初級翻訳・サーカスの怪人 第14話

サーカスの怪人

正一君は走り疲れて地面に倒れてしまいました。
その頭の上へ骸骨が降ってくるのです。
ピンポンの球が茶碗ほどの大きさになり、お盆ほどの大きさになり、スーッと目の前に迫ってくるのです。
やがて骸骨の顔は、目の前を覆い尽くすほどの大きさになりました。
それに隠されて、ほかの骸骨はもう見えません。
巨人のような、たった一つの骸骨の顔が、正一君を押し潰さんばかりに近づいてきたのです。
正一君は「キャーッ」と叫びました。
すると骸骨の恐ろしい口がパクッと開き、いきなり正一君の肩に食いついてきたではありませんか。
「おい、正一、どうしたんだ。しっかりしなさい。」
お父さんの笠原さんがベッドを降りて、うなされている正一君を起こしてくれたのです。
「怖い夢でも見たのか。」
骸骨に食いつかれたと思ったのは、お父さんが正一君の肩を掴んで揺り動かしていたからでした。
「ああ、ぼく、怖い夢を見ちゃった。でも、もう大丈夫。」
正一君が元気な声で答えたので、お父さんはそのまま寝室の端にあるドアを開けて洗面室へ入っていきました。
正一君はお父さんを安心させるために元気なふりをしましたが、本当は怖くて仕方がないのです。
眠ればまた怖い夢を見るのかと思うと、目を閉じる気になれません。
「どうしてお父さんはこんなに遅いのだろう。なぜ早く洗面室から帰ってこないのだろう?」
正一君が不思議に思っていますと、その洗面室の中で「どしん」と何かが倒れるような音がして、「ううん」といううめき声が聞こえてきました。
正一君はギョッとして布団の中に潜り込みましたが、そのままシーンとして何の物音も聞こえません。
「どうしたんだろう。」お父さんが、洗面室で倒れてしまったのでしょうか。
おずおずと布団から顔を出して、その方を見つめました。
「アッ?」正一君は、心臓がのどまで飛び出してきそうな衝撃を受けました。
あいつがいるのです。
あの恐ろしい骸骨男が、部屋の隅からこちらへ向かって歩いてくるのです。
体にぴったりと張り付いた黒いシャツとズボン、黒い手袋に黒い靴下。顔は、まるで今しがた墓場から出てきたばかりの骸骨そのものでした。
正一君はベッドの上に起き上がり、逃げ出そうとしましたが、体が言うことを聞きません。
ヘビににらまれたカエルのように、じっと怪物の顔を見つめたまま、脇見ひとつできないのです。
声を出すことも、身動きすることも、どうしてもできないのです。
「うふふふふ……、今度こそ、もう逃がさないぞ! 俺のすみかへ、一緒に来るのだ!」
骸骨の長い歯が並ぶ口がガクガクと動き、そこから気味の悪い声が響いてきました。
それからどんなことがあったのか、正一君はもう無我夢中でした。
さっきの夢の続きのように、骸骨の顔が目の前いっぱいに近づいてきたのです。
正一君は、もう死に物狂いでした。
やっとのことで声が出ました。
「キャーッ……!」
と、つんざくような悲鳴を上げました。
そして、めちゃくちゃに手足を動かして抵抗しました。
しかし、骸骨男は鉄のような腕で正一君をベッドから引きずり下ろし、床に転がすと、その上に馬乗りになりました。そして、丸めた布を口の中に押し込み、手ぬぐいのようなもので口元を縛り上げてしまったのです。
さるぐつわです。
正一君は、もう声を出すことができません。
そうしておいて、どこからか二本の細引きを取り出すと、正一君の手を後ろに回して縛り上げ、足もきつく縛ってしまいました。
正一君の体が、スッと宙に浮き上がりました。
骸骨男が抱き上げて、小脇に抱えたのです。
そうしてどこかへ連れていくつもりなのでしょうが、怪物は一体どうやってこの寝室から出るつもりなのでしょうか。
ドアの外には刑事とサーカス団員が厳重に見張っています。
窓には鉄格子がはめられています。
洗面室は寝室から出入りできるだけで、ほかに出口はありません。
いよいよ、骸骨男が魔法を使うときがきたのです。
それにしても、さきほど洗面室へ入っていったお父さんの笠原さんは、何をしているのでしょう。
なぜ、正一君を助けに来てくれないのでしょう。
しかし、笠原さんには、洗面室から出られない理由があったのです。
正一君がひどい目にあっていることはよく分かっていても、どうしても助けに行けない理由があったのです。

空気の中へ

さっきの正一君の悲鳴は、もちろん廊下まで聞こえていました。
そこにいた刑事とサーカス団員は、ハッとして立ち上がったのです。
刑事はつかつかとドアの前に歩み寄り、ドアノブを回しました。
しかし、中から鍵がかかっていて、どうすることもできません。
合鍵はあるのですが、それをどこかへ置いて骸骨男に盗まれては大変だということで、二つとも笠原さんが持っていたのです。
寝室の中からは開けることができますが、外からは絶対に開けられない仕組みなのです。
「笠原さん、ここを開けてください! 今の叫び声はどうしたのですか? 何かあったのですか!」
刑事が大声で呼びかけましたが、中からは何の返事もありません。
シーンと静まり返っています。
「おかしいな。ひょっとしたら……。」
「確かに、あれは正一さんの叫び声でした。ぐずぐずしてはいられません。破りましょう! このドアを破って、中へ入りましょう!」
サーカス団員が息をはずませて言いました。
「よし、それじゃあ、僕がドアを破りますよ。」
刑事はそう言うと、廊下の端まで後ずさりして勢いをつけ、ドアにぶつかっていきました。
すると恐ろしい音が響きましたが、ドアはびくともしません。
非常に頑丈なドアなのです。
その騒ぎに、ほかの刑事や団員たちも下から駆け上がってきました。
あのかわいらしい女中さんも、そこへやってきました。
みんな真剣な顔つきです。
骸骨男のことを考えているからです。
あの幽霊のような骸骨男が、不思議な魔法で寝室の中へ忍び込んだのかもしれない。そして正一少年をひどい目にあわせているのかもしれない、とみんな思ったからです。
刑事は二度、三度とドアにぶつかっていきました。
そのたびにメキメキという音がして、三度目にはドアの板が破れ、少し隙間ができました。
その隙間に向かって、またぶつかっていきます。
だんだんと穴が大きくなっていきました。そこへ手をかけて、力まかせに板を剥がすと、とうとう人間が一人通り抜けられるほどの穴があきました。
刑事とサーカス団員たちは、一人ずつその穴から寝室の中へ飛び込んでいきました。
「オヤッ! 誰もいないじゃないか!」
寝室はからっぽでした。
正一君も、お父さんの笠原さんもどこかへ消えてしまい、二つのベッドの上には毛布や布団がぐちゃぐちゃに散らばっているだけです。
みんなはベッドの下やタンスの裏などを必死で探し回りました。
しかし、どこにも人の気配はありません。
刑事たちは二つの窓を開け、鉄格子を調べましたが、おかしなところはありませんでした。
鉄格子は窓枠にしっかりと固定されています。
そこから誰かが出ていったなどとは、どうしても考えられません。
あのかわいらしい女中さんは、部屋の隅に立ってその様子を眺めていましたが、ハッとしたように耳を澄ませました。
なんだか妙な音が聞こえたからです。

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