留め方なんて見たことがないよ」
女中さんは男の子のような声でひとりごとを言いながら、今度は鉄格子の上のほうを調べていましたが、「あっ、わかった!」と叫ぶと、いきなり寝室を駆け出し、どこからかスパナを探し出して戻ってきました。そして、スパナを持った右手を窓の鉄格子の隙間から外に出し、下側の枠を留めている六角ナットのねじを回して、二つのナットを外してしまいました。
そして、両手を鉄格子にかけてグッと押してみますと、スーッと外側へ開いていくではありませんか。鉄格子の上のほうは、パッと見ただけではわからないような「ちょうつがい」になっていて、鉄格子全体が外へ開く仕組みだったのです。鉄格子の右側の枠も、左側のものも、外から四つずつナットで締めつけてあるように見えますが、それは偽物で、ただナットだけが取りつけてあるだけで、ボルトはありません。ですから、下側の二つのナットさえ外せば、鉄格子が上のちょうつがいを軸にして、いくらでも外へ開くようになっているのです。
「これで寝室の謎が解けたぞ!」
女中さんはまた男の子の声でひとりごとを言いましたが、すぐに隣の空き部屋へ飛んでいって、そこの窓の鉄格子を調べました。すると、そこにも同じ仕掛けがしてあり、下側の二つのナットを外せば鉄格子が開くようになっていました。前の晩に骸骨男がこの部屋へ逃げ込んで消えてしまったのは、この鉄格子の外へ出て、ナットを元のように締め直しておき、一階との間にある狭い屋根の上にしゃがんで隠れていたのでしょう。そして、女中さんが懐中電灯で庭の足跡を調べたときには、また部屋の中へ戻って隠れていたのに違いありません。
それから、正一君を連れ去ったときも、寝室のほうの鉄格子を開いて逃げたのでしょうが、あのとき庭を調べてもやはり足跡がなかったのは、なぜでしょう。このときは人が大勢いたので、もう一度寝室へ戻るというようなことはできなかったはずです。女中さんはそんなことを心の中で考えていましたが、どうも腑に落ちないところがあります。
そこでふと思いついて、鉄格子から窓の下の屋根へ出てみる気になりました。庭に面した側だけ一階のほうが張り出していて、そこに一メートルほどの幅の屋根がずっと続いているのです。女中さんはその屋根の上を、ネコのように四つん這いになって隣の寝室の窓のほうへ這っていきましたが、ちょうどこちらの空き部屋と寝室との間の壁の前で、妙なものを発見しました。そこの屋根が幅五十センチ、長さ二メートルほど、ほかの屋根と色が違っているのです。触ってみますと、そこだけ瓦ではなくて鉄の板でできているらしいのです。見たところ形も色も瓦とそっくりですが、鉄の板を瓦を並べたような形にして、瓦と同じ色を塗ったものだということがわかりました。
女中さんはその細長い鉄の板に手をかけて引っ張ってみました。するとこれもちょうつがいになっていて、蓋のように開くのです。薄い鉄の板ですから、そんなに重くはありません。
「ああ、あいつはここ隠れていたのかもしれない」
女中さんは、鉄の板の下が細長い空洞になっていて、人間が横になって隠れられるのに違いないと思いました。そこで力を込めてその鉄の板をグッと開いたのですが、開いたかと思うと女中さんは「アッ!」と声を立てて、そのまま身動きもできなくなってしまいました。実に驚くべきものを発見したのです。
ああ、これはどうしたことでしょう。その空洞の中には、手足を縛られ、猿ぐつわをはめられた一人の少年が、ぐったりとなって横たわっていたではありませんか。それは正一君でした。
コメント