初級翻訳・雨を降らす話 第5話

中谷 宇吉郎

その中でも一番大がかりだったのは、去年の七月二十一日にニュー・メキシコ州で行われた実験です。
その前にも、去年の正月にハワイで、ドライアイスを使って七十三ミリの雨を降らすことに成功したという報告がありました。
しかしその時は、世間はあまり注目せず、気象の専門家たちの間でも黙殺されてしまいました。
前にも言ったように、ドライアイスを蒔かなくても、自然に雨が降ったのかもしれないからです。
ニュー・メキシコ州での実験は『リーダーズ・ダイジェスト』の九月号で紹介されていますが、この時は沃化銀の粉を蒔きました。
沃化銀は化学的に作るものなので、できたばかりの粉は、表面がごくわずかな不純物で覆われているようです。
普通の粉のままで使っては効果が少ないので、空中に撒く直前に、一度焼くのがいいのです。
そこで噴霧器から吹き出す際に、水素の炎を通して焼いてから撒くようにします。
この噴霧器付きの燃焼装置を、砂漠の中に設置しました。
この装置の研究は、やはりラングミュア研究室のヴォネグート君が担当していて、もう二年も前に完成していたのです。
「この朝、日の出直後から、彼らは摂氏約一千四百度の高熱で燃える水素の炎の中に、沃化銀を加えはじめました。微細な結晶が、目に見えない蒸気となって、雲一つない空へ立ちのぼっていったのです。そして時速十六キロの北風に乗って運ばれました。この蒸気は二時間半ほどで、四十キロ南にあるムンザノ山脈に達するだろうと科学者たちは計算していました。果して午前八時三十分になると、山脈の肩の上にただ一つ、大きな積雲がぽっかりとできはじめました」
この雲が雨雲なのか、氷の雲なのかは、この記録だけでは分かりませんが、ぽっかりと積雲ができたのなら、雨雲なのでしょう。
この雨雲は次第に高くのぼっていきます。
地上ではその後も引き続いて、沃化銀の蒸気を送り出し続けました。
さらに一時間半、炎の噴霧器を動かし続けると、その雲が崩れ出して、やがて「稲妻が光り、豪雨が降ってきた」そうです。
この時の雨は次第に広がって、ニュー・メキシコ州の大部分の土地に雨を降らせました。
そしてこの雨のおかげで、今まで砂漠の中で干上がっていた川底は、一時的に再び川の姿を取り戻したのです。
種蒔きを始めてから三十時間のうちに、ガリステオ川だけでも、合計約二十五億リットルもの水が流れ出たそうです。
アリゾナ州も、全州のほとんどが熱い砂と岩山ばかりの土地です。
農家の人にとっても、水力発電会社にとっても、そこに住む人々にとっても、水は何よりも貴重な宝物です。
人工降雨を依頼された現代の魔法使いたちは、この乾ききった地域の気候や、川に流れる水の量、貯水池の水位などを、過去十五年間にわたって統計的に調べました。
そして、ちょうどいい空気の塊(気塊)が近くの山の分水嶺の上にやってくると、契約していた二人のパイロットに出動を命じ、ドライアイスと沃化銀を使って雲を攻撃させたのです。
雨は降り、砂漠の中の川に水が流れ、貯水池の水位は毎日上がっていきました。
ある一つの季節において、過去十五年間の統計では六千三百万立方メートルの増水が期待されるところへ、なんと五億立方メートル以上もの水量増加をもたらしたというのです。この水には十六万八千ドルもの価値がありましたが、人工降雨にかかった総費用は三万ドルで済んだと報告されています。
もしこの人工降雨の技術が完全に実用化され、人類が天候を自由に操れるようになったら、それこそ現代の魔法と呼ぶにふさわしいでしょう。
この最新の降雨技術を使って、ラングミュア博士は「人間の力で天気図そのものを書き換える」という壮大な夢を抱いています。
ただ、肝心のアメリカ中央気象台はまだこの技術に対して否定的、あるいは消極的な姿勢をとっているため、科学的な理論として完全に確立されたとは言えないかもしれません。
最大の難関は、地球の表面という、人間が作ったものとは比べものにならないほど広大な面積と、台風などが持つ想像を絶するような圧倒的なエネルギーとの戦いだからです。
しかし、現在使われている発煙装置でも、一台で六百五十平方キロメートル以上の広い地域に沃化銀を撒くことができるのですから、その威力は本当に驚くべきものです。
それに、天候を支配するといっても、そのすべてのエネルギーを力ずくで打ち消す必要はありません。ほんの少しのきっかけを与えて、大気がもともと持っている力をうまく誘導してそらすことができれば、それで十分なのです。
例えば、雹(ひょう)を降らせないようにするには、積乱雲が発生する初期の段階で、人工的にその雲の中に雨や雪を降らせて、雲の勢いを少し抑えてしまえばよいのです。
これはラングミュア博士の提案によって何度か実験が行われ、かなりの成果を上げたとされています。
九月上旬の新聞では、シェファー博士が国際連合に対して、世界中の科学者が協力し合って天候をコントロールすることを提案したと報じられました。
いかにもシェファー博士らしい提案だと微笑ましく思われましたが、私はこれを決してただの夢物語だとは思っていません。
(昭和二十五年十一月)

付記
雨が降る仕組みについては未解明な点が多いと述べましたが、一九五〇年頃からアメリカを中心にこの分野の研究が非常に活発になり、雲の粒が合体して雨になる理論が次々と発表されています。
近いうちに、この問題も一応の解決を見ることになるでしょう。
それにしても、今この瞬間も世界中の科学者たちが大勢で「雨粒はいったいどうやってできるのか」という研究に打ち込んでいることは、一般の方々にとってはかえって意外なことかもしれませんね。

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