中村という人物はまるで姿を見せなかったが、僕はあの家そのものについて研究した。そして色々悟る所もあった。もし僕の想像が正当だとすると、この事件には実に恐ろしい人物が介在している」その人物の呪いが、事件全体を非常に複雑なものにしている。
だが、その人物は恐らく殺人犯人ではない。犯人はもっと別の所にいるのだ。
だから、真犯人が見つかるまでは、残念だけれど、その悪魔の正体をあばくわけにはいかない。
僕は本当の犯人を逃してしまうことを恐れているのだ」
紋三は、明智のまわりくどい話し方をもどかしく思った。
明智が言っているのは、昨日の夕方、山野夫人を連れ出した人物に違いない。
あの怪しげな男が夫人を脅迫していることは明白だ。
だが、あの男が犯人でないとすれば、脅迫されている方の、三千子にとっては継母である百合枝夫人こそ、恐ろしい殺人者なのではあるまいか。
彼はそれ以外に考えようがないように思った。
明智も山野夫人を疑っているに違いないのだが、果たして彼女を犯人だと思っているかどうかは不明だった。
「ですが、この紙切れはどこから見つけ出したのです」
紋三はその点を明らかにすれば、何かわかるような気がしたのだ。
「僕の腹心のお雪が拾ってくれたのだ。
手紙の受け取り主は山野の奥さんだ。
奥さんがこの文句にある通り、読んでしまってから細かく切り裂いて、丸めて、台所の七輪の中へくべたのを、お雪がそっと拾ったのだ。
幸い七輪の火が少なかったので、奥さんは焼けてしまったと思ったのが、中の方がこれだけ残っていた。
封筒がすっかり灰になったのは残念だけれど、しかしこれだけでも随分手がかりにはなる」
紋三はそれだけ聞くと、いよいよ自分の疑いを確めることができたように思った。
「では、手紙の受け取り人が奥さんだとすると、この『御依頼により』というのは、奥さんのご依頼により、ですね。
『埋葬』というのは三千子さんの死体をどこかへ埋めたことかもしれませんね。
それから、この『と小生と蕗屋の三人のみ』の前には奥さんの名前があるわけですね」
彼は矢継ぎ早に想像を進めていった。
そして、実はビクビクしながら明智の表情をうかがった。
「そういう風にも考えられる。しかし断定はできない。
断定すれば犯人は山野夫人と決まってしまって、世話はないのだけれど」
明智はニヤニヤと、底の知れない笑い方を隠さなかった。
「でも、ほかに考えようがないじゃありませんか」
と紋三は、明智に本音を吐かせないでは置かないという意気込みだった。
「奥さんを疑おうとすれば、まだほかにも材料があるよ」明智は落ち着き払っていた。
「このショールと手提げと、それからこの手文庫の中の草履だ。
これはみんな三千子さんが家出の時、身につけていたと言われている品だが、僕のお雪はこの三品を山野夫人の部屋の押入れの隅から見つけ出してくれたのだよ」
「つまり山野夫人が、三千子さんを家出と見せかけるために、その品々を隠しておいたわけですね。
そうだとすれば、なおさら夫人が疑わしいじゃありませんか」
紋三はこの新しい証拠品にギクリとしながら、しかし一層激しく突っ込んでいった。
「疑わしいだけで、まだ夫人が犯人だなんて決めるわけにはいかないよ」明智は軽く受け流した。
「君がそんなに夫人を疑うなら、試みにその反対の見方をして見ようか。
まず第一は、夫人が進んで僕に事件を依頼したこと。これは前にも言った通り、犯罪者が高を括った大胆なお芝居だとしても、手紙が十分焼けてしまうまで見極めずに立ち去ったことだとか、大切な証拠品を自分の部屋の押入れの隅などへ、少し探せばすぐわかる所などへ入れておいたことだとかは、ピアノの指紋を消したり、死体をゴミ箱へ隠したりした手際とは雲泥の相違だ。
犯罪者は往々下らない過失をやるものだけれど、これは少し馬鹿馬鹿しすぎるかもしれない。
とも考えられるじゃないか」
明智はわざとらしく曖昧な言い方をして、しばらく紋三の顔を眺めていたが、やがて、またしても意外なことを言い出した。
「だが夫人には、不利な証拠が次から次へと出てくるのだ。
これなどもその一つだがね」
彼は卓上の妙な石膏のかけらを、指紋をつけないように注意してつまみ上げた。
「これがやっぱり、夫人の部屋の押入れの奥から出てきたのだ。
ショールなんかにくるんで小箪笥の後ろに隠してあったのだ。
もっともこれは破片を一つだけ持ってきたので、高さ一尺ばかりの石膏像の壊れたものが、すっかりそこにあったのだがね」
紋三は困ったような顔をして、明智を見た。
「いや、こう言ったばかりではわかるまいが、それについてはまずこのヘアピンを研究しておく必要がある」明智はかつてピアノの中から発見した、束髪針(ヘアピン)を取り上げた。
「探偵小説のソーンダイク博士ではないが、こいつには顕微鏡的検査が必要だった。
僕はそういうことは一向に不得手なので、友人の医者に頼んで見てもらったのだが、このピンの頭がひどくゆがんでいる。
何か角のあるもので叩きつけた跡だ。
で、僕は家へ持ち帰って明るい所でよく調べて見たところ、折れ曲がった部分に白い粉がついている。さらによく見ると、生地が黒いので分かりにくいのですが、何だか血痕らしきものも付着しているんです。
それは今でも注意深く見れば残っていますよ。
その粉と血痕を削り取って顕微鏡で調べてもらった結果、粉の方は石膏と何らかの染料が混ざっているらしい。
どうやら、ブロンズ風に塗られた石膏細工の粉だろうという見立てです。
血痕の方は、人間の血液に間違いありませんでした。
そこで、山野の屋敷にブロンズの石膏像があったかどうかを調べる必要が出てきました。
ですが、これも例によってお雪の証言で、苦もなく判明しました。
三千子さんの書斎の棚の上に、首だけの青い像が飾ってあったそうです。
それには厚い台座がついていましたから、投げつければ、当たり所が悪ければ人を気絶させることも、場合によっては殺すこともできるでしょう。
山野夫人の部屋の押し入れから出た石膏のかけらには、恐ろしいことに血痕がついていました。つまり、台座の角が頭に当たって、被害者は脳震盪を起こしたに違いありません。
そういうわけで、夫人の部屋で発見されたこの石膏のかけらは、いわば今回の殺人事件の凶器そのものなのです」
「それだけ証拠がそろっていても、夫人が下手人ではないとおっしゃるのですか?」
「ないとは言いません。
しかし、断言するのは少し早計だと思います。
この事件は見かけは簡単そうですが、実際はかなり込み入っています。
先ほど言った怪物が関係しているだけでも、非常に特異な事件です。
一寸法師が生々しい片腕を持ち歩いたり、百貨店の飾り人形に死人の腕が生えたりと、妙に常軌を逸した、人間離れしたところがある。
それはともかく、今言ったように凶器が石膏像だったことや、死体をピアノの中へ隠したことなどから考えると、この殺人は決して綿密に準備されたものではない。
恐らく犯人にとっても、思いがけない出来事だったのでしょう。
まさか殺すつもりではなかったのに、ついこんな大事件になってしまったという形です。
コメント