初級翻訳・サーカスの怪人 第13話

サーカスの怪人

それを、たちまち気づいて、射撃をとめさせた明智探偵の知恵は、たいしたものです。名探偵の名に恥じない、実に見事な早業でした。

まるで幽霊のように。

それからというもの、笠原さんの西洋館の警備は、いっそう厳重になりました。サーカス団のメンバーだけでなく、警視庁の腕利きの刑事たちが三人ずつ、昼夜交代で笠原邸に詰めることになったのです。そうなると台所の仕事も増えるため、これまでの女中さんに加えて、明智探偵の紹介で、もう一人の若い女中さんが住み込みで働くことになりました。

その新しい女中さんは、まだ十五、六歳の可愛らしい少女でしたが、なかなかのしっかり者で、本当によく働きました。しかし、この女中さんには、一つだけ不思議な癖がありました。真夜中になると、家の中を歩き回るのです。誰にも気づかれないように、こっそりと歩き回るのです。

射撃場の事件から五日ほど経った、ある真夜中のことです。その少女の女中さんは、またしても自分の寝室を抜け出し、まるで泥棒のように足音を忍ばせて二階の廊下を歩いていました。女中さんは、廊下の角に差しかかったとき、ふと立ち止まりました。かすかな音が聞こえたからです。

廊下の角に身を隠して、音のしたほうをそっと覗いてみました。すると、薄暗い廊下の向こうから、奇妙なものが歩いてくるではありませんか。刑事さんが見回りをしているのかと思いましたが、そうではありません。刑事さんが、あんな恐ろしい顔をしているはずがないのです。

そいつは、体にぴったりと張り付いた黒いシャツを着ていて、顔は、ああ、あの骸骨とそっくりだったのです。骸骨男です。またしても骸骨男は、厳重な戸締まりをくぐり抜けて、家の中へ入り込んでいたのです。もちろん、正一君かミヨ子ちゃんを狙っているのに違いありません。

女中さんは、声を上げてみんなを呼ぼうか、どうしようかと迷っているようでしたが、何か決心したのか、いきなり角からひょいと飛び出しました。そして、骸骨男の前に立ちふさがったのです。この大胆な行動には、骸骨男のほうが驚いてしまいました。もし声をでも出されたら、一大事です。骸骨男は「アッ」と小さく叫んで、いきなり逃げ出しました。

勇敢な女中さんは、そのあとを追っていきます。いったい、この女中さんは何者なのでしょう。どうしてこんな大胆なことができるのでしょう。少女に追いかけられているとわかると、骸骨男はいっそう慌てたようです。彼は少し廊下を走ると、いきなりある部屋のドアを開けて、その中に逃げ込みました。

少女はすぐにそのドアの前に駆けつけましたが、さすがにドアを開けるのをためらいました。骸骨男がドアの内側で待ち構えていて、飛びかかってくるのではないかと思ったからです。少女はそっと鍵穴から覗いてみました。鍵穴からは部屋の一部しか見えませんが、そこには誰もいないのです。ドアの後ろに隠れている様子もありません。

思い切ってドアの取っ手を回してみました。鍵はかかっていません。そっと開けました。一歩、部屋の中へ入りました……部屋はからっぽでした。その部屋は誰も住んでいない空き部屋で、隅にベッドが置いてあるだけです。少女はベッドのそばへ行ってクッションを叩いてみたり、ベッドの下を覗いたりしましたが、どこにも人の姿はありません。

窓には鉄格子がはまっています。この部屋には戸棚もありません。人が隠れる場所はまったくないのです。骸骨男がこの部屋へ逃げ込んだことは間違いありません。それなのに、部屋の中には誰もいないのです。まるで幽霊のように消え失せてしまったのです。

少女は大急ぎで二階を降り、懐中電灯を持って裏口から庭へ出ていきました。骸骨男が二階の窓から逃げたのなら、その下の庭へ降りたに違いありません。その姿を見極めようとしたのです。しかし、庭にも何の怪しい人影もありません。素早く逃げ去ってしまったのでしょうか。

しかし、それなら庭の柔らかい土の上に足跡が残っているはずです。少女は空き部屋の窓の下の地面を、家の一端からもう一端まで、懐中電灯で照らしながら念入りに見て回りましたが、足跡は一つもありません。笠原さんの家は一軒家ですから、隣の屋根へ飛び移って逃げるようなことはできません。また、空き部屋の側は一階の方が少し出っ張っていて狭い屋根がついているので、骸骨男は当然、その屋根から地面へ降りたはずです。少女は、その屋根の側の地面をくまなく調べたのです。しかも、そこには足跡らしいものが、まったく残っていなかったのです。もしや、その狭い屋根の上に身を潜めて隠れているのではないかと思い、少し遠くまで離れて屋根の上を見渡してみましたが、それらしい影は見当たりません。
夜更けとはいえ、空の薄明かりで人がいれば分かるはずなのです。
骸骨男は、やはり下に降りて逃げ去ったとしか考えられません。
しかも、柔らかな地面に一つも足跡を残さずに逃げ去ったのです。
頑丈な窓の鉄格子をすり抜けたのも実に不思議ですが、少しも足跡を残さずに地面を歩いていったとすれば、それもまた不思議なことです。
あいつはやはり幽霊のように、地面に足をつけないでふわふわと空中を飛んでいったのでしょうか。
少女は家の中へ戻り、みんなにこのことを知らせたため、大騒ぎになりました。
三人の刑事が先頭に立って二階の空き部屋を調べましたが、壁にも天井にも床にも、抜け穴などないことが分かりました。
窓の鉄格子にも異常はありません。
それからみんなで懐中電灯を振り照らしながら、庭や塀の外をくまなく捜しましたが、骸骨男が逃げ去ったらしい痕跡はどこにも残っていないのでした。

恐ろしい夢

それから二日目の真夜中のことです。
正一少年は、お父さんの笠原さんと同室で、ベッドを並べて眠っていました。
妹のミヨ子ちゃんはまだ小さいので、もしものことがあってはいけないと学校も休ませ、台東区にある笠原さんの親戚の家へ預けてあるのです。
ですから、寝室にミヨ子ちゃんの姿は見えません。
この寝室は、二日前に骸骨男が逃げ込んだあの二階の空き部屋の隣にあります。
やはり窓には頑丈な鉄格子がはめられています。
ドアの外の廊下には、刑事とサーカス団員が長椅子に腰かけて見張っています。
三人の刑事と三人の団員が交代で、朝まで見張り番を務めるのです。
これでは骸骨男が忍び寄る隙などありません。
正一君は安全です。
たとえ見張りの目をかすめて寝室に入れたとしても、正一君の隣のベッドには力の強い笠原さんが寝ているのです。
正一君をむざむざ骸骨男の思うままにさせるはずがありません。
そのとき、正一君は恐ろしい夢を見ていました。
薄暗い空から、豆粒のようなものがたくさん降ってくるのです。
それが下へ落ちてくるほど、だんだんと大きくなっていきます。
ピンポンの球くらいの大きさの白いものが、たくさん正一君の頭の上に落ちてくるのです。
よく見ると、その白いものには真っ黒な目と、三角の黒い鼻と、歯を剥き出した口がありました。
骸骨の首です。
何十、何百とも知れぬ骸骨の首が降ってくるのです。
正一君は死に物狂いで逃げ出しました。
しかし、いくら走っても骸骨の雨はやみません。
どこまで行っても空は骸骨でいっぱいなのです。

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