そして、その両方の気候の歴史が西暦の第三世紀になってから食い違っている理由の一つとして、「中国のトルキスタンのたくさんの遺跡がすてられたことに対して、私がものすごく大きなショックを受けたことが、その考えのきっかけになったのかもしれない」と打ち明けているのだ。
第三世紀というのは、まさにスタインがニヤの古い遺跡で発掘したカロシチー文字の木簡の最後の使い手が、流れてくる砂から逃れるために、その家をすてた時期そのものなのだ。
もしもハンチントンが『西遊記』の大ファンだったなら、あまりの共通点にもっともっと大きな衝撃を受けていたにちぎれない。
『西遊記』にかぎらず、世の中にあるいわゆる中国の奇抜なお話の数々ほど、自由気ままな想像力が大きな翼を広げて、どこまでも大胆に大空を飛びまわっているものはほかにそうないだろう。
そして、その独特な想像力が、『ギリシャ神話』や『アラビヤ夜話(千夜一夜物語)』といったお話とは、どこかかなり深いところで違った味わいを持っている理由は、そのファンタジーの世界が、中国大陸の妖しいまでに果てしなく広大な大自然としっかりと溶け合っているからなのだろう。
スタインの本を読んでいると、あちこちで『西遊記』のワンシーンを見ているような気持ちになる。
あたり一面が八百里(約四千キロ)にもわたって炎に包まれ、そこを通り抜けようものなら鉄の身体でさえも溶けてしまうという「火焔山(かえんざん)」では、孫悟空が羅刹女(らせつじょ)の持つ芭蕉扇(ばしょうせん)にあおられて、それはそれはひどい目にあわされた。
その火焔山は、昔、孫悟空が大暴れして天の宮殿をめちゃくちゃにしたとき、太上老君(たいじょうろうくん)の薬を焼くレンガのかまどを蹴り倒し、それが地上に落ちてできたものだとされている。
だからそれは、ただの活火山なんていう生易しいものではないらしい。
安西(あんさい)から北山山脈を越えて、トルファン盆地へと出ると、そこは北に雪をかぶったボグド・ウラ山、南はクルック・タグの削られた丘陵地帯にはさまれた、水が流れ出る出口のない低い土地である。
クルック・タグの山のふもとには、海の面(海抜)よりも千フィートも低い、ぽっかりと深く落ち込んだ場所がある。
昔は大きな塩の湖だった場所も、いまではそのほとんどが干からびてしまい、ゴツゴツとした塩の床が広がる険しい砂と石の土地になっている。
この、完全に人間の世界から切り離された何もない荒野を歩いていると、旅人は持っている気圧計の針がどんどん上がっていき、自分がいつの間にか海抜よりも千フィートも低い場所にいることに気づくのだ。
「北側の山のふもとは、果てしなく広がる乾いた砂と石の斜面で、その端っこに沿って、これ以上ないほど何もない丘陵がニョキニョキとそびえ立っている」
その砂岩(さがん)と礫岩(れきがん)でできた赤裸々な山の肌は、誰もいない世界の中で「見るからに毒々しく、まっ赤にギラギラと照り映えている」のだ。
そしてその場所は、昔から地元の中国の人たちのあいだで「火の山」と呼ばれてきた。
それこそは、普通の活火山なんかよりも、はるかに本物の「火の山」にちがいないのだ。
玄奘法師は、あの十七年にもおよぶ長い旅のはじまりのときからすでに、この北の砂漠で道を失い、喉がカラカラに渇き、命からがらハミのオアシスにたどり着いたのだという。
「冷たい風が肌を切り裂く」ような葱嶺(そうれい)を越えるとき、三蔵法師は「竜王がひそんでいる大きな竜の池」のそばを通っている。
それは、どこまでも青い「底の知れない深い海」のような場所なのだ。
スタインによれば、今のグレートパミール川の源にあるヴィクトリア湖が、まさにそれだという。
スタインがそこを訪れたときには、標高一万四千フィートもある湖面に、氷のように冷たい風がピューピューと吹きつけていた。
そして、雲ひとつない真っ青な空はどこまでも黒く澄みわたり、その真ん中で白くまぶしく光る太陽が、しーんと静まり返るなかポツンとかかっていた。
人間がこの世に生まれてから今まで、人間の手が一度も加えられたことのないこの誰も知らない秘境で、スタインは時間の隔たりなんてすっかり忘れてしまい、すぐそばに三蔵法師やマルコ・ポーロの息づかいを感じたのだった。
底の知れない無限の深淵(しんえん)の底は、はるか遠く世界の四方の大州の外側へとつながり、東勝神洲(とうしょうしんしゅう)の水底深くにもしっかりと届いているのである。その東海の底にある、りゅうおうがすむすいしょうきゅうへも、孫悟空は、水の中でもいきができるほうほうを使って、自由ににもぐりこむことができた。
また、タクラマカンの死のあらのえの東、ロプ海床をこえ、すっかりかわいた海底に残る、りゅうぐうじょうのあとまぼろしを目のあたりにしながら、玄奘はインドからの帰り道を急いだことであろう。
この道をたどるため、三十頭のらくだにあらゆるたんけんの道具と大きなりゅうぶくろをつみこみ、しっかりとじゅんびをととのえたスタインの一行は、きびしい冬を目ざして、ミランの古い市を出発した。
そして、ろうらんを中心とする地域の発掘で、ものすごく大変な苦労をした上に、さらにろうらんをスタート地点とする、昔の中国のルートをたずね、「塩の結晶がキラキラ光る、果てしない荒野」であるロプ海床に、足を踏み入れたのである。
昔のロプ塩の湖の底は、けわしい土の丘がぐにゃぐにゃと入り組んで起伏し、あたり一面に塩がまるで石の化石のようにカチカチに凍りついていた。
そしてやがて、「最後の※柳(※はきへんに少)の木の残りかすが塩の原っぱに横たわっているのを通り過ぎると、そこはもう死の世界どころではなく、『生き物の気配が一切ない世界』」へと変わっていった。
この「生き物の気配が一切ない世界」の中で、スタインは思いがけない大昔のルートのめじるしを見つけたのである。
それは、昔の中国の銅貨や玉の珠などの発見だった。
ある場所では、塩の結晶が光り輝く砂漠の中に、約三十ヤード(約二十七メートル)にわたって、二百個以上の昔の漢の時代のコインが、北東に向かって一本の線のようにちらばっていたそうである。
その昔、玉門関(ぎょもんかん)を出てろうらんへ向かったらくだの一頭が、道中ポロポロと落としていったお宝が、二千年の時をこえてひろい上げられるようなこともあったのだ。
この土地ならではの、何層も重なった土の丘がものすごくけずられる風化(ふうか)のせいで、一見するとお城の塔やお寺のような、ふしぎな姿をして立っている。
それは、中国の古い本にある「太古の竜城(りゅうじょう)のあと」についての記事と、ぴったりと一致するということである。
さらに進むと、あたり一面が塩でおおわれた、けずられた高原地帯に入る。
そこもまた、中国の本には「白竜堆(はくりゅうたい)」という名前でしっかりと残っている場所なのだそうだ。
こんな土地で育った孫悟空が、何度もこの竜城を訪れたというのも、なんだかとても納得がいく話である。
今の私たちは、だれもが地質学(ちしつがく)の最初のほうの知識をもっている。
だから、山の中から魚の化石が出てきても、そんなにびっくりしない。
初級翻訳・『西遊記』の夢 第3話
『西遊記』の夢
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