初級翻訳・怪人二十面相 第30話

怪人二十面相

そんなに乱暴にせず、縄を解いて、そちらの長椅子に寝かせてやりたまえ」

さすがに首領・二十面相は、捕虜の扱い方を心得ていました。部下たちは命じられた通りに縄を解き、明智探偵を椅子に寝かせましたが、まだ薬が効いているのか、探偵はぐったりとしたままで、意識が戻る気配もありません。

乞食に化けた男は、明智探偵を誘拐した経緯と、赤井寅三を味方に引き入れた理由を詳しく報告しました。

「うん、よくやった。赤井君はなかなか役に立ちそうな人物だ。それに、明智に深い恨みを持っているというのが何より気に入ったよ」

二十面相は、名探偵を捕らえた嬉しさに、終始上機嫌です。そこで赤井は改めて、二十面相の弟子になるための厳かな誓いを立てさせられました。それが終わると、この浮浪人は先ほどから不思議でたまらなかったことを、さっそく尋ねてみました。

「この家の仕掛けには驚きましたぜ。これなら警察だって怖くありませんね。だが、どうもまだ腑に落ちないことがあるんです。さっき玄関へ着いたばかりの時に、どうして親分にはあっしの姿が見えていたんで?」

「ハハハ……、そのことか。それはね、ほら、ここを覗いてみたまえ」

首領は天井の一隅から下がっている、ストーブの煙突のようなものを指さしました。覗いてみろと言われて赤井がそこへ行き、煙突の下の鍵の手に曲がっている筒口に目を当ててみると、驚くべき光景が広がっていました。

その筒の中に、この家の玄関から門にかけての景色が、まるでミニチュアのように縮小されて映し出されていたのです。先ほどの門番の男が、忠実に門の内側に立っているのもはっきりと見えました。

「潜水艦に使う潜望鏡と同じ仕組みなんだよ。あれよりももっと複雑に折れ曲がっているけれどね」

なるほど、それであんなに光の強い電灯が必要だったのです。

「だが、君が今まで見たのは、この家の機械仕掛けの半分にも満たないのだよ。その中には、僕のほかは誰も知らない仕掛けもある。なにしろ、ここが僕の本当の根城だからね。ここのほかにもいくつか隠れ家はあるけれど、それらは敵を欺くための仮住まいにすぎないのさ」

すると、かつて小林少年が苦しめられた戸山ヶ原のあばら屋も、その仮の隠れ家の一軒だったのでしょうか。

「いずれ君にも見せるがね、この奥に僕の美術室があるんだよ」

二十面相は相変わらず上機嫌で、喋りすぎるほどに喋り続けます。見れば、彼の安楽椅子の後ろに、大銀行の金庫のような複雑な機械仕掛けの大きな鉄の扉が、厳重に閉ざされています。

「この奥にいくつも部屋があるんだよ。ハハハ……、驚いているね。この地下室は、地上に建っている家よりもずっと広いのさ。そして、その部屋ごとに僕の生涯の戦利品が、ちゃんと分類して陳列してあるというわけだ。そのうち見せてあげるよ。まだ何も陳列していない空っぽの部屋もある。そこへはね、近いうちにどっさり国宝が入ることになっているんだ。君も新聞で読んでいるだろう、例の国立博物館のたくさんの宝物さ。ハハハ……」

もう明智という大敵を取り除いてしまったのだから、それらの美術品は手に入れたも同然だとばかりに、二十面相はさも心地よげに、カラカラと笑い声を上げるのでした。

◇

翌朝になっても明智探偵が帰宅しないため、留守宅は大騒ぎになりました。探偵が同伴して出かけたという事件依頼者の婦人の住所を調べると、そんな婦人は存在しないことが判明しました。

「さては二十面相の仕業であったか」

人々はそこで初めて事の重大さに気づきました。各新聞の夕刊は「名探偵・明智小五郎氏誘拐さる」という大見出しで、明智の写真を大きく載せてこの椿事を大々的に書き立て、ラジオもこれを詳しく報道しました。

「ああ、頼みの綱である我らの名探偵が、賊の虜になってしまった。博物館が危ない!」

一千万の都民は、まるで自分のことのように悔しがり、どこへ行ってもこの事件の噂ばかり。全都の空が、なんとも言えない陰鬱で不安な黒雲に覆われているような、重苦しい空気に包まれていました。しかし、名探偵が誘拐されたことを、世界中で一番残念に思っていたのは、探偵の少年助手である小林芳雄君でした。
一晩待ち明かして朝になっても、また、一日むなしく待って夜が来ても、先生はお帰りになりません。
警察では二十面相に誘拐されたのだと言っていますし、新聞やラジオまでその通りに報道するものだから、先生の身の上が心配なばかりでなく、名探偵の名誉のために、悔しくて、悔しくて、たまらないのです。
そのうえ、小林君は自分の心配のほかに、先生の奥さまを慰めなければなりませんでした。
さすが明智探偵の奥さまだけあって、涙を見せるようなことはなさいませんでしたが、不安に耐えかねた青ざめた顔に、わざと笑顔を作っていらっしゃる様子を見ると、お気の毒で、じっとしていられないのです。
「奥さま、大丈夫ですよ。先生が賊のとりこなんかになるものですか。きっと先生には、ぼくたちの知らない、何か深い計略があるのですよ。それでこんなにお帰りが遅れているんですよ」
小林君は、そんなふうに言って、しきりに明智夫人を慰めましたが、しかし、別に自信があるわけではなく、喋っているうちに自分のほうでも不安がこみ上げてきて、言葉も途切れがちになるのでした。
名探偵助手の小林君も、今回ばかりは手も足も出ないのです。
二十面相の隠れ家を知る手がかりは全くありません。
一昨日は賊の部下が紙芝居屋に化けて様子を探りに来ていましたが、もしや今日も怪しい人物がその辺をうろうろしていないかしら。そうすれば賊の住処を探る手立てもあるんだがと、一縷の望みにたびたび二階へ上がって表通りを見回しても、それらしい者の影さえしません。
賊のほうでは誘拐の目的を果たしてしまったのですから、もうそういうことをする必要がないのでしょう。
そんなふうにして、不安の第二夜も明けて、三日目の朝のことでした。
その日はちょうど日曜日だったのですが、明智夫人と小林少年がさびしい朝食を終えたところへ、玄関へ鉄砲玉のように飛び込んできた少年がいました。
「ごめんください。小林君いますか。ぼく羽柴です」
澄み切った子どもの叫び声に驚いて出てみますと、おお、そこには久しぶりの羽柴壮二少年が、かわいらしい顔を真っ赤に上気させて、息を切らして立っていました。
よっぽど大急ぎで走ってきたものと見えます。
読者諸君はよもや忘れてはおられませんね。この少年こそ、いつか自宅の庭園に罠を仕掛けて、二十面相を手ひどい目にあわせた、あの大実業家・羽柴壮太郎氏の息子さんです。
「オヤ、壮二君ですか。よく来ましたね。さあ、おあがりなさい」
小林君は自分より二つばかり年下の壮二君を、弟かなんぞのようにいたわって、応接室へ導きました。
「で、何か急な用事でもあるんですか」
尋ねますと、壮二少年は大人びた口調で、こんなことを言うのでした。
「明智先生、大変でしたね。まだ行方がわからないのでしょう。それについてね、ぼく少し相談があるんです。あのね、いつかの事件のときから、ぼく、きみを崇拝しちゃったんです。そしてね、ぼくもきみのようになりたいと思ったんです。

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