先生は悪人を捕らえるために、この落とし穴を作っておかれたのです。それをあべこべに、敵に利用されたのですよ」
「それじゃあ、本物の明智さんはどこにおられるのだろう。まさか、明智探偵まで敵のとりこになったのじゃあるまいね」
「二、三日旅行中なのです。別の事件で大阪のほうへ行かれたのです。今日か明日お帰りになるはずだったので、ぼくは偽物にだまされたのですよ。あいつが先生とそっくりの顔とそっくりの服で、『いま帰ったよ』って入ってきたものですから」
「ふーん、きみまでだますとは、よくよく変装のうまいやつだね。だが、この落とし穴には抜け道でもないのかね。なんとかしてここを出る工夫はないのかね」
「抜け道なんてありませんよ。ここへ落ちたらもうおしまいですね。天井まで四メートルもありますよ。柱もなんにもないから、人間業では登りつくこともできません」
そのとき、ガタンという音がしたかと思うと、天井からパッと光が差し込んできました。
驚いて見上げると、落とし穴の四角い板が少し開いて、そこから人の顔がのぞいていました。
「ハハハ……、ご両人、仲よく話しているね。どうだね、落とし穴の居心地は?」
のぞいているのは、先ほどの偽明智でした。
「いい気持ちだよ。ヒヤヒヤと涼しくてね。それに、広田さんという話し相手を送ってくれたので、当分退屈しないよ」
「ハハハ……、負け惜しみを言っているな。だが、安心したまえ。きみたちを殺しはしない。こっちの仕事が済むまで、二、三日の辛抱だよ。二、三日で餓死するわけもないからね」
「ぼくたちは大丈夫だよ。それより、きみこそ用心するがいい。いまに明智先生が帰ってくるからね。そうすれば、きみはすぐ捕まってしまうんだからね」
小林少年も、なかなか負けていません。
「ウフフフ、まあ、熱を上げているがいいさ。おれのほうの仕事は、これからすぐ始めるんだからね。明智先生、間に合えばいいがね……。まあ、その暗闇の中で二人で仲よく話でもしていたまえ。それじゃ、あばよ」
そして、パタンと蓋を閉め、留め金をかけてしまいました。
地下室の中は、また元の真っ暗闇です。
「ねえ、小林君。あいつはこれからすぐ高橋家へ行って、賢二ぼっちゃんをどうにかするに違いない。明智さんはとても間に合わないだろう。それを思うと、ぼくはじっとしていられないよ」「ねえ、きみ、どうかして、ここを抜け出す工夫はないだろうか」
広田は、賢二少年の身の上が心配でたまらないのです。
「抜け道なんてありませんけれど、ここを出る工夫はあるんですよ」
小林少年は、ニコニコと笑っているような口調で言いました。
「えっ、それは本当かい? どうして? どうやって抜け出すんだい?」
するとそのとき、小林君の体からパッと強い光が放たれました。懐中電灯です。
「あっ、きみ、懐中電灯を持っていたのかい?」
「探偵七つ道具の中には、もちろん懐中電灯が入っていますよ。ごらんなさい。これがぼくの七つ道具です。ほらね、ぼくはどんなときでも、腹巻のようにこの袋を腹に巻きつけているのですよ」
小林君はビロードの大きな袋から、いろいろな品物を取り出し、コンクリートの床に並べて、それを懐中電灯で照らしてみせました。
そこには、七つどころか十いくつもの、まるで小人島で使うような、ひどく小さな道具がズラリと並んでいました。
手のひらに収まるような小型カメラ、指紋を調べる道具、黒い絹糸をより合わせて作られた、丸めればひと握りになる縄ばしご、ノコギリやヤスリなどのついた万能ナイフ、虫眼鏡、錠前破りの名人が持っているような万能鍵の束、そして、なんだかわからない銀色の三十センチほどの長さの太い筒など。
小林少年はその銀色の筒を手にとって、奇妙なことを言い出しました。
「これ、なんだかわかりますか。手品の種ですよ。ぼくの魔法の杖です。これと、この絹糸の縄ばしごさえあれば、こんな穴蔵なんか抜け出すのは造作もありませんよ」
広田青年は、小林少年の手から懐中電灯をとって、天井を照らしてみました。高さは四メートルはあります。落とし穴の板はぴったりと閉まっており、鉄のカンヌキで開かないようになっています。四方の壁からはずっと離れていますし、その壁にも手がかりになるようなものは何もありません。たとえ縄ばしごを投げたところで、どこにも引っかかるところがないのです。
小林君の手品とはいったいどんなことでしょう。わずか三十センチの銀色の筒が、何の役に立つのでしょうか。
運転台の怪物
小林君と広田青年が地下室でそんな話をしていたころ、一方、高橋さんの家の玄関に一人の紳士が訪れていました。もう一人の書生の青木が取り次ぎに出ると、その紳士はこう言いました。
「ぼくは明智小五郎です。お使いがあったのでお邪魔しました」
青木が奥へその旨を伝えると、主人の高橋さんは大喜びで、明智と名乗る紳士を応接室に通しました。
「やあ、よくおいでくださいました。新聞などの写真で、お顔はよく存じ上げています。使いの者からお聞きくださったでしょうが、わたしの次男の小学校四年生の子どもが、カブトムシに狙われているのです。先生のお知恵で、なんとか子どもを助けていただきたいと思いまして」
「それはうかがいました。ぼくのところへ使いに見えた書生さんは、もう帰っているのでしょうね。ちょっとここへ呼んでくれませんか」
明智探偵はソファーにゆったりと背を預け、タバコに火をつけながら言いました。
「いいえ、書生の広田はまだ帰りません。先生と一緒じゃなかったのですか?」
「いや、書生さんは、ぼくがじきにおうかがいすると言うと、喜んで急いで帰ったのですよ。自動車で帰ると言っていましたから、まだ着かないというのは変ですね」
高橋さんは書生の青木を呼んで広田を探させましたが、どこにもいないことがわかりました。
「変だなあ。まさか、こんな時に寄り道なんかしているはずはないが。先生よりもずっと前に家を出たのですか?」
「そうですね。ぼくよりも三十分ほど前です。電車に乗ったとしても、とっくに着いているはずです。これは、ひょっとしたら……」
「えっ、何とおっしゃるのです?」
「カブトムシの怪物団のために、さらわれたのかもしれませんよ。大カブトムシが賢二君の部屋へ忍び込むのを最初に発見して、騒ぎ立てたのは広田君でしたね。その復讐かもしれませんよ」
あのがっしりした広田が、やすやすとさらわれたとすると、かよわい賢二少年などいつさらわれるかわかったものではありません。高橋さんはもう心配でたまらなくなってきました。
「先生、広田がさらわれたとすると、いよいよ捨ててはおけません。賢二を助けてください。なんとかうまい方法はないでしょうか」
「そうですね……」「ともかく、賢二君をここへ呼んでみてくれませんか」
高橋さんは、再び書生の青木を呼び、賢二君を応接室へ連れてこさせました。
「やあ、きみが賢二君だね。おじさんが来たから、もう大丈夫ですよ。さあ、もっとこちらへいらっしゃい」
明智はニコニコしながら賢二少年を招き、その肩へ手をかけました。
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